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ナイトヴァーミリオン

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ナイトヴァーミリオン 1

 



 親も、兄妹も。
 帰るべき家や、あるべき世界の姿。
 一度、手にした全てを失って、それでも。死にたいと、そう思ったことはなかった。
 誰もいない、真夜中の公園の真ん中。
 惨めったらしく体を丸めて喘いでいる今も、頭の中にあるのはただ一つ。
(――死にたくない)
 体の奥底から突き上げてくる、痛烈な痛み。
 四肢がばらばらに砕け散る、そんな表現すら生ぬるいほどの刺激。
 甘利颯士は出せるような声もなく、無言のまま頭を抱えて蹲った。抵抗しなければ楽になれるのは、知っている。けれど、負けたくはない。
(死にたくない、死にたくない!)
 荒廃が著しい街で、等間隔に建つ街灯を点すだけの電力すら、街には無く。
 光源と言えば、どんよりと曇った空から時たま顔を出す月光だけで、あたりは、視界が効かないほどの暗闇に支配されている。
 目を閉じているのか、いないのか。それすらも、颯士には分からない。
 濃い闇のなかにたった一人、内臓を突き破るような激しいこの痛みが、いずれ治まるのを信じて耐えるしかない。
 諦めれば何もかもが終わるのだけは、分かっていた。
  発狂してしまいそうになる頭に、「大丈夫」と繰り返し言い聞かせ、颯士は必死になって理性を保つ。
 着実に起こりうる変化を、受け入れてはいけない。
 震える唇を、強く噛みしめる。
 剣歯が噛みきった皮膚から滲み出してきた血を飲み込み、たった一人で悶え苦しむ己を、無感情に見下ろすだけの月光へ、黒い目を持ち上げる。
 街の明かりは全く無く、澄み切った空には、月に負けじとたくさんの星が瞬いていた。
 金剛石(ギヤマン)を砕いて散らしたような美しい夜空も、今の颯士にとっては趣味の悪い皮肉でしかない。
醜い自分への、当てつけのようにしか思えなかった。情けなさが込み上げてきて、颯士は泣いた。滲む視界に、まばゆい光がいくらか薄れる。だが、心の空白は埋まることはない。
「ちくしょう!」
 颯士は大きく息をつき、側に転がっているカプセル錠へと手を伸ばした。白と黒の、ゼラチン質でできた秘密の薬だ。
 痛みと、息苦しさに朦朧とする意識をひっぱたきながら、颯士はカプセル錠を掴み、握り潰す。ぷち、とつぶれる小さな音が響く。
 拳を解けば、カプセルから漏れて出てきた粉が、皮膚にびっしりとこびり付いている。
 薬。ありたいていに言えば、麻薬(ドラツグ)。
 冷えた夜気に僅かに残るシトラスの香を吸い込んで、颯士は声を上げて泣いた。
 もういないのだと、すっかり薄くなった香水の匂いに、捨てられたのだと自覚させられる。
 颯士は、掌にこびり付く麻薬……《愚者の王》を、石畳に擦りつけた。皮膚が擦剥けてしまうほどに、強く押しつける。
「ぐっ……あ、ああっ!」
 体の奥底で、何かが爆発する。少年のように細い体が、石畳の上で激しく撥ねた。
 痛い。
 手も足も、胸も腹も、頭も――心さえも。
《愚者の王》を無理矢理のませた、七月冬馬の大人びた顔が、颯士の脳裏をかすめる。
 裏切られたと感じるのは、思い上がりなのだろうか。
 体の痛みも激しいが、それよりも心に負った傷のほうが深く、酷い。
 あふれてくる涙は、砂にまみれた頬を濡らした。
 悔しくて、そして寂しかった。たった一人で、死ななければならないのが辛い。見捨てられたのが、悲しい。
「……とうま、とう、ま」
 さしのべてられた手は、何だったのだろう。
