長脇差しの男
抜刀の型
不格好な男であった。
男が歩く度に、薄汚れた田舎木綿の羽織がみっとうも無く依れる。足に締めた草鞋はすり減って節が幾つも飛び出している。
しかし、往来の衆目が男に不格好さを感じていたのは男の見窄らしい様相にではなかった。
人々の男を見る目先は、腰に差された二本の刀にあった。
全く同じ拵えの刀が二本。
鞘の色や柄のあしらえは勿論、その長さも。よく見れば反りすらも同じであることが分かる。
それは今の時勢、あまりにも異様な風体だった。
争乱の時分ならいざ知らず今時となっては、腰に差す刀などは詰まるところが礼具であり、腰に差す刀は侍としての様式である。
人の多い都町ならば、二本差しであるなら大小の拵えを持つのが真っ当の者である、と言う美意識が町民も含めて強く芽生えている。
男に集まる視線には、無粋、不調法者、田舎者という嘲りまじりのものであった。
しかし、当の男には自身に集まる視線など意にも介さぬものだった。馴れていることもあるが、それよりも男は空腹感に頭が占められていたからだった。
何日も懐に石を抱いて空腹を紛らわした旅路から、今日の午の刻前に、ようやくと江戸の町にたどり着いたところであり、男は殆ど這々の体で飯売りを差がしているところであった。
歩きながら男は考えていた。宿も取って足を洗い、足を伸ばして寝転がりたかった、湯屋も良い、体中にこびり付いた垢や土塊を洗い流したい。しかし、なにはともあれ飯である。
男は血走った目で左右をきょろきょろと見回し往来を探すが、このような時に限って豆の歩き売りさえ姿が見えない。
事極まって、男の首が根本からぽきりと折れそうな程に左右へ頭を振っていたところで、ようやく煙の上がる掘っ立て小屋を見つけたのだった。
男は小屋に駆け込むと、小ぶりな炉に団扇を叩いている店主に鰯を一つ頼む。ぶっきらぼうな店主の承諾と共に男は一息ついた。
注文をして余裕が出た男が周りを見回すと、小屋の中には店主以外に、手伝いだろうか、年の頃の娘がいることに気がつく。
男は全く気がつかずに店主に声を掛けてしまったが、ややもして、どうやら娘が給仕の如く店主と客との間を取り次いでいるであろうことに気がついた。
少し困惑しているような娘の気色に気がついたか、男は少し顔を紅潮させる。
見たところ娘は、それなりの器量よしであった。町人である店主の娘であろうに、肌は色白く、歯並びの良い口でたおやかな笑顔を絶やさない。店主に怒鳴られ魚を取る手は流石に傷が目立ったが、それでも細くきゃさな指に見える。
男は、ほう、と言う心持ちになった。
江戸と言えば男やもめの仮住まいである。出稼ぎに来た農家の三男坊が当て処もなく暮らす町だ。武家の禄で事足りる家などを除けば娘などは男の半分も見かけぬものだろう。
それが故にも、男には不思議な感慨があった。
このような所で器量よしの娘などが働く所を見るなど滅多にないことだからだった。
しかし、それだけであった。
男の考えは直ぐに娘から魚が早く焼け上がらぬかと言うことに戻っていた。
男が店主の手元に目をやると、炉にかざされた魚は赤々となった炭火の強い火力で、ばちばちと身の脂を弾けさせ間もおかずに色が変えていく。
香ばしい臭いがし始めたと思うが速いか、男は串に刺さった鰯を手渡された。
所々に焦げたむらのあるなりだったが、それが男には一層香ばしげに見える。
男は溜まらずに、鰯の背に噛みつく。
首元の肉に歯が食い込むと共に男の口内に魚の脂があふれ出してくる。男は思わず舌鼓を打ちそうになるのを堪えて囓り取った肉片をゆっくりと囓り始めた。口を開けば香りと共に味が飛び去っていくようだった。
男は惜しむように一欠片を何度も咀嚼し味を確かめる。かみ続ける度に味がしみ出してきたが、すぐにさもしく感じ一息に飲み下した。
魚の背を尻尾へと囓りきると、そのまま尾ひれから腹側の肉を囓る。腹の身はあまりに柔らかく、直ぐに身が崩れてしまったが、口の中に油が溢れるばかりに溶け出し、鰯の強みのある味と共に広がってくる。
粗方の身を喰いきって、男は骨に残った小さな肉を惜しそうに囓りながら、やはり魚の美味いは尻の肉だ等と考えていた。
一頻り骨を歯で梳くと、物足りず指に付いた塩の欠片をねぶってしまう。
とにかく、この程度では腹がこなれもしない。男は手の串を放ると、鰯をもう一尾注文した。
直ぐに焼き上がった鰯を、男はまたも背から食いつく。そこで、なにやら騒々しい音が近づいてくることに気が付いた。
往来の人が中央から割れ、ぎゃあぎゃあと騒がしい若者が三人程現れた。身成の良い若者が泰然と先を歩き、その横にへつらうような笑顔を見せながる男が二人供だっている。
中心の若者は背丈の五尺半程度、肩幅も広く、それなりの大男に見え、歩き方も堂に入りて、中々の屈強者であることが道行く人々にもわかる。
その上に、それなりに整った顔もしていたが、どうにも浅ましい表情が顔に張り付いてしまっていることが一目に分かった。
若者は男が鰯を食している店の前に止まると大仰な声を上げる。
「おお、今日はここにおられたか。せんよ。」
「はい……、いらっしゃいませ。上野の若旦那様。」
若者は店の娘に声を掛け、娘もそれに答えるが、せんと呼ばれた娘の顔は張り付いたような笑顔を浮かべている。
「今日こそ色よい返事をもらえるだろうかな。」
「あの、それは……。有り難い求めなのですが、私などではとても。」
「なに、ただの奉公だ。そう気構えるようなものではない。」
「ですが、そのう。」
一連の会話に男は悟った。
なんのことはない。若者は娘を妾奉公を求めているようであった。このように大っぴらに求めるのは流石に明け透けすぎるが、町娘が妾方向に求められるのは、さほど珍しいことではない。
「不安かも知れぬが、なに奉公と言っても我が島崎家に迎えるのだからな。苦しい思いなどはさせぬ。」
「しかし、私には父がいますし。」
「おぬしが奉公に来てくれれば、それなりの支度金は出せる。親父どのも潤う。困ることなど何もあるまい。なあ、親父殿。」
島崎と名乗った若者に、そんな言葉を掛けられても店主は一瞥もせず団扇をはたき続ける。ただ魚を見つめたままぽつりと一言だけ発した。
「娘の人生だ、したいと思えばすればいい。」
「流石はせんの親父どのだな。」
島崎は、言葉を承諾と受け取り喜んでいるが、その言葉は別の意味を含めているようにも男には聞こえた。
「せんよ、ようはぬしの返答次第だ。」
「しかし、私は。」
「なにか問題でもあるのか?」
「私は。」
「おい。せん。魚が切れた。」
ふいに店主が会話を遮るように怒鳴った。
いつの間にか、炉にあぶられていた魚が全て無くなっている。
せんは慌てて魚を捕りにと、小屋の奥行きへと向かった。つい島崎はそれを追おうとフラフラと小屋の中へ入る。
その流れで、ふと、みすぼらしいなりをして魚をかじる男とかち合いそうになった。
「邪魔だ。」
「そうかい。」
男は意に介さず魚の尾肉をかじる。
島崎は苛立っていた。
どうにもこうにも靡こうとしない町娘がいる。流石にもう一月である。