ひとりかくれんぼ/完結
5月28日 04:14(金)
おそるおそる、人形を跨いだ。が、特に何も起こらなかった。ほっと胸をなでおろす。しかし、毅然とした心を持たなければならないと、何か本で読んだことがある。恐ろしい、恐怖、もしくは同情。それらは憑かれ易く、呼びやすいと聞く。強気でやらなきゃいけない。ななみと、長瀬を見つけるんだ。
実行準備、その一。
人形はすでにある。ということは、塩水を用意しなければいけない。
一升瓶を手にとって、そこに水をじゃぶじゃぶと入れた。その間に塩だ。手探りで塩の入った瓶を探し、一応、舐めて確かめた。間違えて砂糖なんか入れたら話にならない。塩であることを確認し、一升瓶に多めに塩を入れた。それを二本用意した。一本を、備え付けのクローゼットの中に入れる。二本目は、常に手に持っておこうと思う。
実行準備、その二。
風呂桶に水を張る。また人形を通りすぎ、風呂場に向かった。中は真っ蔵で、僅かに浴槽の黒い水の光が反射している。その浴槽から洗面器に水を取った。張られた水は、やけに冷たかった。
実行準備、その三。
テレビの代わりに、スリープモードになっているパソコンをつけた。明るい画面には、ウィンドウズメディアプレイヤーが開かれていて、そこにはDVDディスクが入っている。何だ?思って開いてみると、音と共に「カリオストロの城」だ。恐らく、妹はこれを使ったんじゃないか。妹と同じく、俺もそれを流すことにした。
ちゃくちゃくと進んでいる準備に、少なからず胸が騒いだ。これで準備はいいはずだ。玄関に置いていた今井の包丁を拾って、あとは、宣言だ。
しかし、問題はここで起こった。
「あ…れ…?」
おかしい。玄関においておいたはずの包丁が見当たらないのだ。思わず、携帯のライトで照らして探すが、ない。ない。どこにも…ない。
急に背中にぞっとするような寒気が走った。しかし、もしかしてを考えてはいけない。負けてはいけない。自分に強く言い聞かせた。代わりに、自分の家の包丁を使うことにした。
素足で廊下をぺたぺたと歩き、そして、足元のびしょびしょの人形を拾った。赤い糸とテディベアの毛が手にべったりと張り付く。気持ち悪い。もう一つ、気持ち悪いことがあった。
恐らく、ななみはこの人形を使ったのだろう。しかし、この人形にはどこにも傷跡がないのだ。包丁さした跡がない。あるのは米を入れるときにできた穴、しかしそれは赤い糸でしっかりと縫われている。
身の毛がよだちそうな思いであったが、風呂場に入って、洗面器にその人形を入れる。人形は水にすぐに沈む。手についた水を、ズボンにぬぐって、そうして大きく深呼吸をした。
「最初の鬼は、井坂弘毅・井坂ななみ・長瀬祥子!
最初の鬼は、井坂弘毅・井坂ななみ・長瀬祥子!
最初の鬼は、井坂弘毅・井坂ななみ・長瀬祥子!」
宣言してすぐに、俺は用意しておいたもう一つの一升瓶を持って、部屋に戻る。後は、手順通り。部屋の電気はもともと何故かつかないのでいいとして、俺はパソコンのウィンドウズメディアプレイヤーをつけたカリオストロの城を流した。そうして、部屋の真ん中で、目を瞑り、数をかぞえた。
「1」
これが果たして正しいのかはわからない。
「2」
しかし、タイムリミットも近い。
「3」
どうか、見つかってくれ。
「4」
ななみ。
「5」
そう数えた時だった。
物音が聞こえる…物音?いや、違う。水音だ。
息が詰まる。それでも、数をかぞえる。
「6」
ちゃぷん、ちゃぷ…
水の揺れる音がする。
なんで、何かきてる?
「7」
分からない。怖い。
しかし、水音は止まない。
「8」
早く、数え終わりたい。
「9」
早く、早く。
「10!」
数え終わって、ぱっと目を開ける。
しかし、待っていたのは、恐怖だった。
「なんッ…で…!」
部屋の真正面、開け放たれたドアの、もっと先の廊下に、廊下に、テディベアがいる。俺を見ている。思わず、後ろに退いた。
なんで、なんでだよ。さっきは、確かに、俺、風呂桶の中にいれたよな?間違いなく、入れたのに!
恐怖に全身に鳥肌が立った。
しかし、恐怖に負けてはいけない。強い心を持たなければならない。生唾を飲み込んで、そうして、足元においた一升瓶を再び持つ。
ゆっくりとテディベアに歩み寄る。備え付けキッチンに用意しておいた包丁を手に取った。手のひらに嫌なくらい汗をかいていた。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
しかし、やらなければならない。
俺は、ななみを取り返す。
大きく包丁を振り上げた。
「…チコ、みいつけた」
ぐさり、と嫌な感触がした。少なくとも、人形を刺すような感触じゃなかった。布を破り米を刺す感覚じゃない。肌を突き、内臓を突き刺すような柔らかな感触。人を刺したことなど勿論ない。ただ、その人形は想像以上に、生々しい感覚を俺に与えた。
生唾を飲んで、俺はゆっくりと宣言した。
「次は、チコが鬼っ…」
そういうとすぐに、俺は一升瓶を持って、あたりを見回した。ななみが…いや、ななみや長瀬さんが戻ってくるかもしれない。部屋へ後ずさりながら、見回すが、何もない。くそ、と悪態を吐いて、俺はすぐにクローゼットの中に入った。
クローゼットの中は、狭苦しかった。息苦しい感じがする。外からは、ルパンの愉快な声が聞こえる。それが返って恐怖感を煽る。
これじゃ気も変になるよな…と、自嘲気味に笑った。これで、ルパンの音声が切れるまで待たなきゃいけない。圏外の携帯の時刻を見ると、4時31分をさしている。再宣言の時刻は、万が一にも無効だとして、そうすると残り時間は1時間を切っている。終わるのか、終わらせなければ。
しかし、本当に狭いな。もぞもぞと動くと、何か足の先に硬いものが当たった。なんだ?と、携帯のライトで照らすと、そこには白い携帯。ななみの携帯だった。
ななは、ここに携帯をおいていったのか…そう思って、その携帯を見ると、まだバッテリーが残っていた。黒い待ち受けが、ぼんやりと物の輪郭をつけていった。
そして、ふと、今井の言っていた『ななみの嘘』を思い出す。ななみが何か嘘をついている?いや、割と素直で真面目なヤツで…嘘なんて。
そう思いつつ、手がかりを探すために、ななみの携帯のメール受信フォルダを開いた。人の携帯を見るなんて、とも思ったが、仕方ない。緊急事態だ。
メールフォルダは、二つ作られていた。普通のメール受信フォルダと、家族、と書かれたメールフォルダだ。友達の分は分けてないのか、と思いつつ、普通の受信フォルダを開く。そこには、友人である長瀬祥子からのメールがほとんどだった。仲良かったんだな、と思い、ふと、一通のメールを開いた。が、そこには。
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送信者:長瀬祥子
件名:無題
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てぃうかマジ髪切った方がイーょ
作品名:ひとりかくれんぼ/完結 作家名:笠井藤吾