アダムとトヨタ
積み木遊び(3)
だから、トヨタが刺された時は世界が終わるようだった。唐突に幕が落とされたように、目の前が真っ暗になる。全身の血がすとんと爪先まで落ちて、感覚が完全になくなった。視界が明るくなったときには、地面に血まみれの女が転がっていた。拳に赤黒い血がこびり付いていて、その汚らしさに吐き気を覚える。そうして、腕の中には、段々冷たくなっていくトヨタがいた。傷口を押さえた指の間から、赤い血が泉のように湧き出てくる。
ああ、ああ、あぁあぁあああぁぁぁぁ、トヨタが死んでしまう。
慟哭があがった。咽喉を嗄して叫ぶ。
「トヨタが死ヌ、ダラ、ボク、死ヌ!」
僕の宝、僕の命、世界で一番大事な僕の子供―――!
救急車で運ばれている間も、僕は泣きじゃくっていた。だけど、救急隊員のたった一言が僕を現実に呼び戻した。
「お子さんの血液型は?」
トヨタの血液型はO型だ。僕の血液型はAB型だ。別にただの血液型だ。血液型が違う親子なんて幾らでもいる。だけど、その瞬間に、僕はトヨタと自分が親子ではないことを痛烈に感じた。僕はトヨタの父親じゃない。父親ごっこにトヨタを付き合わせているだけの、ただの寂しい男だ。
僕は、自分がどれほど脆い積み木の上に立っていたかに気付いた。トヨタと僕は、親子どころか本当は他人でしかない。気付いた瞬間、僕はもう打ちひしがれるしかなかった。僕の独りよがりにトヨタを巻き込んで、温かい養父母のもとで暮らすという未来を奪った。僕のせいで、トヨタは女に刺された。僕はトヨタの未来を食い潰す害虫だった。
それでも、どうしても僕はトヨタを手放すことが出来ないのだ。僕は、トヨタを愛していた。それが親子の情なのか、それを超えたものなのか、もう自分自身解らなかった。僕は、トヨタを愛している、誰よりも。
だから、トヨタに恋人にして欲しいとお願いした。額を畳に擦り付けて、「一生、オネガイ」と惨めったらしく何度も繰り返した。トヨタは、始めは戸惑ったように僕をじっと見ていた。困惑した声で、何度も無理だよと諭された。男同士だし、親子なんだから、恋人なんかなれるわけがない。だけど、僕は諦められなかった。トヨタと少しでもいいから関連性が欲しかった。いつかトヨタが僕らが親子じゃないと気付いたとき、離れて行かないように。
五時間の押し問答の末、結局はトヨタが折れてくれた。躊躇いがちに僕の頬へと伸ばされたトヨタの指先が震えていたことを、僕は一生忘れない。それは僕の罪だ。
細い腰を抱きしめて、中に押し入った時、トヨタが「わああ」と声を上げて泣いた。両腕で顔を隠したまま、子供のようにしゃくり上げて、トヨタが泣いていた。父親だと思っている男に抱かれるのは、どれほどの痛みや苦しみを伴うのか、僕には想像もつかない。僕はトヨタの奥深くに入ったまま、溺れたようにトヨタを抱きしめた。トヨタの胸元に額を押し付けて、口に出来ない懺悔を唱える。代わりのように繰り返し呟いた。
「トヨタ、アイシテる、アイしてル」
許してとは言えないけれども。