秘密は秘密のままに
誰とも本気になれなかったのは上川も同じだった。合コンや友人の紹介で何度かデートをしたが、そのたびにあのキスの感触が蘇った。時間が経てば経つほど、鮮明になる。成り行きでも、酔った勢いでもなく、自分はあの口付けを受けたのだと思い知らされた。
上川がホームに着いた時、ちょうど向かいホームから電車が動き出すところだった。まばらな乗客の中に、こちらに背を向けて座っている呉羽の姿を見つけた。今度は振り返ることがなかった。
呉羽は今月末から長崎に出張する。リゾート・ホテルの工事が着工されるからで、こちらのプロジェクトと並行することになり、現場が好きな彼は何度も往復することになるだろう。自身で言ったように退職まで忙しいに違いなく、二人きりで過ごす機会はもうないかも知れない。
上川はベンチに腰を下ろした。ぼんやりと向かいのホームに目をやる。呉羽の残像が、自分を見ていた。
『おまえのことが好きだった』
耳に残る呉羽の声に、別の声が重なる。鼓動が少し早くなり、頬は熱を持った。
上川は自嘲気味に笑う。
秘密は秘密の中に、秘密は秘密のままに――あれは確かに恋だったと、いつか過去形で語る日が来るまで、再びその想いを上川は胸の奥に沈めた。