小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

怖いかも知れない話

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
怖いかも知れない話



 私には霊感がない。雰囲気がどうやらそれっぽく――霊感があるように見えるらしく、「本当はあるんでしょ?」と時々言われるが、未だかつて幽霊を見たことはないし、何か得体の知れないものがいると感じたこともない。
 奇妙な夢を見たり、何とも言えない恐怖感に襲われたりすることはあるが、これらは心身にストレスがかかっている時期に現れるので、霊感とは言えないだろう。
 今回の二本は、「説明のつかない何か」「気のせいかも知れない」と言う程度のお話。




[ アシアト ]


 私の実家は山の中腹に開かれた住宅地にある。
 物干し台が置ける程度の裏庭は浅い谷に面していて、かつて墓所だった名残の、数基の古い墓が残されていた。引っ越した当初は大きな松の木が二本あったが、我が家の二階部分に接近して物騒(空き巣など)なため、半年ほどで伐採された。噂によると大昔には、その根元で火葬も行われていたらしい。
 そのような立地条件だったから、説明出来ないような現象が時々起こる。階段を上ってくる音とか、真夜中に子供が走り去る声とか、金縛りや、寿命のあるはずのナツメ球が切れたりなどなど。それほど害がなく、些細なことばかりだけど。
 まずは実家で最近見つけた『モノ』。


 父が亡くなって足枷のなくなった母は、自分の好きなように、四季に応じて家の中を模様替えするようになった。
 夏の間、テーブルから敷物から夏仕様のものに、カーテンを見た目にも涼しい簾に替えると言う程度だが、結構、手間がかかる。なので初夏の辺りに帰省などすると、私は良いように使われた。
 さてある夏。『四季の模様替え』を避けて帰省したはずなのに、帰ったらばきっちり仕事が残されていた。と言うのも、前年に新しく買いなおした竹製の敷物のサイズが大きく、物置代わりにしている二階の部屋から下ろすのに小柄な母には無理があったからだ。
 やけに週末の予定を聞いてくると思ったら理由はこれだったのか、フローリングのままでも涼しいじゃないか――と思いつつ、私にとっても軽くない敷物を二階から運び下ろした。
 敷物は四畳半より少し大きい竹製の茣蓙(ござ)で、それを居間の真ん中に広げた時、
「あれ?」
私は違和感を覚えた。対角線に点々とシミが付いているのだ。それもただ丸かったり、四角かったりの幾何学的なシミではなく、明らかにある形をしていた。
「これって、足跡なんじゃ…」
 裸足の足の裏の形をしていた。対角線の三分の二くらいのところからぼんやりと浮かび、角に向かうにつれ鮮明になっていた。最後の辺りは無数に入り乱れていたが、土踏まずも五本の指もはっきりと確認出来た。
 サイズは大きい。少なくとも二十三センチの私よりは一回りくらいだから、二十五センチ以上はあったろう。母は二十二センチにも満たないので該当しないし、父が亡くなって数年経っていたから、当然、彼のものでもない。
 私は慌てて台所に居た母を呼び、それを見せた。
「去年、片付ける時、気がつかなかった?」
「こんなのなかったよ。こんなにハッキリしていたら、気がついていると思うし。それに水拭きして片付けたもの」
 我が家は昔から来客が少ない家だった。特に日常生活の場である居間には、外部の人間を入れることはまずない。
 雑巾で水拭きをしてみたが取れない。脂汚れに効く洗剤を薄めて使ってみても、結果は同じ。
 薄黄色の地に焼印のような焦げ茶の足跡のシミ。拭けば拭くほど鮮明に見えた。気味が悪くなって、私達は茣蓙(ござ)を元通り丸めて二階に片付けた。
 今もって、それがなぜ付いたのかわからない。製造過程でついたものが、日にちが経って浮かび上がってきたのかも知れないし、母が忘れているだけで来客(例えばガスか何かの点検など)があって、その人間がたまたま脂性だったため、やはり日にちの経過と共に現れたものかも知れない。
 そのシーズンは結局、居間はフローリングのままにされ、翌年は新しい敷物に買い換えた。あの竹製の茣蓙は、粗大ゴミに出されて今はもうない。
  



[ 後ろに乗るモノ ]
 

 高校生の頃、自転車通学だった。
 私の家は某市の北の端、高校は南の端。片道四十五分かかるので、自転車通学の申請許可はなかなか下りなかった。それはさておき、毎日、市内を南北に縦断するようにして通学していたわけだ。
 某市は県庁所在地にある。昔から県下の中心地であり、太平洋戦争の末期には他の地方都市同様、B29の空襲を受け、甚大な被害を被った。今も被害者の多かった橋のたもとや、古い公園や建物の地下などには、その時の悲劇を忘れないようにと、『記憶』が文章で遺されている。
 ある日、いつものように部活を終え、自転車で帰宅していた時、急に荷台に重みを感じた。後輪が一瞬、沈んだようになり、「空気が抜けた?」と思って、自転車を止めてタイヤを見た。パンクもしていないし、空気も抜けていない。二、三度、荷台の上からタイヤを押してみて、何もないことを確認した。
 長距離通学のため、私の自転車は五段変速だった。無意識にハンドルの右側についているギア・チェンジのレバーを触ったかも…と、それも確認してみたが、動いていなかった。なので気のせいだったのだろうと思って、自転車を漕ぎ出し、帰途についた。
 それから数日後、また走行中に荷台に重みを感じた。あの日と同じ。ズンと、まるで人が座ったかのような奇妙な重さだ。今度は走りながら後輪を見る。やはり何ともない。それから数日後にも。
 三回目にもなると、さすがに気味が悪くなった。と言うのも、その『重み』がかかる場所が限定されていたから。
 市内を縦断する自転車で片道四十五分の通学路には、寄り道によって数本のルートがある。奇妙な重みがかかるのは、書店や楽器店がある繁華街への道だった。
 高校を卒業してずいぶん経ってから、その辺りが空襲の被害が最もひどい地域だったとわかるのだが、日本史は好きでも、近現代史には興味がない高校生の私は知るべくもなく。ただ漠然と同じ場所で起こる『重み』に気味が悪かっただけで、以来、目的地へは多少の遠回りになっても、その道は通らないようにした。
「それって『何か』が乗ってたんじゃない?」
と心霊現象が好きな友人は言ったが、本当のところはわからない。彼女にも霊感はなかったし。
 あのまま、あの場所を通りつづけることで、何かが起こっただろうか?
 荷台の奇妙な『重み』のことは、卒業後、ほとんど思い出すことがなかった。大学も勤め先も地元ではなく、今では住まいも他府県になった。
 ところが――場所も時間もまったく違う現在、同じような『重み』を感じたのである。
 転職した私の新しい職場は住まいから近く、自転車通勤をしている。
 勤め始めて数ヶ月経った頃の帰り道、信号待ちをして止まっている時に、自転車の荷台に奇妙に重みがかかったのだ。
 まるで、誰かがひょいと腰掛けたような…。当然、何も座っていようはずもなく。
作品名:怖いかも知れない話 作家名:紙森けい