どうしてこうなった
人面犬の噂が広まっているらしい。
「知ってる知ってる? なんかね、人の顔した犬があの3丁目の公園あるでしょ? あそこにいたらしいよ!」
普段だったらそんなことはふぅん、の一言で流してしまうところなんだけど、聞いた場所が意外と家から近くて驚いた。
人面犬。って、やっぱり怖いのかな?
「んー、どうだろ。なんかいかついオッサンの顔とかだったら怖いかもだけど」
「あれ、違うんだ?」
てっきりブルドックとかに、中年男性の顔が乗っているのを想像したんだけど。
「なんかね、女の子の顔だったんだってさ」
「ふぅん」
でもやっぱり、人の頭部が乗ってたら怖い気がする。怖いのは嫌だなあ。
なんてことをぼんやりと考えていたら、話してた友人は次のおしゃべり相手を見つけたようで、ねぇねぇ、と嬉しそうな顔で別の人のところへ行ってしまった。さっきは噂が広がっていると聞いたけど、どうやら自分で広げている最中だったらしい。半端に栄えた街場では、まぁこういった話題性のある噂話はいい娯楽になるものだ。というか、娯楽を作り出しているとでも言うのだろうか。いつも率先して根も葉もない噂話をばら撒いて楽しんでいる人間が休んでいる分、常以上に目立とうと頑張っているようだった。
「……なんだか、あいつが好きそうな話だなあ」
今日は風邪をひいたとかで休んでいる幼馴染を思い浮かべながら、僕はクラスメートに別れを告げて教室を出た。
野菜やら牛乳やらを前カゴに入れて、自転車を押しながらの帰り道。
まだ夕日も顔を見せない時間帯だったけど、途中に立ち寄ったスーパー以外へはどこへも寄らずにまっすぐと帰路を歩く僕。件の風邪を引いた幼馴染に何か料理でも作ってやろうかと仏心を出したわけである。いつも何かとトラブルを起こしてくれる幼馴染ではあるけれど、小さな頃には子供の戯れとは言え口約束で将来の約束までしてしまった仲。それに弱ったところへ恩を売っておくのはいい手だと思ったのだ。しばらくはこれをダシに言いくるめることができれば厄介ごとも減るはず。減ったらいいな。
てくてくと歩く。からからと音の鳴る自転車の車輪には今度油を差しておこう。
灰色のコンクリート塀で作られた道を行く。
等間隔で並んだ電信柱と、電線に止まったすずめのつがい。
まだ点いていない街灯のランプはじっとぼくを見下ろしている。
目に付くところには通行人は誰もおらず、
代わりに電信柱の陰に幼馴染の顔をした犬がいたので、とりあえず自転車で引いてみた。
「あぎゃーーっ!!」
叫ばれた。
「なに、なにすんのいきなり! 酷い! 女の子を引くだなんて酷い!」
「安心して。僕もドン引きしてるから。あととりあえず静かにしようか」
「きゃぅんっ」
軽く車輪を乗っけると小さな悲鳴をあげて、僕の幼馴染は地面へペタッとひれ伏した。というかやっぱり、同一人物らしい。おかしいな、僕の幼馴染、いつもは人間形態なんだけど。
ひとまずスタンドを出して自転車を停めて、へたり込んだままの幼馴染を持ち上げる。本当は首根っこを掴もうと思ったんだけど、犬と人の皮膚がグラデーションのように繋がってて気持ち悪かったので普通に犬ボディを両手で抱き上げた。サドルに載せて目線の高さを近づけると、ぶすっとした見慣れた彼女の顔が僕を見てくる。
「むー、むむー」
唸り声を上げていて、なにやらご不満の様子。
そしてそれを放置して、改めて幼馴染の姿を観察する僕。
犬の体は小さくて、多分サイズからして小型犬。モコモコとしたぬいぐるみのような白い毛が生えているところを見ると、犬種はホワイト・テリアかな。これできちんと犬の顔だったらとても可愛らしいんだろうけど、果たして首から上は犬ではなく、それどころか僕の隣近所に住む幼馴染の顔であった。つまり人間である。もともとは溌剌としていてころころ変わる表情は可愛い部類だとは思うんだけど、可愛いものと可愛いものを掛け合わせても必ずしも可愛いとはいえない実例が目の前にあった。犬の体と人間の頭では普通に気持ち悪い。怖くないだけ幸いかもしれないけど。
