紅茶をもう一杯と探偵は口にする
不合格。そっけないワープロの黒文字に、その文字だけが赤く太文字でいやでも私の目に飛び込んでくる。とてもご丁寧なことだと辟易しつつ、茶封筒の中に不合格通知をしまいこむととぼとぼと歩いていく。自然とため息が零れてしまう。これで何度目だろう。この文字を見るのは、ああ、いやだ。いやだと首を横に振る。
灼熱といってもいい太陽の熱に、頭をやられてしまう。ごみごみとした街の中を行くこと二キロ。駅前の近くになると人の多いこと。あまりのことに呆れてしまう。
人の波を泳ぎきってついたのに、私は自転車から降りて停めつつ、見上げてしまう。
<北村探偵事務所>
築三十年くらいだったか。三階建ての建物は、白いはずの壁は車やバイクが吐き出すガスのせいで黒く染まっている。
一階はお決まりのように喫茶店ではなくて、お弁当屋。ちなみに二階は弁護士事務所。三階に私の事務所がある。私の、というと語弊がある。ここは叔父の営むところなのだから。
上がる際にポストを確認。このとき、一階、二階のも見ておく。あったら、それを渡しておくのも私の仕事。今日は一階はなし、二階にはエロちらし。こういうものは捨てておいていいと言われているので、見なかったことにする。で、私の勤めるポストには、郵便物はない。確認と共に駆け上がって三階。
夏の暑さにやられた頭に、三階までの昇り降りは正直、きつい。
三階まで昇りきったときには、ズボンが気持ち悪くて履き替えたくなった。それほどに汗をかいていた。汗っかきというのは、これだからいけない。
そんな憂鬱な気持ちでドアを開けると、ひんやりとしたクーラーが私を出迎えた。
ああ、天国。
「いらっしゃい、陽和子ちゃん」
「こんにちは」
私は頭をぺこりと下げる。
私の叔父で、この小さな探偵事務所の所長兼社員の意知朗さんだ。
一番奥のディスクに腰掛けていた意知朗さんが立ち上がった。ここは、あんまり広くない。むしろ、狭い。意知朗さんのデクスに、お情け程度で私の机。その横には、お客様のためのソファとテーブルに仕切り壁。あとは、本棚。ドアの横にはお茶を汲むための棚がちょこんと設置されている。ここに置かれているお菓子類は、ほぼすべて一階や二階の人の寄付だ。私がしょっちゅうおなかをすかせているために哀れみではない善意によっていただいた品々だ。
「それで、どうでしたか」
意知朗さんが優しい笑顔で近づいてきた。
黒髪に、温和な顔。すっきりとした顔立ちは、整っていて男前といってもいいが、なんだか抜けている雰囲気もなくはない。眼鏡をかけていて白いワイシャツにネクタイ。サラリーマンのときの癖が未だに抜けなくて、この服装らしい。
この人は、どうして、こんな察しの悪い性格なのに、やっていけるんだろう。
私が第一に何も言わないので、理解してほしい。
だが、理解しない察しの悪い探偵は、私から結果を聞きたいらしい。
私は無言で茶封筒を差し出した。
「はいはい。陽和子さん。いけませんよ。いくらなんでも」
「はい?」
「え、えろ、えろなんて。こんな、お父様とお母様が嘆きます」
あ、しまった。間違えて、捨てるはずのアダルトちらしを渡してしまった。
今年で三十歳に行こうという叔父は、十歳も年下の姪から渡されたアダルトちらしにあたふたしている。
「間違えました。こっちです」
私は今度こそ、私の憂鬱の原因を叔父に渡した。かわりにちらしのほうを奪い、それはゴミ箱に捨てておいた。
叔父が茶封筒を受け取り、中を見るとあからさまにショックを受けた顔をした。自分のことではないのに、あからさまにしょげてしまっている。だが、すぐに顔をあげて、笑って見せた。
「では、お茶でもいれましょうか」
「はい」
叔父のいいところは、下手な慰めを言わずにいてくれるところだ。
私が、この探偵事務所にアルバイトとして厄介になって七ヶ月。
大学の就職活動にことごとく玉砕し、困り果てていた私をアルバイトとして雇ってくれたのが叔父だった。私としては、何か働いていたいというので一も二もなく飛びついた。アルバイトしつつ、就職を探すつもり満々でいたのだ。だが、現実はそこまで甘くなかった。七ヶ月経ったが、仕事はまったく決まらない。
このままではいけないなと思いつつも、ここのアルバイト生活も、そこそこにいいかもしれないとついつい思ってしまう。
なにせ、叔父の淹れてくれる紅茶は美味しい。
紅茶が好きで、趣味としてたしなむ程度といいながら、私の名前の知らない紅茶をいっぱい所有し、いつも事務所をなんとも品のある甘い香りで満たしている。叔父の淹れてくれた紅茶を受け取る。