 その手にすがりついた自分は、なんて愚かだったのだろうか。
 無残に捨てられると分かっていたのなら、人の肌など求めなかったのに。颯士は誰も触れることのない体を、せめてもと、自分の手で抱きしめる。
 激しく、震える鼓動。
 空気を吸いすぎて、息が辛い。
「いやだ……しに、たく……ない。死にたく……ない……」
 麻薬に浸食されゆく汚れた体は綺麗すぎる月明かりに触れ、灼かれて爛れるような激痛を脳に送り込む。それでも、意識を保っているのは奇跡に等しい。
 スラムに出回っている麻薬は、幻覚を見るためのものではない。
 これは、黒と白のカプセルに詰め込まれたものは、飲み込んだものの体を丸ごと作り替えてしまうものだ。
 成功すれば、超人に。
 失敗すれば、死か……運が悪ければ化物に。
 震え出す体に、颯士は己の皮膚に爪を食い込ませた。「失敗だ」と、言い残していった冬馬の声が耳に残っている。
 そうだ、失敗だ。この、激しすぎる反応は、運が悪い方だ。
 自分は、化物になる。
 醜い、人とも獣ともつかない影の塊として消える。誰にも知られることなく、弔う亡骸すらも残らない。ただの、化物になって見知らぬ連中に殺される。
「嫌だ、死にたくない!」
 颯士は、何も無い闇夜に叫ぶ。「たすけてくれ!」と、誰にともなく。
 左目が、熱い。
 追いすがる絶望を振り切ろうと、唯一自由になる右目をしっかりと開く颯士に、月明かりが僅かに陰った。
 二つの足音が、鼓膜を叩いく。
「もう、大丈夫です」
 低く心地よい男の声が、熱に火照る体を包んだ。
「誰、だ?」
「ご安心を。おれが、貴方を助けます」
 知らない声だが、とても優しい。静かなのに、しっかりと聞き取ることができる、強い声だった。
 もう一つの足音はとても軽い、かつかつと引っ掻く音は爪か。
 視線だけを動かすと、細い体の猫がいた。白と黒の、ぶちではなく縞模様の不思議な猫だ。
「あんた……誰だ?」
 骨張った、大人の大きな手に抱き上げられる。
 弛緩した体は、遠慮無く男の胸にしだれ掛かった。激しく収縮する鼓動を宥めるように、ゆっくりとした息づかいに、颯士は大きく息をついた。
「落ち着いて、気を確かに。大丈夫、ゆっくりと、息を吸って」
 しっかりと肩を抱える男を、颯士は見上げる。
 汗と涙でしっとりと濡れた髪を、そっと視界からどかしてくれる手。月明かりを背に、とんでもなく綺麗な男が、颯士をじっと見つめていた。
 青みがかった長い黒髪を一つに縛り、左頬には目尻をかすめる傷が一筋。何よりも印象的なのは、長い睫に縁取られた目だった。
「あんた、ストレンジア(異世界人)?」
 鮮やかな、赤い光彩をもつ美丈夫は、颯士の吐息が絡むほどに顔を寄せ、囁いた。
「あなたを、探していました。……颯士」
 痛いほどに抱きしめてくる男は、痛みと困惑に顔をしかめる颯士に、綾瀬緋一廊(あやせひいちろう)と名乗った。 



ガラスの触れあう音が遠くから聞こえ、颯士は右の瞼を持ち上げた。朝だ。
 早朝というには少しばかり遅く、昼というにはまだ早い。中途半端な時間帯。
 たっぷりと寝た感覚はあるが、スッキリとした目覚めではない。生あくびを零し、ゆっくりと起き上がる。
(……あんな夢をみたから、か?)
 薄いカーテンから差し込む日射しとは裏腹に、鬱々とした胸中をもてあまし、颯士は寝る前に放り投げた眼帯を探す。
 黒革の眼帯は、ベッドの側にあるチェストの上に、新しい着替えと一緒に、きちんと畳んで置かれていた。
「緋一廊だな。まったく、母さんみたいだよな、あいつ」
 脱ぎ散らした服は、片付けられてしまったようだ。
 用意された服を手早く着込み、眼帯で左目を覆ってから、汚れで曇った窓へと移動する。
作品名:ナイトヴァーミリオン 作家名:南河紅狼