「わう、わうわうっ」
じっと見ている僕が何も言わないことに業を煮やしたのか、幼馴染(今は犬)がそれらしく吠えはじめた。
ため息を吐き出しつつ、仕方なしに僕は問いかけることにする。
「……で、どうしたの、その人面犬スタイル」
「……う、ぅっ?」
「目を逸らさないで答えなさい」
引きつった顔で横を向こうとしたところを両手で押さえ、無理やりこちらを向かせる。
おずおず、といった様子で僕を上目遣いに見上げる幼馴染。
「え、えっとぉ……怒らない? 聞いても怒らない?」
「事情によります」
「お願い、怒らないって約束して! わたし、キミに嫌われたら生きていけないっ」
「確かに食物連鎖的に生きていけなさそうだけど、まぁそれは置いておいて」
「置いておかないで! 切実、それ切実だから!」
「で、何があったのさ」
話題を戻すと、途端に目を泳がす幼馴染。
なにやら逡巡するようにもごもごと口の中を動かす様子を見ながらしばらく待つと、やがて彼女は躊躇いがちに事情を教えてくれた。
「あのね、こないだ一緒にテレビ見てて、その時に秋葉原の特集してたでしょ?」
「うん」
多分先週の日曜に流れてたあれかな。確か、昼のバラエティ番組の1コーナーで出てた気がする。
「その時に犬耳カチューシャつけたメイドさんが出てきた時、キミ、すっごい凝視してたよね?」
「してません」
「嘘っ、嘘ついてもわたしにはわかるんだから! 3秒も見てたっ。わたし以外の女を3秒も見てた!」
「なんですかその3秒ルール」
「そそ、それでっ、それでね……っ」
トーンダウン。
「……犬耳になったら、キミ、振り向いてくれるかなー、って思って……」
「…………」
なんでそれで体が犬になってんの。
「あれ? だいじょうぶ?」
「むしろあなたの頭が大丈夫ですか……?」
右手で頭を覆って俯いた僕に気付いた幼馴染が、自転車を支える僕の左手を前足でカリカリと引っかいてくる。
頭が痛い。
「知ってる知ってる? なんかね、人の顔した犬があの3丁目の公園あるでしょ? あそこにいたらしいよ!」
普段だったらそんなことはふぅん、の一言で流してしまうところなんだけど、聞いた場所が意外と家から近くて驚いた。
人面犬。って、やっぱり怖いのかな?
「んー、どうだろ。なんかいかついオッサンの顔とかだったら怖いかもだけど」
「あれ、違うんだ?」
てっきりブルドックとかに、中年男性の顔が乗っているのを想像したんだけど。
「なんかね、女の子の顔だったんだってさ」
「ふぅん」
でもやっぱり、人の頭部が乗ってたら怖い気がする。怖いのは嫌だなあ。
なんてことをぼんやりと考えていたら、話してた友人は次のおしゃべり相手を見つけたようで、ねぇねぇ、と嬉しそうな顔で別の人のところへ行ってしまった。さっきは噂が広がっていると聞いたけど、どうやら自分で広げている最中だったらしい。半端に栄えた街場では、まぁこういった話題性のある噂話はいい娯楽になるものだ。というか、娯楽を作り出しているとでも言うのだろうか。いつも率先して根も葉もない噂話をばら撒いて楽しんでいる人間が休んでいる分、常以上に目立とうと頑張っているようだった。
「……なんだか、あいつが好きそうな話だなあ」
今日は風邪をひいたとかで休んでいる幼馴染を思い浮かべながら、僕はクラスメートに別れを告げて教室を出た。
野菜やら牛乳やらを前カゴに入れて、自転車を押しながらの帰り道。
まだ夕日も顔を見せない時間帯だったけど、途中に立ち寄ったスーパー以外へはどこへも寄らずにまっすぐと帰路を歩く僕。件の風邪を引いた幼馴染に何か料理でも作ってやろうかと仏心を出したわけである。いつも何かとトラブルを起こしてくれる幼馴染ではあるけれど、小さな頃には子供の戯れとは言え口約束で将来の約束までしてしまった仲。それに弱ったところへ恩を売っておくのはいい手だと思ったのだ。しばらくはこれをダシに言いくるめることができれば厄介ごとも減るはず。減ったらいいな。
