異説オリオン神話
あたしはオリオン。海神ポセイドンとミノス王女エウリュアレの間に生まれた超絶美形の神よん。お父様から海の上を歩ける力をいただいてるの。
最近のマイブームは海上散歩。明日はまだ行ったことのないクレタ島に遊びにいくつもり。
って、ああもうこんな時間。早く寝ないと美容に悪いわ。さぁて、新しく替えたシーツでぐっすり寝ましょ。
オリオンはドレッサーから離れると、筋骨隆々の体をピンクの花柄ベッドへ滑り込ませた。
そう。彼女、いや、彼はオリオン。自称夢見る乙女。しかし実態は身長百九十七センチ、無敵の筋肉で被われた体は、どう見たって乙女とは程遠い男であった。
ポセイドンはこっそり覗いていた扉の隙間から身を引くと、ため息をついく。
俺、どこで育て方間違ったんだろう、と――。
次の朝、オリオンは「お父様ぁ、行ってきま〜す」と野太い挨拶で家を出た。
ひらひらと服の裾が海中をたわめき、白いフリルのワンピースで巨体を包んだオリオンが海上を目指す。周りを泳ぐ魚達ににこやかに手を振ると、魚達が失神した。
「いやん。あたしの美貌って罪だわぁ」
海上に出ると、なかなかのよい天気であった。るんたるんたとスキップでクレタ島を目指す。母の故郷であるが、まだ一度も足を踏み入れたことがない。自然、嬉しくて鼻歌も混じる。すれ違った海鳥が、その怪音波を受けて墜落したのも気付かない。
クレタは美しい島だ。海を臨む宮殿から楽しそうな声も聞こえてくる。しかし人間のいるところには不用意に近づかないでくれと父親に泣いて懇願されているオリオンは、森の方へと進路をとった。
森でも相変わらずスキップと鼻歌をやめないオリオン。彼の通ったあとには、動物達の体が累々と横たわっている。
「止まれ、そこな神よ」
と、唐突に彼の侵攻進行を阻む声が響いた。凛とした涼やかな女の声に、オリオンは素直に従う。
「まぁ、だあれ。あたしを呼び止める方は」
無邪気な様子のオリオン。すると彼の前に淡い光が集まると、弓を持ち月桂樹の冠を被った美女が現れた。
「私は月の女神アルテミス。お主の歌(と格好)に森の動物達が迷惑している。どうか静かにしてくれまいか」
「――!」
この瞬間、オリオンは雷が体中を駆け巡るのを感じた。
瞳孔をかっぴらき、アルテミスに詰め寄り両の手を取る。
そして
「おねぇさま!」
アルテミスは突然の事態に、頭が真っ白になった。しかしかまわずオリオンは続ける。
「お姉様、是非貴女のことをお姉様と呼ばせて下さい。その厳しい中にも慈愛にあふれた言動。しなやかなで大人びた美しい容姿。あたし、お姉様のファンになりました!」
アルテミスは、あまりの視界と音の暴力にぶっ倒れた。
「あっ、気付きましたか? お姉様」
目を開けたら、赤く充血した瞳があった。泣いていたのか、鼻声だ。顔は悪くないのに筋肉だるまが白いワンピース、というのは創世以来の笑えない冗談であったが、幸い今は目に入らないのでなかなかよい眺めである。
「お姉様が突然お倒れになられて、あたし、びっくりしました。もう大丈夫ですか? どこかお加減悪いところはありませんか?」
訂正。言葉遣いでぶち壊し。
「ああ、もう大丈夫だ。それよりその『お姉様』というのはやめてくれ」
膝筋肉枕から、アルテミスはげんなりしつつ体を起こす。
「はい、わかりましたっ、お姉様!」
聞いちゃいねぇ。
「……看病してくれたことには礼をいう。私は用事があるのでもう戻るから(ホントはないけど)、おぬしも早々に帰るがよい」
「え、そんなぁ!? あたし、もっとお姉様と一緒にいたいですうぅっ」
体をくねらせて、オリオンがいやいやをする。
ぶっちゃけ、キショい。
アルテミスは引きつった笑みを浮かべながら、どうしようかと頭をフル回転させる。こういう手合いに、理屈や常識は通じないのだ。
女神が唸っていると、聞きなれた声が近づいてきた。
「おーい、アルテミス! いたら返事をしてくれ、アルテミスー、アールーテーミースー!!」
声の主はアルテミスの兄、アポロンだ。
「あにさま、アルテミスはここにございます」
姿の見えない妹を心配して探しにきたのだろう、安心させてやるためにも早く姿を見せてやらねばならない。
「おお、アルテミス。ここにおったか。ややっ、なんだその気色悪い物体は」
林から出てくるなり、アポロンはオリオンを見咎めた。
「あ、こんにちは。あたくし、オリオンと申します。アルテミスお姉様のお兄様でございますか? 実は、お姉様がお倒れになって……。僭越ながら看病させていただきました」
自分にとって都合の悪いことはスルーできる、都合のいい耳の持ち主のようである。
