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金星人の硝子

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 なずなという女の子についてのことを思う。

 なずなは明るく社交的で、大人数の場を盛り上げることに長けているぶん、個々の人格に対して無神経だった。でもなずなのことをこんな風に考えられるようになったのはごく最近のことだ。一年前、なずなと僕は恋人同士で、僕は苦しいくらい彼女に夢中だった。でもなずなは僕とつきあうのと同時進行で、別な恋愛をいくつか進めていた。

 「だって、きみひとりじゃ足りないのよ」
 と彼女は言った。
 
 「ねえ、私がきみを唯一の存在に思えないのは、私のせいじゃないのよ」

 そんなことを言われても、僕はなずなから離れることができなかった。おそらく彼女の他の相手達だってそうだったろう。

 当時僕は、彼女がそう言った心無い言葉を自分にぶつけるたび、哀しくはあったが怒りはしなかった。今思い返してみても、確かに僕は彼女に対して怒ってはいなかった。ただ彼女が自分だけを見てくれないことが哀しかった。僕はたいした人間ではないかもしれない。まだまだひととして未熟かもしれない。一人前とは言えないかもしれない。でも自分でそう思うのと、恋情を抱いた相手に言われるのとでは重みがまるで違う。打撃力も違う。自分で自分を哀れんだことがあった。それはひどくむなしかった。けれどそれ以上に僕は、僕に冷たい言葉を投げ付けるなずなのことも可哀想だと思っていたのだった。

 なずなは自分が思ったことを黙っていられない質だった。その言葉がどれだけ相手を傷つけるものだったとしても、言わずにはいられなかった。彼女の言葉は常に一撃必殺で、相手が衝かれたくないところを正確にえぐることができた。技に秀でる剣士が、鎧の隙間をぬって敵の首をしとめるように、とても正確に。

 僕はなずなのそういうところをとても可哀想だと思っていた。

 彼女の、人を傷つけることに長けた様を哀れに思った。他人の気持ちを思いやれないくせに、他人の弱点を見つけることはできる、それを哀しいと思った。正確にすぎる攻撃を繰り出してしまう冷酷さは、ひととのつきあいかたを知らなすぎるからだ。彼女は友人だってそれなりにいて、いくつも恋愛を繰り返して、それでもまだひととつきあうということを知らない。なずなには、肉体の成長とともに育つべきはずのもののいくつかが欠けていたのだ。

 けれど僕は彼女と恋愛関係にあるとき、彼女のそういう精神的欠陥に対し、なんらかの手を施したわけではなかった。施そうとも思わなかった。罵られれば反射のように謝った。蔑まれれば、その蔑に気づかぬ鈍い男のように、へらへらとしてみせた。

 彼女の御機嫌を窺っていたわけではない。気負されたわけでもない。

 僕にはどうでもよかったのだ。なずなのそういった人間的欠点など、どうでもよかったのだ。

 僕は本当にこころの底から、そういうことはどうでもよかった。このどうでもよさはひどく徹底していた。僕は例えばなずなに、そういう類いの短所を補って余りある長所を見い出したわけではない。彼女もきっと後になれば反省しているだろうなどと思って自分を納得させていたわけでもない。彼女の欠点を補うことなど、他にどんな美点を持って来ても出来なかったろうし、彼女に希望的観測という名の妄想を抱いても不可能だった。なずなはただひどかった。でも僕には彼女がひどいということはどうでもよかった。

 自分でも不思議である。

 僕は何故かなずなの欠点を気にしないことができた。もちろん会って悪し様に詰られれば傷付いたが、それはほとんどそのとき限りのもので、なずなと次にあう約束もせぬままに別れひとりになると、それほど気にしていない自分に気がつくのだった。そして僕はまた会おうというなずなからの連絡を、なにより心待ちにするのだった。

 なずなと恋愛関係を結び続けることに関しては、それで問題はなかった。彼女の冷たい仕打ちに耐えられさえすれば、比較的順調に事を運ぶことができた。僕がなずなのどこに恋情を感じていたか、そんなことはあえて述べる必要を感じない。誰かに恋に落ちた理由ほど、説明するのにつまらないものはない。恋の渦中にあってはそれもまた一興かもしれないが、終わってしまった今となっては、落ちた理由を語る行為はその恋を思い出にするための作用しかもたないと、僕は思う。

 ねえきたわよ。あのまあちののおきゃくさん。

 音がした。いや、音ではない、キリの声だ。

 声ではない、言葉だ。

 僕はまた自分の鈍い頭の回転を罵りながら、キリの方を向いた。向いたとたんに彼女の瞳が正確に、あまりに正確に僕の目をとらえているのを知って、少したじろいだ。

 そのキリの向こうを、今日最後の客が乗った車がすぎた。鮮やかなオレンジ色の日産マーチだ。これで今日の業務は終了だ。終わった終わったと言いながらもうひとりのアルバイト仲間が近付いて来て、僕の肩を叩いた。

 「なんだよ、遠藤さんをけがすなよお」

 彼はにやにや笑ってそう囁くと、僕らの背後に聳える塔に近付き、壁にある操作板のボタンを押した。塔内部の灯が消え、入り口にシャッターが降りる。

 けがしてない、と僕も笑って返した。彼はアルバイトの男女が仲良く話しているとすぐにからかいかけるのだ。

 「お前と話してるだけで汚れるんだよお」

 そっち戸締まり終わりましたかあ、と料金所から受付の女性がでてきて訊ねる。隣にはキリが並んでいた。質問に愛想よく答えながら、彼は明るく叫んだ。

 「えんどうさあん!こんなやつとしゃべってたらすぐにんしんさせられちゃいますよお!」

 僕は塔を振り仰いだ。僕のアルバイト先であるこの塔のような建物は、一日に多くのひとが出入りのみを行う不思議な場所だ。天辺にのぼることができれば、街が一望できるだろう。少し離れた場所から女性達の笑い声が聞こえた気がしたが、なにが面白いのかわからなかった。 
 
作品名:金星人の硝子 作家名:蜜虫