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ナイトヴァーミリオン

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 昼も過ぎたというのに、《シャンクル》の甲板に立ち並ぶ市は活気に満ちていた。
 巨大な砂上船には、冷房機能がある保管庫があるため、軒先に並ぶ食料品はすべて新鮮そのままに保たれている。
 スラムではなかなか見れない光景が、甲板いっぱいに並んでいた。
 交易しながら街を巡っているとあって、品揃えも派手で豊富だった。いつまでいても、見飽きることはないだろう。
 欲しいものなんて、何も無いといった手前。なかなか素直に口に出して言えないが、何もかもが珍しすぎて、胸が躍る。
 強い日射しにきらきら輝く、オレンジ色の果実が放つ甘い芳香。
 ストレンジア製の、凝った意匠を効かせたアクセサリ。
《こちら側》とは違って、細かい紋様がプリントされた生地で作られた上着は、少し離れて後ろを歩く緋一廊に、よく似合いそうだ。
「もう少し、ゆっくり見てはどうです? 慌てなくても、大丈夫ですよ」
「うん」
 颯士は生返事で返し、さらに歩調を早めた。ゆっくりしていると、誘惑に足を取られて動けなくなってしまいそうだった。
 食べるものには幸いにも困ってはいないが、だからといって生活に余裕がある訳じゃない。それでも、欲しいと言えば、緋一廊は迷うことなく財布の紐をゆるめるだろう。
 その甘さに抗える自信も、颯士にはなかった。
 人混みを器用に歩いて行きながら、颯士は首からぶら下げている銀の指輪を取り出した。なんの飾り気もない、ともすれば、ただの鉄の輪のようにも見える、質素なものだ。
 緋一廊に見えないように、指輪を掌の上にのせる。七月冬馬が残した、たったひとつのもの。
 周囲に並べられているアクセサリと、同じ材質だとはとても思えない、光沢を失った鈍色の表面は、自分のようだと颯士は苦笑を零す。
 醜い。
 いくら磨いても、深い傷が入っているせいで、元のようには戻らない。
(こんなのを、いつまでも持っているなんて、それこそどうかしてるよな) 
 指にはめる気は更々ないが、捨てる気にはなれない。持っていたって、何にも起きないことは理解している。縋り付いているだけだ。
 首にぶら下がる指輪を目にした緋一廊の、苦い顔には罪悪感を覚えるほどに、良くないことだとわかっている。が、振り切れない未練がまだ心にあるのも事実だった。
 殺されかかって、なお、その存在を追わずにいられないなんて、馬鹿だ。大馬鹿ものだ。
 浮かれていた気分はすぐに冷め、溜息と一緒に肩を落した颯士は指輪をインナーに戻し、足を止める。
 疲れたわけではないが、すこし休みたい。
 振り返ろうと視線を動かしたところで、心臓が――跳ねた。
 雑踏の中、見覚えのある後ろ姿に左半身が疼く。
 眼帯の下の、醜くつぶれた左目に激痛がはしった。
「冬馬?」
 くすんだ、金色の髪。これといって特徴のない後ろ姿だが、颯士は確かに感じた。鼻孔をくすぐるシトラスの香りは、幻ではない。
「どうしました、颯士!」
緋一廊の声で、颯士は初めて駆けだしていることに気づいた。雑踏に消えて行く冬馬の後ろ姿を、追っている。
「ごめん、緋一廊。ごめん、俺っ!」
 足が、止まらない。
 ざわつく人いきれの声に、緋一廊の制止の声が混じって聞き取れなくなる。颯士はたった一人、移動市場の奥深くへと入り込んでいった。
作品名:ナイトヴァーミリオン 作家名:南河紅狼