(てめぇがなんか変なことしたのが原因じゃねぇだろうな)
アポロンは一瞬そんなことを考えたが――ある意味正解ではある――アルテミスは純潔の女神だ。貞操の危機となれば、ゼウスですらぶっ飛ばす。
「そういうわけだ。あにさま、大事無い。戻ろう」
「ん、ああ……。ではな、オリオンとやら」
二人はそそくさと立ち去る。
「あっ、お姉様」
なぜか悲劇の主人公座りをしたオリオンに、スポットライトがあたり、
「お〜ね〜さまぁあああああああ」
伸ばした手が、宙をつかんだ。
それからというもの、オリオンはあしげくクレタ島へ渡り、アルテミスを追い掛け回すようになった。ついにはアルテミスも観念して、オリオンと狩をしたり花で冠を作ったりと相手をするようになった。特に、狩りは素晴らしく楽しいものだった。オリオンの腕は一流で、自然、アルテミスもオリオンの相手をすることを楽しみに思うようになっていった。
「お姉様、ご覧になってください。こんなにおいしそうなイノシシがとれました!」
「おお、なかなかの大物であるな。よくやったぞ」
ピンクの多段レースドレスをひるがえし、巨大イノシシを担いだ筋肉が近づいてくる。なかなかシュールな光景であるが、アルテミスは普通にオリオンをねぎらっていた。
慣れとは、恐ろしいものである。
しかし、そんな二人の関係をこころよく思わない人物がいた。アルテミスの兄、アポロンだ。
(なんだあのキモい筋肉フリル男は! 俺の妹は純潔の女神だぞ。あんな男と仲良くしやがって。別の意味でアルテミスが穢れるっつーの!)
悪態をつきながら、木の後ろで二人を凝視するアポロン。はっきりいって今の状態はオリオンより怪しい。
(くそ、なんとかしてあの二人を引き離す方法はないか?)
すでに台詞と思考がチンピラである。
(妹を傷つけずに穏便にすませようという考えがだめなんだ。いっそのこと、ヤっちまおう)
……神様というのは、常に過激が服を着て歩いているようなもんだったりする。
次の日。もうすぐオリオンがくるという時間、アルテミスはアポロンに呼ばれ、岬にいた。
「みてごらん、アルテミス。あそこに珍しい生き物がいるよ」
「あにさま、私にはよく見えない」
沖のほう、海面上を移動する光を指差し、アポロは言う。
「そうかな、僕にはよく見えるよ。どうだアルテミス。いかにおまえが弓の名手であろうとも、あんな遠くの獲物を射ることはできまい」
最近のマイブームは海上散歩。明日はまだ行ったことのないクレタ島に遊びにいくつもり。
って、ああもうこんな時間。早く寝ないと美容に悪いわ。さぁて、新しく替えたシーツでぐっすり寝ましょ。
オリオンはドレッサーから離れると、筋骨隆々の体をピンクの花柄ベッドへ滑り込ませた。
そう。彼女、いや、彼はオリオン。自称夢見る乙女。しかし実態は身長百九十七センチ、無敵の筋肉で被われた体は、どう見たって乙女とは程遠い男であった。
ポセイドンはこっそり覗いていた扉の隙間から身を引くと、ため息をついく。
俺、どこで育て方間違ったんだろう、と――。
次の朝、オリオンは「お父様ぁ、行ってきま〜す」と野太い挨拶で家を出た。
ひらひらと服の裾が海中をたわめき、白いフリルのワンピースで巨体を包んだオリオンが海上を目指す。周りを泳ぐ魚達ににこやかに手を振ると、魚達が失神した。
「いやん。あたしの美貌って罪だわぁ」
海上に出ると、なかなかのよい天気であった。るんたるんたとスキップでクレタ島を目指す。母の故郷であるが、まだ一度も足を踏み入れたことがない。自然、嬉しくて鼻歌も混じる。すれ違った海鳥が、その怪音波を受けて墜落したのも気付かない。
クレタは美しい島だ。海を臨む宮殿から楽しそうな声も聞こえてくる。しかし人間のいるところには不用意に近づかないでくれと父親に泣いて懇願されているオリオンは、森の方へと進路をとった。
森でも相変わらずスキップと鼻歌をやめないオリオン。彼の通ったあとには、動物達の体が累々と横たわっている。
「止まれ、そこな神よ」
と、唐突に彼の侵攻進行を阻む声が響いた。凛とした涼やかな女の声に、オリオンは素直に従う。
「まぁ、だあれ。あたしを呼び止める方は」
無邪気な様子のオリオン。すると彼の前に淡い光が集まると、弓を持ち月桂樹の冠を被った美女が現れた。
「私は月の女神アルテミス。お主の歌(と格好)に森の動物達が迷惑している。どうか静かにしてくれまいか」
「――!」
この瞬間、オリオンは雷が体中を駆け巡るのを感じた。
瞳孔をかっぴらき、アルテミスに詰め寄り両の手を取る。
そして
「おねぇさま!」
アルテミスは突然の事態に、頭が真っ白になった。しかしかまわずオリオンは続ける。
