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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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月の雫

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 森を抜け出そうと走り出した彼らであったが、彼らの行く手は木々たちがまるでそれを阻むかのように立ちふさがり、なかなか森を抜け出すことができなかった。
「他の道は無いのですか?」
詩人は前を走る女性に問い掛けた。しかし、彼女の答えは不思議なものであった。
「今はどこも同じです。森を出るまで木々たちは私たちの行く手を阻むでしょう」
「どういうことですか?」
「動物のように植物もちゃんと自分の意思を持っているのよ」
「私には貴女の言っていることがさっぱりとわからないのですが」
「この森は他の森よりも意思を強く持っているの。人間と同じで考えて行動することができるのよ」
「そんなまさか!」
詩人は声を少し張り上げた。そんなことありえるはずがない、考えることのできる森があるなど、とても信じがたいことだった。
 しかし、詩人は自分の考えを改めた。なぜならば彼女が言うことはどんなことでも真実のような気がしたからだ。
 そんなことを考えていた詩人の瞳に衝撃的なことが映し出された。
 木々たちが詩人にも明らかにわかるように動き出したのだ。木の枝はぐんぐんと伸びていき女性の体に大蛇のように巻きつき、そのまま女性の身体を持ち上げ宙吊りにしていまった。
 女性は声を張り上げ詩人に助けを求めた。
「詩人さん、早く助けて!」
助けを求められた詩人は困惑の表情を浮かべた。
「私は体を動かすことが不得意で貴女をどうやって助けたらいいのやらわかりません」
「だいじょうぶ、貴方ならきっと私を助けられるでしょう……!?」
女性が詩人に手を伸ばした瞬間、彼女の身体が不意に後ろに引かれた。
「きゃーっ!」
「あっ!」
詩人は差し伸ばされた女性のしなやかな手を掴もうとしたが、あと一歩というところで空を掴んでしまった。
 女性の身体は木の枝に引きずられ、その姿は闇の奥へと消えていく。詩人は女性を見失わないように懸命に後を追い、そして詩人が辺りの様子に気づいた時には彼はコバルトブルーに輝く木々たちに囲まれた広場にいた。
「ここは……?」
詩人が小さく呟くと、何処からとも無く老人の声が聞こえた。
「禁断の森の最深部、決して人間の足を踏み入れてはいかん場所じゃ」
詩人はしゃがれた声がした方向を振り向いた。するとそこには、あの女性ともうひとり、杖を持ち立派な白ひげを蓄えた小柄な老人が立っていた。
 女性の身体はもうすでに木の枝から開放され自由の身となっている。
 詩人は老人に問うた。
「貴方は?」
「わしはこの森の長でおり、この森に住む全てのモノの父じゃ」
「詩人さん、森の外に出る夢はもう叶わないみたいだわ」
女性は悲しそうな瞳で詩人を見つめた。
「どうしてですか?」
「森の外に出ることはわしが許さん」
きっぱりと断言した老人に詩人が食って掛かる。
「彼女は外に出たがっている、その夢を貴方は何故叶えてあげないのですか?」
「森の外に出ることはこの森の掟に反する」
その言葉を聞いた詩人は突然、女性の手を掴み走り出した。
 女性と老人は突然のことに目を白黒させてしまった。