「これ、なんですか」
「夏らしく、アッサムです」
「夏らしく」
「アッサムは夏にぴったりなんですよ。あ、食べ物はバターや油で揚げたものがいいんですよね。まっててください。確かいただいたお菓子があったはず」
いそいそと用意する叔父を見て、それでいいのだろうかと、少しばかり不安も感じる。お客なんて、たいしてこないし。来たとしても愚痴を聞いて終わりとか、それってお金にならない。時々、二階の弁護士事務所から裏づけ調査というので簡単なものをまわしてもらっていたり、猫を探したりなんかがもっぱら。
これで、いいのか。いいや、よくない。
叔父には悪いが、いつ潰れるかわからない探偵事務所よりも、ちゃんとした会社勤めをしたいと思う。
そういった罪悪感塗れの決意を新たにする私と叔父はいただきものクッキーを二人でほおばった。静けさを消すために、そっと壁に置かれている小さなテレビをつける。ちなみに、これも二階から譲っていただいた。――ゴミとして出そうとしていたのを私が発見して、まだ見ることができるというので、いただいた。
小さなテレビ画面にスーツをきたニュースキャスターが真剣な顔をして出来事を報告していく。そのなかで、私は今、一番気にしている事件について耳にした。
『いずれも、二人ともまだ捜索が続いているようです』
とはいえ、なにもかわらない、ただの報告だけだったのに、少しため息。
「そういえば、あの事件どうなりましたっけ」
「あの事件?」
「ほら、いま、テレビでいった双子の失踪ですよ。それもすごいドラマですよ。片方は大富豪として育てられ、もう片方は貧乏として育てられたっていうの」
事件のあらましは、なんとも市民の私には理解できかねるが、二十年前に金持ちと、その愛人の間には子供が生まれた。それも双子だったそうだ。金持ちは子供がいなかったので、その双子の片方だけを養子にとって、――ニュースでは、双子だったとは知らなかったと語られている。なんで、愛人がその双子の片方を隠したのか。親としての愛か、女としての執念か。それはさておいて、その金持ちの父親と、母親である愛人が死亡し、財産がある。なんと今になって双子であることが判明して、まさに王子と乞食よろしく二人は再会して、今はさて、どうなっているかというと仲良く父の財産を分けて生きていこうというのに、突然二人の失踪。それだけでも世間は注目するのに、その双子がいなくなった日に、人の胴体だけが発見されたそうだ。
灼熱といってもいい太陽の熱に、頭をやられてしまう。ごみごみとした街の中を行くこと二キロ。駅前の近くになると人の多いこと。あまりのことに呆れてしまう。
人の波を泳ぎきってついたのに、私は自転車から降りて停めつつ、見上げてしまう。
<北村探偵事務所>
築三十年くらいだったか。三階建ての建物は、白いはずの壁は車やバイクが吐き出すガスのせいで黒く染まっている。
一階はお決まりのように喫茶店ではなくて、お弁当屋。ちなみに二階は弁護士事務所。三階に私の事務所がある。私の、というと語弊がある。ここは叔父の営むところなのだから。
上がる際にポストを確認。このとき、一階、二階のも見ておく。あったら、それを渡しておくのも私の仕事。今日は一階はなし、二階にはエロちらし。こういうものは捨てておいていいと言われているので、見なかったことにする。で、私の勤めるポストには、郵便物はない。確認と共に駆け上がって三階。
夏の暑さにやられた頭に、三階までの昇り降りは正直、きつい。
三階まで昇りきったときには、ズボンが気持ち悪くて履き替えたくなった。それほどに汗をかいていた。汗っかきというのは、これだからいけない。
そんな憂鬱な気持ちでドアを開けると、ひんやりとしたクーラーが私を出迎えた。
ああ、天国。
「いらっしゃい、陽和子ちゃん」
「こんにちは」
私は頭をぺこりと下げる。
私の叔父で、この小さな探偵事務所の所長兼社員の意知朗さんだ。
一番奥のディスクに腰掛けていた意知朗さんが立ち上がった。ここは、あんまり広くない。むしろ、狭い。意知朗さんのデクスに、お情け程度で私の机。その横には、お客様のためのソファとテーブルに仕切り壁。あとは、本棚。ドアの横にはお茶を汲むための棚がちょこんと設置されている。ここに置かれているお菓子類は、ほぼすべて一階や二階の人の寄付だ。私がしょっちゅうおなかをすかせているために哀れみではない善意によっていただいた品々だ。
「それで、どうでしたか」
意知朗さんが優しい笑顔で近づいてきた。
