月に叢雲 花に風
記憶は振り下ろされた一太刀から始まる。
今のように、闇色の中に瞬く真白い一閃。自分の手に握られた白い白い煌き。
その記憶が本当に私の始まりなのかどうか、知る術はどこにも存在しない。
ぼんやりと霞の中にいるような。辛うじて過ぎる、セーラー服に身を包んで太陽の下を歩いた記憶も、森の奥で鷺を追いかけた記憶も、結局はただの幻惑かもしれない。
世界は知らないことばかりだ。その無数のものに埋もれて、私個人さえも分からないことが些細なものに思える。
私が今、確かに得られるその現実は、
影に歪む夜の渾沌と、傍らで微笑む白い男と、
そして、この手に握られた一振りの日本刀。
全ては闇と光。闇の中で光が生まれ、光の中で闇が息を吹き返す。
その秩序を乱してしまわぬように、私は闇の中で光を振るう。
ゆえにある者は私を天使と呼び、ある者は私を死神と畏れる。
私と同じで、その正体を知らないまま、一方的に空想を築き上げる。
闇は魔物だ。夜に蠢くものは闇。
人の精神を喰むのが魔物。
ではその闇を葬る私は何者なのだろう。
「じゃあ戻ろうか。唯」
『唯』。それが今の自分を表す記号。
時折彼が皮肉を込めて呼ぶ通り名ではなく。
誰かが授けてくれた、私が私であり続けるための免罪符。
刀を鞘に戻した。
またどこかで闇が啼いた。
彼が頷く前に、私が動く。
ころころと鳴るのは、柄に下げた魔除けの鈴の音。
「まだ、夜は長いの」
夜に蠢くものは闇。
私自身が闇でないと、一体誰が証明してくれるのだろう。
終