イカズチの男
「桜ァ、散ったぁなあ」
音川は俺の隣に腰掛けて、俺と同じように周囲を見渡した。
黒と白の二人組。広場を歩いていく女子高校生達が黄色と言わず蛍光イエローみたいな笑い声を上げてこっちを見ている。
俺に比べて音川は徹底していた。
俺たちの約束は、「お前は黒、俺は白の目立つ格好で」という、めったに他人様と交さない約束だった。色指定は単純にお互いが持っているコートの色がそうだったからだ。コートの中身までは言ってない。だから俺は赤い竜が背中にプリントされた白いTシャツと、洗いざらしのストレートを履いている。
だけど音川はすべてにおいて黒かった。この上腹の中まで黒かったら、完璧だ。
「体内は黒いの」
「煙草キライ。」
そう言うといかにも裏がありそうに、唇の右端だけを吊り上げてにやりと笑った。食えない。
サングラスを外して顔を見ると、ヤツの顔は、女子が好きそうな中性的というやつに思えた。サングラスと帽子のせいで、その顔は判りにくい。声も女が嫌がりそうな油っぽさはないし、年の割に高めで美少年というのが似合う。背もそれなりに、と思ったら、ブーツの底が鯖読みを強調していた。生身だと一七〇ないようだ。
「このまんま温暖化が進んだら、若葉の頃にご入学ってことになるよなあ絶対。んで梅雨は消えるよ。よし賭けろ。俺四百円」
外見は全然違うから、俺たちって精神的双子?
だけど奴の方が羽振りは良し。
俺たちは駅前のローソンでそれぞれ好きに物を買い、ぶらぶらと目的地に向かって歩き始めた。鮭お握りを頬張りながら無言で歩いていると、音川が突然、
「鮭くれ!」
叫んだ。
余りの剣幕に圧されて、俺はあたふたと鮭の塊をお握りから取り出し音川に手渡した。受け取った音川は見事なフォームで、
「ぅおりゃっ!」
俺はぽかんとその様を見守っていた。投げる姿に見とれていたとか、そんなんじゃない。なんとこいつは夜道を散歩中だった野良猫に向かって、力一杯、鮭を投げつけたのだ。貼りついていた米粒がコンクリにすっ飛ぶ。
猫はこの奇襲に(本当奇襲だよ)人間のおっさんの挨拶みたいな悲鳴を上げると、勢いよく俺達から遠ざかり、闇に消えた。その場には、衝撃に形の崩れた可哀想な鮭が残された。
「なにやってんだよ!」
ようやく声に出して突っ込むことが出来た。音川は腰に手を当てると、
「大好物に襲撃されたら、怒るのか喜ぶのか知りたかったんだ。怒ったなぁ、滅茶苦茶。俺としては物凄い複雑な表情を浮かべて、迷ってからすごすごと鮭をくわえて逃げて欲しかったんだけど」
呆れて笑いが止まらなかった。
猫相手に渾身の力で鮭をぶつける人間、初めて見た。
■
目的地、中学校の講堂に到着した。正確にはその前に立ち塞がる正門だ。
当たり前だが『学校関係者以外立ち入り禁止』の看板とともに、施錠はバッチリだった。けれど手も足も成長した俺たちにとって、正門は精々顎の下くらいまでの高さしかない。教員用の裏門なら開いているかも知れないが、誰かと鉢合わせする可能性が高い。
「そういえば、お前ってこの中学の出身?」
暗闇とすっかり同化している音川は軽く頷いたようだった。通学路だってのに、相変わらず街灯の少ねえ都市財政の厳しさが選挙権を持つこころに沁みる。
この辺りは例に漏れず少子化で、俺たちの代で一学年三クラス程度だった。 同学年の奴なら、親しくはなくても顔くらいは知っているはずなのに。
「何組だった?」
「よっしゃ、登りましょお。競争!」
そう言うと、黒いコートを羽根のように翻して、あっという間に正門を飛び越えてしまった。正門を挟んで、足踏みをしながら笑っている。
シカトかい。いいけどな別に。
この妙な関係は、相手のことが分からないからこそ成立する気もした。
落雷の衝撃は、一瞬だけ光る閃光だから格好良いんであって、専門家に雲とか光のメカニズムを解き明かしてもらいたい訳じゃない。
音川の身のこなしを披露された後では激しく格好悪く俺はよじ登った。
下手なことして骨を折ったりするよりマシ。
「あ」
「え?」
「こらっ!」
真っ白いコートでゆっくりと正門破りをしていた俺は、あっさり御用となった。