 夜の闇はその深さを増し、月明かりを纏った森は幻想的に輝き、そして蠢く。
 詩人は女性の手を引きどこまでも続く深き森の中を走る、力の続くまで……。それを森が阻む、森に住む全てのモノが彼らを、彼らの行く手を阻み苦しめる。
 木々がざわめき、枝が伸び彼らに遅いかかる。しかし、彼らの足は止まることなく、傷つきながらも大地を蹴り走り続けた。
 そして、ある時、彼らの行く手を阻む森の戦士たちが姿を現した。狼だ、狼の群れが二人を取り囲んだのだった。
 狼のひとりが言った。
「その娘を森の外に連れ出すことは許しがたき大罪である」
他の狼も口を開き言葉を紡ぎ出した。
「森の掟を破る者は万死に値する」
狼たちが声を合わせ合唱する。
「《咎人に死を……咎人に死を……》」
「なぜです、なぜこの人を連れ出してはいけないのですか!」
詩人の問いに狼たちはまた合唱を始めた。
「《おまえは知らぬ……悲劇を悲しみを……森の苦しみを……この森で起きた過去の記憶を……森を出た者は幸せになれはしない……咎人に死の償いを!》」
狼たちが詩人に一斉に牙を向け爪を立て襲い掛かる。詩人の身体は傷つき、鮮血がとめどなく滴り落ち大地を潤す。詩人は大地に身体を埋めた。
 女性は詩人に覆い被さるように彼を守りこう叫んだ。
「やめて!! もう、やめてくだい」
女性の叫びが静かな森に響き狼たちの動きを止めた。そして、女性は言葉を続けた。
「そのひとは悪くありません、悪いのは私、森の外に連れ出してくれるように誘ったのは私なのだから」
狼のひとりが口を開いた。
「娘よ、時間は久遠ではない。この先には悲劇が待つ、それでも行くのか?」
「行きます」
狼のひとりが口を開いた。
「ならば行け」
別の狼が反論を唱えた。
「それは許せぬ、森を出る娘に死を与えよ!」
狼のひとりが女性に襲い掛かり、その鋭い爪でドレスを裂き、左胸が裂け、白磁の肌からは鮮血が噴出し純白のドレスを紅く染めた。
 詩人の口元が微かに動く。
「お…おかみ…たちよ、私の声を聞け!」
詩人はゆっくりと身体を起こし、息を切らしながらも言葉を詩を歌い始めた。

 我はいく…… 自らのために
 我はいく…… この身が傷つこうと
 我はいく…… 貴女との約束を守るため

 私は許さない…… あなた方を
 私は許さない…… 自分自身の無力さを
 私は許さない……
 そのために我はいく……
 全てを敵に回しても

 狼たちの半分が合唱した。
「《ならば行くがいい!》」
狼たちの残り半分が反論した。
「《許さぬ》」
「彼らは行かせる。否と言うのなら我らが相手になろう。さぁ娘を連れて行くが良い」
詩人は女性の手を引き大地を強く蹴った。しかし、狼たちがそれを阻もうと彼らの前に立ちはだかる。だが、残り半分の狼がそれを許さない。
 詩人は女性の手を引き無我夢中で走った。決して後ろは振り返らない、狼があのあとどうなったのか詩人は知らない。知っているのは全てを見届ける月光のみだった。
 森が彼らの行く手を阻むことは無くなり、そして、程なく二人は森の出口が見える場所に辿り着くことが出来た。
「もうだめだわ、身体が言うことを聞かないの」
彼女の息遣いは乱れ今にも倒れてしまいそうな青白い顔をしていた。
 彼女はそれでも詩人に手を引かれ歩き続けた。
「もうすぐです。ほら森の出口が見えて来ました」
「ごめんなさい、やっぱり私森の外には行けそうにないわ」
詩人の手から彼女の手の感触が消えた。詩人は思わず後ろを振り返ったがそこにはもう彼女の姿はなかった。
 詩人は一生懸命辺りを隈なく見回したが彼女の姿はどこにもなかった。
 詩人は肩をがっくりと落としうつむき下を見たするとそこには一輪の花が、純白大輪の花が落ちていた。
 詩人は落ちている花を拾い上げ鼻に近づけた。
 その花の芳しい匂いはあの時のそれだった。詩人と女性が初めて出逢った時に彼女の髪から風に乗って来た香と同じものだった。
 花の香は詩人の鼻を伝わり身体全体を満たしていった。そして、詩人の目からは大粒の涙が頬を伝い地面に零れ落ちた。
作品名:月の雫 作家名:秋月あきら(秋月瑛)