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コンビニ坂

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 公園は閑散としていた。夕日に照らされなくとも橙色に見えるような、乾いた土。乱雑に捨て置かれた砂場と滑り台。吐瀉物が詰まってそうなトイレ。四方は赤付きもしない黒々とした木々の壁に閉ざされている。先生の見たことのない泣き顔が浮かんだ。男の背の幻視。トイレのすぐそばに、一本のポールが立っていた。旗でも吊るすのだろうか。しかし、それはただのポールで、それ以外のものはなにも付いていなかった。黒い。見上げるほどの高さ。細い。

 老婆は、ポールから三歩ほど離れたところに立っていた。背中が小さい。大胆な背空きの衣装。背中はまた少女のように可憐。しみ一つないのがよく分かる。腰をかがめているように見えるが、もともと腰が曲がっているようでもあって、意図的にそうしているのか、やむを得ずそうなっているのか、判然としなかった。ポールに向かって拝んでいるようにも見える。私は立って、それを見ている。まだ少し距離があるので、老婆の手がどうなっているのかよく分からない。汗に濡れた右手でズボンのポケットを漁ると、どこかで拾ったパチンコ玉がつるんと指の間で滑った。

 ポールは聳えていた。老婆はかがんでいるように見えた。影が伸びる。ポールの影が伸びる。やたらと太く見えた。そそり立つ黒い影。私はそれを避ける。途端に、身体がぐっと膨らむような錯覚に襲われた。憎悪がこみ上げてきた。激しい感覚だ。全身の、なにかの流れが、イレギュラーに、いつもと違うように、まるで乱れたように、なった。動物磁気がなにかと共鳴している。恐らくそれは怒りだった。幼い頃に私からおもちゃを取り上げた意地悪な男の子に怒っているのか? 私はなにも悪くなかったのに。私には何も残らないのか? 楽しそうに遊んでいる男の子。いや、私の横顔。首を絞めようと汗ばんだ両の手がのびる、それは彼の首筋を捉えているか? いやそれは私の首筋、もしくは大気に満ちるエーテル、混ざり合った諸々の動物磁気。人々の溜息の総体。私の心臓は激しい一撃を身体の内側に叩き付ける。逃げなければ。手から汗が馬鹿みたいに吹き出す。身体は動こうとしている。それがむず痒い。もう両の手はどこにも届かない。

 俄に、老婆の身体が弾けたように見えた。四方八方に血が飛び散った。幸いそれは私のスニーカーの先端を汚しただけだった。うなじがむず痒い。私の心臓はもうどこかに行ってしまったようだ。老婆は、身体中から妙な肉の角を生やして、その肉の角が地面に突き刺さったおかげで、かろうじて立っていられるのだった。華奢な老婆が、大きく両手を広げた大男のようにも見える。肉の角のせいだった。そして、しばらくの間角の付け根からそれこそあちこちに、水を満タンに入れたビニール袋のあらゆるところを突き刺したように、血の筋を吹き出しはじめた。すさまじいいきおいで、びちゃびちゃと地面に叩き付けられる。それがおさまると、橙色の地面に張りついた血だまりがボコボコと沸き立って、泡が生じ、弾けたところから翠色の光の粒になって、ふわふわとあたりに立ち上りはじめた。陽がさらにおちて、光の粒はより鮮明な輝きを放つ。蛍の群れだ。あの血から生まれたのだ。人間の血はたっぷりのアスマを吸い込んでいると、オカルチストは言う。そこから、私の血から魂を、感情の渦を吸い取って、蛍は生まれ、どこかに飛んでいくのだ。あの光は動物磁気だ。血はうまいことポールに降り掛かるのを避けていたから、まるでポールを包み込むように蛍の群れが飛び立っていく。私の溜息が、アスマが、血が、動物磁気が、無垢なる世界の心に溶け込んで行く。あるいはまた、角によって空けられた老婆の身体の穴から、世界の吐息が私の内側に入り込んで行く。額が風に冷える。ポールの暴力的な影が、私の身体を覆い尽くしている。私はしばらく、夜の方向へと飛び去っていく蛍の群れを眺めていたが、やがてポールの影から飛び退くようにして逃げ、コンビニに向かった。 肉まんとチキンとマルボロを買い、いつものように婦人誌を三時間ほど立ち読みしたあたりで、ガラが悪そうなくせに口調が馬鹿丁寧な店員に咎められてしまった。手が大きく、小指までもがごつごつしていて、皮が堅そうだったのを覚えている。

 二週間後、季節外れの蛍の群れを見たという愉快な怪談を異能科学的に調べるために、小白川先生が私の住む街を訪れたが、風邪のせいで結局会うことが出来なかった。オカルト記者として、そのことだけが今でも悔やまれる。
作品名:コンビニ坂 作家名:不見湍