限り無く夢幻に近く
交差点で引っかかって、カサからはみ出さないよう立ち止まる。車道の青色を見守り、隣の横断歩道の点滅を眺めた。雨を切る音。水の撥ねる音。
ふと、何かが耳に入った気がして首を伸ばす。
誰かが、俺の名前を呼んだ気がしたんだ。どこかで聞いたことのあるような、少年の声が。
カサから顔を出してキョロキョロと辺りを見回す。横断歩道の向こう岸にも信号待ちをしている帰宅途中の人々。と、そのうちの一人、男子学生と目が合った。少し赤い髪の、同い年くらいの少年。誰かの面影を持った。
あいつは……
彼が、俺に向かって微笑んだ気がした。少し悪戯っぽい、それでいて人懐こい笑みで。耳の奥で、ガタゴトと音が響く。
「彰人? どうかした?」
隣に立つ束沙の声に呼び戻され、俺はまた地に足をつけた。
「いや……」
車道の信号が黄色に変わる。ギリギリに突っ込んできたトラックの影になって視線が遮断された。霧が晴れる。他人と目が合ってしまった気まずさに気がついて、今更ながら視線を外した。
だから信号が青色を灯した後、彼の姿が消えていることに、俺は気がつかなかった。
「あ。見て、雨やんだみたい」
一歩目を踏み出したところで、束沙が空を見上げた。一緒になって仰ぐと、くすんだ空に真っ青な裂け目が広がっていた。そこから柔らかい光が溢れて、日常に降り注ぐ。
うん。もう大丈夫だ。
「天気予報通り。これなら今年のお祭りも平気そうね」
カサを畳みながら少女は嬉しそうに微笑んだ。その言葉に思わず足を止める。
そうか。もうそんな時期なんだな。
もう、夏が来るんだ。それと。
「そういえば、そろそろ誕生日じゃない?」
まるで人の考えを読んだかのように彼女が先手を打った。感心の色強く、俺は口角を上げる。
「よく覚えてたな」
「当たり前よ。幼馴染なめんなって話よ」
そうだ、夏の始まりに待つ俺達の誕生日。教えたことはないけれど、多分束沙も知っているのだろう。そういえば、『彰人の誕生日』と限定しなくなったのはいつからだったか。
先を行く彼女の背中を追う。ゆっくりと歩き出す。前へと。
雲が切れる。虹は出なくとも、太陽は変わらずに光を放っていた。
「束沙」
「ん、なに?」
突然呼び止めた俺を、彼女は不思議そうに振り返った。
「今度の日曜、一緒に夏祭りに行こう」
Fin.