黒髪に、温和な顔。すっきりとした顔立ちは、整っていて男前といってもいいが、なんだか抜けている雰囲気もなくはない。眼鏡をかけていて白いワイシャツにネクタイ。サラリーマンのときの癖が未だに抜けなくて、この服装らしい。
この人は、どうして、こんな察しの悪い性格なのに、やっていけるんだろう。
私が第一に何も言わないので、理解してほしい。
だが、理解しない察しの悪い探偵は、私から結果を聞きたいらしい。
私は無言で茶封筒を差し出した。
「はいはい。陽和子さん。いけませんよ。いくらなんでも」
「はい?」
「え、えろ、えろなんて。こんな、お父様とお母様が嘆きます」
あ、しまった。間違えて、捨てるはずのアダルトちらしを渡してしまった。
今年で三十歳に行こうという叔父は、十歳も年下の姪から渡されたアダルトちらしにあたふたしている。
「間違えました。こっちです」
私は今度こそ、私の憂鬱の原因を叔父に渡した。かわりにちらしのほうを奪い、それはゴミ箱に捨てておいた。
叔父が茶封筒を受け取り、中を見るとあからさまにショックを受けた顔をした。自分のことではないのに、あからさまにしょげてしまっている。だが、すぐに顔をあげて、笑って見せた。
「では、お茶でもいれましょうか」
「はい」
叔父のいいところは、下手な慰めを言わずにいてくれるところだ。
私が、この探偵事務所にアルバイトとして厄介になって七ヶ月。
大学の就職活動にことごとく玉砕し、困り果てていた私をアルバイトとして雇ってくれたのが叔父だった。私としては、何か働いていたいというので一も二もなく飛びついた。アルバイトしつつ、就職を探すつもり満々でいたのだ。だが、現実はそこまで甘くなかった。七ヶ月経ったが、仕事はまったく決まらない。
このままではいけないなと思いつつも、ここのアルバイト生活も、そこそこにいいかもしれないとついつい思ってしまう。
なにせ、叔父の淹れてくれる紅茶は美味しい。
紅茶が好きで、趣味としてたしなむ程度といいながら、私の名前の知らない紅茶をいっぱい所有し、いつも事務所をなんとも品のある甘い香りで満たしている。叔父の淹れてくれた紅茶を受け取る。
「これ、なんですか」
「夏らしく、アッサムです」
「夏らしく」
「アッサムは夏にぴったりなんですよ。あ、食べ物はバターや油で揚げたものがいいんですよね。まっててください。確かいただいたお菓子があったはず」
いそいそと用意する叔父を見て、それでいいのだろうかと、少しばかり不安も感じる。お客なんて、たいしてこないし。来たとしても愚痴を聞いて終わりとか、それってお金にならない。時々、二階の弁護士事務所から裏づけ調査というので簡単なものをまわしてもらっていたり、猫を探したりなんかがもっぱら。
これで、いいのか。いいや、よくない。
叔父には悪いが、いつ潰れるかわからない探偵事務所よりも、ちゃんとした会社勤めをしたいと思う。
そういった罪悪感塗れの決意を新たにする私と叔父はいただきものクッキーを二人でほおばった。静けさを消すために、そっと壁に置かれている小さなテレビをつける。ちなみに、これも二階から譲っていただいた。――ゴミとして出そうとしていたのを私が発見して、まだ見ることができるというので、いただいた。
小さなテレビ画面にスーツをきたニュースキャスターが真剣な顔をして出来事を報告していく。そのなかで、私は今、一番気にしている事件について耳にした。
『いずれも、二人ともまだ捜索が続いているようです』
とはいえ、なにもかわらない、ただの報告だけだったのに、少しため息。
「そういえば、あの事件どうなりましたっけ」
「あの事件?」
「ほら、いま、テレビでいった双子の失踪ですよ。それもすごいドラマですよ。片方は大富豪として育てられ、もう片方は貧乏として育てられたっていうの」
事件のあらましは、なんとも市民の私には理解できかねるが、二十年前に金持ちと、その愛人の間には子供が生まれた。それも双子だったそうだ。金持ちは子供がいなかったので、その双子の片方だけを養子にとって、――ニュースでは、双子だったとは知らなかったと語られている。なんで、愛人がその双子の片方を隠したのか。親としての愛か、女としての執念か。それはさておいて、その金持ちの父親と、母親である愛人が死亡し、財産がある。なんと今になって双子であることが判明して、まさに王子と乞食よろしく二人は再会して、今はさて、どうなっているかというと仲良く父の財産を分けて生きていこうというのに、突然二人の失踪。それだけでも世間は注目するのに、その双子がいなくなった日に、人の胴体だけが発見されたそうだ。
作品名:紅茶をもう一杯と探偵は口にする 作家名:旋律