フランケンシュタイン
「ったく、タレントがタレントなら、ファンもファンだぜ。こんなことがまたあるようなら、三島の奴を切るぞ。どうせあんなアイドル俳優、使い捨てだ」
茅野は大股に出て行った。おれを見ようともしなかった。
「さあ、こい」
スタッフがふたりがかりでおれを立たせる。抵抗する気も起きなかった。強引に部屋を追い出され、足元がふらつく。前のめりに倒れかけたおれを、数人の女性社員が派手に飛びのいて避けた。あからさまに笑い声を上げる奴もいる。
怒りと絶望に、顔を上げることもできない。動けずにいるおれの腰を、だれかが蹴り上げた。
「ほら、不細工、さっさと行けよ」
笑い声が大きくなる。涙がこみ上げてくるのを、おれはじっと耐えた。
「この野朗。警察に突き出してやる。こい」
警備員に腕をつかまれ、おれは呻いた。
「待ってください」
突然、人垣が割れた。スポーツ刈りの頭にタオルを巻いた長身の男が、体を押し出すようにして出てきた。あのADだ。
「そいつ、おれの友達です。見学してみたいっていうんで、連れてきたんすけど、はぐれちゃって」
小沢は警備員に向かって頭を下げると、おれの両肩に手を添えて、ゆっくりと立たせた。
「だいじょうぶか、田中? 勝手にうろうろしちゃダメだっつったろう」
なにもいえなかった。俯くおれを促すようにして、小沢はもう一度頭を下げた。
「ほんと、すいません。ご迷惑おかけしました」
「こういうことは困るよ」
「申し訳ないっす。よくいっておきますんで」
何度も頭を下げながら、小沢はおれの背を押してエレヴェータに乗り込んだ。扉が閉まるまで、無数の人間の侮蔑の視線はおれを刺し続けた。
「ありがとうございました」
「え?」
「助けてくれて、ありがとうございました」
「ああ、べつにいいよ。嫌いなんだ、弱いものいじめ。そんだけ」
テレビ局の外に出ると、小沢は大儀そうに首を捻った。関節が小気味いい音を立てた。
「けど、あんたも、反省しなよ。テレビ局に勝手に入ったりしたら、通報されても文句はいえないんだからさ。タレントを生で見たい気持ちはわかるけど」
いいわけする気は起きなかった。黙っているのを落ち込んでいるのと勘違いしたのか、小沢は困ったように後頭部を掻いた。
「おれにはどこがいいのかわからんけどね、あんな偉そうな奴」
「三島くんのこと、嫌いですか」
「嫌いってわけじゃないけど、気にくわんな。ちょっと顔がいいからって、周りの大人をゴミみたいに扱いやがってさ」
「……」
「あ、悪い。あんた、ファンなんだよな」
「ぼくは」
声が震えた。かろうじて、いった。
「ぼくは、このとおりの顔ですから」
「なにいってんだ」
小沢は笑いながらおれの肩をどんと突いた。思わず噎せるほど乱暴な手つきだったが、敵意は少しも見られなかった。
「あんた、三島なんかより全然いい男だって」
嘘も同情もない、率直な言葉だった。
「じゃ、気をつけて帰んなよ」
もう一度おれの肩に手を置くと、小沢はのんびりした足取りで局に戻っていった。
涙をこらえることができなかった。おれはその場にしゃがみこんで、たぶん生まれて初めて、大声で泣いた。
カットの声がかかり、おれは肩の力を抜いた。
「お疲れ様でしたあ」
「よかったよ、三島ちゃん。いつからこんな演技できるようになったのよ」
監督が満足げに頷く。多少大袈裟すぎる賞賛ではあったが、決しておべっかではない。
「昔はひどい大根だったのにね」
「やめてくださいよー」
「ほんと、ほんと。仕事にも前向きだし、このまま行けば、名役者になれるって」
「そんなことないですよ、おれなんか」
他愛ないやり取りを続けながら、スタジオ内に視線を配る。頭にタオルを巻いた長身を見つけると、鼓動が大きくなった。
「すみません、ちょっと失礼します」
監督に目礼して、セットの階段を足早に降りる。
小沢はスタジオの隅で小道具を整理していた。その傍らにサルが腰を下ろして、作業を眺めている。
「ねえ、小沢ちゃん、今度、青山のクラブでイベントがあるんだけど、行かない?」
「いや、おれ、そういうのはちょっと」
「ごめん、いいかな」
サルが振り向く。露骨に嫌な顔をしたが、おれが微笑んでみせると、不承不承場を離れた。おれをほったらかしてひどい目に遭わせた負い目があるのだ。
「あのね、小沢くん、もしお邪魔じゃなかったら……」
「邪魔です」
「あ、そう。そうだよね、ごめん」
小沢はおれに背を向けたまま、黙々と小道具のランプを磨いている。広い背中を見つめれば見つめるほど、胸がしめつけられた。
「その……撮影終わったらさ、飲みにでも行かない? 相談したいこととかもあるし」
無意識に早口になってしまっていた。中学生でもあるまいし。羞恥心に殺されそうだ。
「この近くに、旨いフレンチの店があるんだ。もし暇だったらでいいんだけど、どうかな。奢るよ」
小沢はゆっくりと振り返った。視線を受け止めることができずに、俯いた。
「茅野Pと別れたそうじゃないっすか」
「あ……うん、まあね」
「ADなんかに取り入っても、一文の得にもなりゃしませんよ」
言葉が出なかった。黙り込むおれを見て、小沢は困ったように頭を掻いた。
「居酒屋で割り勘なら、いいっすよ、付き合っても」
「え……」
顔を上げた。ペンキと照れ笑いのこびりついた顔が、楽しげにおれを見ていた。
「さっきのシーンですけど」
「うん」
「悪くなかったっすよ」
生まれつき美少年といわれた。数えきれないほどの賞賛の言葉を浴びて生きてきた。しかし、これほどまでに嬉しい言葉はなかった。
「三島さん、お願いしまーす!」
「呼んでるよ」
「そう……そうだね」
小沢は大儀そうに腰を伸ばして、立ち上がった。おれの肩に手を添えて、立たせる。
「ほら、頑張れ」
大きな手にどんと背中を突かれ、おれはスポットライトの下に飛び込んでいった。
おわり。
作品名:フランケンシュタイン 作家名:新尾林月