てくてくと歩く。からからと音の鳴る自転車の車輪には今度油を差しておこう。
灰色のコンクリート塀で作られた道を行く。
等間隔で並んだ電信柱と、電線に止まったすずめのつがい。
まだ点いていない街灯のランプはじっとぼくを見下ろしている。
目に付くところには通行人は誰もおらず、
代わりに電信柱の陰に幼馴染の顔をした犬がいたので、とりあえず自転車で引いてみた。
「あぎゃーーっ!!」
叫ばれた。
「なに、なにすんのいきなり! 酷い! 女の子を引くだなんて酷い!」
「安心して。僕もドン引きしてるから。あととりあえず静かにしようか」
「きゃぅんっ」
軽く車輪を乗っけると小さな悲鳴をあげて、僕の幼馴染は地面へペタッとひれ伏した。というかやっぱり、同一人物らしい。おかしいな、僕の幼馴染、いつもは人間形態なんだけど。
ひとまずスタンドを出して自転車を停めて、へたり込んだままの幼馴染を持ち上げる。本当は首根っこを掴もうと思ったんだけど、犬と人の皮膚がグラデーションのように繋がってて気持ち悪かったので普通に犬ボディを両手で抱き上げた。サドルに載せて目線の高さを近づけると、ぶすっとした見慣れた彼女の顔が僕を見てくる。
「むー、むむー」
唸り声を上げていて、なにやらご不満の様子。
そしてそれを放置して、改めて幼馴染の姿を観察する僕。
犬の体は小さくて、多分サイズからして小型犬。モコモコとしたぬいぐるみのような白い毛が生えているところを見ると、犬種はホワイト・テリアかな。これできちんと犬の顔だったらとても可愛らしいんだろうけど、果たして首から上は犬ではなく、それどころか僕の隣近所に住む幼馴染の顔であった。つまり人間である。もともとは溌剌としていてころころ変わる表情は可愛い部類だとは思うんだけど、可愛いものと可愛いものを掛け合わせても必ずしも可愛いとはいえない実例が目の前にあった。犬の体と人間の頭では普通に気持ち悪い。怖くないだけ幸いかもしれないけど。
「わう、わうわうっ」
じっと見ている僕が何も言わないことに業を煮やしたのか、幼馴染(今は犬)がそれらしく吠えはじめた。
ため息を吐き出しつつ、仕方なしに僕は問いかけることにする。
「……で、どうしたの、その人面犬スタイル」
「……う、ぅっ?」
「目を逸らさないで答えなさい」
引きつった顔で横を向こうとしたところを両手で押さえ、無理やりこちらを向かせる。
おずおず、といった様子で僕を上目遣いに見上げる幼馴染。
「え、えっとぉ……怒らない? 聞いても怒らない?」
「事情によります」
「お願い、怒らないって約束して! わたし、キミに嫌われたら生きていけないっ」
「確かに食物連鎖的に生きていけなさそうだけど、まぁそれは置いておいて」
「置いておかないで! 切実、それ切実だから!」
「で、何があったのさ」
話題を戻すと、途端に目を泳がす幼馴染。
なにやら逡巡するようにもごもごと口の中を動かす様子を見ながらしばらく待つと、やがて彼女は躊躇いがちに事情を教えてくれた。
「あのね、こないだ一緒にテレビ見てて、その時に秋葉原の特集してたでしょ?」
「うん」
多分先週の日曜に流れてたあれかな。確か、昼のバラエティ番組の1コーナーで出てた気がする。
「その時に犬耳カチューシャつけたメイドさんが出てきた時、キミ、すっごい凝視してたよね?」
「してません」
「嘘っ、嘘ついてもわたしにはわかるんだから! 3秒も見てたっ。わたし以外の女を3秒も見てた!」
「なんですかその3秒ルール」
「そそ、それでっ、それでね……っ」
トーンダウン。
「……犬耳になったら、キミ、振り向いてくれるかなー、って思って……」
「…………」
なんでそれで体が犬になってんの。
「あれ? だいじょうぶ?」
「むしろあなたの頭が大丈夫ですか……?」
右手で頭を覆って俯いた僕に気付いた幼馴染が、自転車を支える僕の左手を前足でカリカリと引っかいてくる。
頭が痛い。