「お姉様、是非貴女のことをお姉様と呼ばせて下さい。その厳しい中にも慈愛にあふれた言動。しなやかなで大人びた美しい容姿。あたし、お姉様のファンになりました!」
アルテミスは、あまりの視界と音の暴力にぶっ倒れた。
「あっ、気付きましたか? お姉様」
目を開けたら、赤く充血した瞳があった。泣いていたのか、鼻声だ。顔は悪くないのに筋肉だるまが白いワンピース、というのは創世以来の笑えない冗談であったが、幸い今は目に入らないのでなかなかよい眺めである。
「お姉様が突然お倒れになられて、あたし、びっくりしました。もう大丈夫ですか? どこかお加減悪いところはありませんか?」
訂正。言葉遣いでぶち壊し。
「ああ、もう大丈夫だ。それよりその『お姉様』というのはやめてくれ」
膝筋肉枕から、アルテミスはげんなりしつつ体を起こす。
「はい、わかりましたっ、お姉様!」
聞いちゃいねぇ。
「……看病してくれたことには礼をいう。私は用事があるのでもう戻るから(ホントはないけど)、おぬしも早々に帰るがよい」
「え、そんなぁ!? あたし、もっとお姉様と一緒にいたいですうぅっ」
体をくねらせて、オリオンがいやいやをする。
ぶっちゃけ、キショい。
アルテミスは引きつった笑みを浮かべながら、どうしようかと頭をフル回転させる。こういう手合いに、理屈や常識は通じないのだ。
女神が唸っていると、聞きなれた声が近づいてきた。
「おーい、アルテミス! いたら返事をしてくれ、アルテミスー、アールーテーミースー!!」
声の主はアルテミスの兄、アポロンだ。
「あにさま、アルテミスはここにございます」
姿の見えない妹を心配して探しにきたのだろう、安心させてやるためにも早く姿を見せてやらねばならない。
「おお、アルテミス。ここにおったか。ややっ、なんだその気色悪い物体は」
林から出てくるなり、アポロンはオリオンを見咎めた。
「あ、こんにちは。あたくし、オリオンと申します。アルテミスお姉様のお兄様でございますか? 実は、お姉様がお倒れになって……。僭越ながら看病させていただきました」
自分にとって都合の悪いことはスルーできる、都合のいい耳の持ち主のようである。
(てめぇがなんか変なことしたのが原因じゃねぇだろうな)
アポロンは一瞬そんなことを考えたが――ある意味正解ではある――アルテミスは純潔の女神だ。貞操の危機となれば、ゼウスですらぶっ飛ばす。
「そういうわけだ。あにさま、大事無い。戻ろう」
「ん、ああ……。ではな、オリオンとやら」
二人はそそくさと立ち去る。
「あっ、お姉様」
なぜか悲劇の主人公座りをしたオリオンに、スポットライトがあたり、
「お〜ね〜さまぁあああああああ」
伸ばした手が、宙をつかんだ。
それからというもの、オリオンはあしげくクレタ島へ渡り、アルテミスを追い掛け回すようになった。ついにはアルテミスも観念して、オリオンと狩をしたり花で冠を作ったりと相手をするようになった。特に、狩りは素晴らしく楽しいものだった。オリオンの腕は一流で、自然、アルテミスもオリオンの相手をすることを楽しみに思うようになっていった。
「お姉様、ご覧になってください。こんなにおいしそうなイノシシがとれました!」
「おお、なかなかの大物であるな。よくやったぞ」
ピンクの多段レースドレスをひるがえし、巨大イノシシを担いだ筋肉が近づいてくる。なかなかシュールな光景であるが、アルテミスは普通にオリオンをねぎらっていた。
慣れとは、恐ろしいものである。
しかし、そんな二人の関係をこころよく思わない人物がいた。アルテミスの兄、アポロンだ。
(なんだあのキモい筋肉フリル男は! 俺の妹は純潔の女神だぞ。あんな男と仲良くしやがって。別の意味でアルテミスが穢れるっつーの!)
悪態をつきながら、木の後ろで二人を凝視するアポロン。はっきりいって今の状態はオリオンより怪しい。
(くそ、なんとかしてあの二人を引き離す方法はないか?)
すでに台詞と思考がチンピラである。
(妹を傷つけずに穏便にすませようという考えがだめなんだ。いっそのこと、ヤっちまおう)
……神様というのは、常に過激が服を着て歩いているようなもんだったりする。
次の日。もうすぐオリオンがくるという時間、アルテミスはアポロンに呼ばれ、岬にいた。
「みてごらん、アルテミス。あそこに珍しい生き物がいるよ」
「あにさま、私にはよく見えない」
沖のほう、海面上を移動する光を指差し、アポロは言う。
「そうかな、僕にはよく見えるよ。どうだアルテミス。いかにおまえが弓の名手であろうとも、あんな遠くの獲物を射ることはできまい」