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せき あゆみ
せき あゆみ
novelistID. 105
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一夜の森──ひとよのもり──

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「そうじゃよ、お若いの。みんな空気を吸って生きてるじゃろう。動物も人間も、植物も昆虫も。その空気をつくりだしているのは?」
と、聞いたのです。
 でもぼくはすぐにことばがでませんでした。息をするのは当たり前すぎて、いちいち考えたこともなかったからです。電気や機械で便利な生活をする方が、より人間的で高度だと信じていたのです。
「えーと、しょ、植物です」
 ようやく答えると、みんながまた声を揃えました。
「そのとおり!」
 それからママさんがカウンターにほおづえをついて、遠くを見るような目をして言いました。
「森のみどりがきれいな空気をつくりだして、地球をおおっているんです。もう、気の遠くなるような大昔から……」
 やさしい沈黙が少しの間、店中を包みました。

 ところがふいにツネモトさんがその沈黙を破ったのです。
「その命の源である森で、命を捨てようなんていうふとどきなやつがいるんだよね」
 すると、オノさんが甲高い声で、
「そんな人は、おしりぺんぺんですわ」
といったので、ぼくはびくっとして思わず身を縮めました。すると、そんなぼくを見てタナカさんが聞きました。
「おや、きみ。どうしたんだい?」
「い、いえ、なんでも」
 あわてたぼくは残ったお茶をいっきに飲もうとして手がすべり、ガチャン! と、カップを落としてしまいました。
「す、すみません。ごめんなさい」
 割れたカップを拾おうと、あわててしゃがんだぼくに、手伝おうとして手を伸ばしたクロキさんがそっと耳元でささやきました。
「どう? 考え直したかい?」
「え?」
 ぼくがきょとんとしていると、ママさんもそばに来て、肩をぽんと叩いたのです。そのとき、イノさんが叱るような口調で言いました。
「いくじがないのさ。ちょっとやそっとのことで死のうなんて」
 はっとしてぼくはイノさんの方を見ましたが、みんなはかまわず話を続けています。アカメさんの奥さんは同情的でした。
「だけど、今はたいへんよ。せっかく就職してもリストラなんてあるし。未来に絶望して死にたくなるのもわからなくもないわ」
「それでも生きていれば、必ず何かみつかるものですよ。生きがいが」
 シマさんがまるで諭すように言いながらぼくをみると、みんなの視線がいっせいにぼくに注がれました。
 なんということでしょう。ここにいる人たちには全部お見通しだったのです。
「そうさ。自然はまわりまわって、それぞれが大切な役目をしている。どんな小さなことでもひとつだって欠けてはいけないんだ。人間の社会だって同じことさ」
 クロキさんがぼくの肩に手を置きました。大きな大きな温かい手です。
 みんなのことばはまるで水のようにぼくの胸にしみこんで、涙があふれて止まらなくなりました。他人の思いやりに感激して泣くなんて、生まれて初めてのことです。
 ママさんが新しくお茶を入れてくれました。
「どうぞ。今度はキンモクセイの花のお茶」
 ぼくは黄金色のそのお茶を、ゆっくりとすすりながら目を閉じました。
 キンモクセイの豊かな香りは、身体中をつつみこんで、いやなことをみんな忘れさせてくれたのです。

 目を開けると、ぼくは大きなブナの木の根元にたったひとりですわっていました。空が白んできて、もやが立ちこめています。
「ママさん。みんな!」
 ぼくの声は森の木々にこだまして、しだいにざわめく葉ずれの音にかき消されていきました。
 奇妙なできごとでしたが、ぼくは素直に信じる気になりました。というのも、森の清涼な空気が力をくれたような気がしたからです。
 そうしてぼくは、とりあえず家に帰ろうと、朝もやの中を歩き出しました。ところが、方向もわからずやみくもに歩いたため、足を滑らせて土手を転げ落ちてしまいました。
 ずでーん!
「いたたたた」
 お尻をさすりながら立ち上がると、頭の上でクスクス笑う声がします。見上げたぼくは痛みも忘れるほどびっくりしました。
 なんと! 土手の上から顔を出したのは、クマにタヌキにキツネにシカ。それとイノシシ、オコジョにウサギです。木の枝にはシマリスとサルとフクロウがいました。
「ま、まさか。きみたちが!」
 ぼくは急いで土手をはい上がりました。
 けれど動物たちはさあっと逃げてしまったのです。追いかけましたが、さっきのブナの木のそばで見失ってしまいました。
 ぼくはブナの梢を見上げて言いました。
「ありがとう。ママさん、みんな……」

 ぼくは晴れ晴れとした気分で家に帰りました。みると、おしりには赤ちゃんのような青いあざができています。生まれ変わってやり直せというメッセージなのでしょうか。
 実際、新しい仕事を見つけ、その仕事になれたころ、あざはきれいになくなったのです。
 ぼくは郊外の木造の家に引越しました。といっても、古くて割安の借家です。
 なにもかもじぶんでやる不便さはかえって気持ちよく、ぼくは以前よりずっと健康になりました。

 あれから2回ほど秋がめぐってきましたが、最近ぼくはあることに気がつきました。
 それは、満員電車の中でいつも見かける顔ぶれの中に、急に生き生きしてきた人がいるのです。
 そういう人がひとり増えるたびに、ぼくはうれしくなって、こう思うのです。
 きっと、あの森に行ってきたに違いないと。