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掌の小説

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中毒



 アルコールを飲むのは僕にとっては義務なのだ。今日もスーパーの自動ドアを開けて中に入り、買い物かごを手に取ると、奥の方にある酒類コーナーへと向かう。明るい照明と生き生きした店員、新品の商品に囲まれても僕の気は晴れない。ただ苦しい。存在するというそれだけのことが苦しい。住宅群が夜の空気に包まれ、人々が夜の癒しに浸る中、このスーパーはひそかに活気づいている。なるほど客たちは皆疲れた顔をしている。だが結婚している人も多いし、夫婦連れもいる。その、ぜいたくなほどに使い古された愛を僕は知らない。確かに昔は彼女もいた。愛していた、と思う。同棲もしていた。今でも夢に出てくる。夢の中で僕の手を導いたり、僕にキスしたりしてくる。ただ後姿だけが見えて、彼女の残像にすべての他の映像が折り重なったりもしたりする。だが、恋愛は結局傷つけ合いだった。「あなたと暮らす将来が見えないの。」彼女はそう言った。確かに僕は夢ばかり見て将来性のかけらもないダメ人間だった。今もそうだ。彼女への愛を通すために、僕は別れなければならなかった。僕ではダメなのだった。僕はただ彼女に依存していただけだ。何にもない僕、生きている意味すらない僕、そんな僕の空虚を埋め合わせるためにだけ彼女はいたのだった。僕がアルコール依存症で病棟にいるとき、毎日のように彼女に電話を掛けた。「きっとよくなるよ。」「大丈夫。」そんな言葉が聞きたかったのだ。僕は彼女に何もしてあげられない、だから別れるときは引き留めてはいけなかった。そうだ、僕は生きている価値がない。死んでしまいたい。
 惣菜コーナーに行ってコロッケを三つ買う。300円か。なるべく安くて腹に溜まるものを買いたい。仕事を辞めて、失業保険も切れてから、僕は親の金で生きているだけだ。そんなにお金は使えない。だが肉は食いたいな。隣のブースにあるこま切れ肉のパックを買う。100グラム128円。まあまあ安いか。これを家に帰って焼いて食うのだ。味付けはポン酢である。僕は何か必然的であるかのように途端に義務感に襲われる。ここのスーパーの食材をコンプリートしなければ。今日はコロッケと肉。前にはてんぷらなども食べた。刺身、餃子、たこ焼き、そんなものも食べたことがある。この、店内製造の食材を全種類食べなければ。それが目下僕の課題だ。とりあえず課題が見えたところでレジに行く。レジはどこも埋まっていて、一番商品の少ないおばあさんの後ろに並ぶ。僕は今何も考えていない、と考えている。そうだ、僕はいつものんびり生きてきた。それでいいと思っている。この状態で満足してはいないが、かといって何かを成し遂げようという気力はわかない。おばあさんがゆっくりと茶色の財布から小銭を出している。だがとくに焦らない。僕はすでに老人だ。生きるペースが老人なのだ。老人を軽蔑するなんてことはできやしないし、老人に邪険にすることもできない。それより老人は僕と何か同じスピードを持っている気がする。そのスピードではいけない気がするのだが、具体的にスピードを上げようとも思わない。
 レジの番が僕に回ってくる。レジのおばさんは多分主婦なのだろう。無愛想で接客精神がなっていない。どこかお高く留まっていて、それは鳥みたいに固まった表情からもわかるし、けだるそうな動作からもわかる。この人は社会を知らない。そうだ、僕と同じだ。僕も社会を知らない。会計を済ませて、なめらかな床に重い足取りを残しながら、僕はスーパーを出て車に乗り込み、家へ帰る。
「また酒買ってきたの? いいかげんやめなさいって。」
 母がたしなめる。僕は無視をする。父は二階で寝ている。父が居たらまた面倒なことになっていただろう。僕は無言で母の脇を通り、自分の部屋に向かい、テレビをつけ、テーブルの上に缶チューハイとつまみを載せ、酒を飲み始める。コップは昨日使って洗ってないままだ。そこに少し酒が残っていた。かまわずチューハイをあける。酒なんて全くおいしくない。匂いをかいだだけで気持ち悪くなる。それでも、不快なくせに僕は誘惑される。酒は悪女か博打のようなものだ。一缶目のレモンチューハイ。味などよく分からない。ただ食道に流し込む。これは苦行なのだ。何も求めていない、悟りすらも求めていない、純粋に禁欲的な苦行なのだ。一口一口、行として酒を飲み、コロッケを切り分け、口に運ぶ。ああ、やっぱり俺はダメなやつだ。いや、しかし俺には大きな夢がある。それは医学部に受かることだ。これだけはだれにも譲れない。人からは、夢を捨てろ、現実を見ろ、お前には無理だ、とさんざん言われるが、これだけは僕が生まれてきた意味だから絶対誰も否定してはならないのだ。大体僕は生まれた時から体が弱かった。アレルギー体質だったし、喘息もちだった。朝はいつも喘息が出やすく苦しく憂鬱だった。医者はいつも身近だったのだ。だから僕は医者になるのが夢なのだ。絶対医者になってやる! 僕はだれも信じていないけれど、自分が医者になるべきだってことは信じている。確かに模試の成績は悪いし、試験を受けるだけの体力もあるかどうか疑問だ。そもそも医学部に受かってからも進級できるかどうかわからない。だが、これまで介護の仕事や公務員の仕事をやってわかったのは、自分がやりたいことをやらなければ長続きしないということだ。僕がやりたいのは医者だけなのだ。この悲しい決意をみんな笑ってくれ。僕は現実的には医者になれない、でも医者になることにすがることでしか生きていけない。みんな笑ってくれればいいのだ。涙が出るじゃないか。もっと笑ってくれよ。大泣きしてやるぜ。
 そろそろ酒もなくなった。これが僕のささやかな達成感。美味くもなく好きでもない酒を、ただ依存しているという理由で飲みきり、苦痛を乗り越えるということ。今日も夜が冷える。

作品名:掌の小説 作家名:Beamte