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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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梅の咲くころ

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名主だったのは過去のこと、今や草木も育たぬ山奥に追いやられ、人々からも忘れ去られた我が家系。すでに私も、そして我が両親も、先祖の威光など知らずに育った。故に今の生活に何の苦もない。
 両親はすでに他界し、山を降りる気もなく、嫁を取る気もない。私が死ねば我が家系も途絶えるのだ。それもまた運命。
 草木もあまり育たぬこの場所だが、我が屋敷の裏手には梅園がある――先祖の残してくれた宝だ。
 先祖の誰が作った物かは知らないが、この場所に水を引き、土の遠くから運んできたのであろう。その苦労は計り知れない。
 私は梅の咲く時期になると、その梅園で琴を奏でる。
 男なら文武に励むべきだろうが、この場所に私を咎める者は誰一人としていない。
 母は琴の名手であった。私を身ごもっているとき、この梅園でよく琴を弾いていたのだと云う。おそらく、私が琴を好む理由は、母の影響であることは間違いないだろう。
 繚乱と咲き散る爛漫の梅花の下、私は琴を奏ではじめた。
 我が調べが微風嫋々に乗る。
 梅香もまた調べと変わる。
 幾重にも入り乱れる響きというべきか、この風景が我が演奏の一部となるというべきか、琴の音色が風景の一部に取り込まれるといったほうが正しいかもしれない。
 しばらく演奏を続けていると、来客が姿を現した。
 彼らはこの時期になると、私の演奏を聴きにやって来る。いつの時代から姿を現すようになったのか、それは定かではないが、彼らは私が物心つくようになったころには、すでに母の演奏を聴きに来ていた。
 やって来るのは老若男女。日のよって来る者も違えば、人数もまた違う。彼らはおそらく演奏の善し悪しや曲目によって、聴きに来るかどうか決めているのだろう。
 母がまだ健在だった頃、梅の時期となれば、それは御祭り騒ぎであった。それほどまでに母の演奏は素晴らしかったということだろう。
 彼らは私たちが彼らのことを見えていないと思っているらしい。実際、母や父は彼らが見えていなかった。しかし、私は幼い時分から彼らが見えていた。
 見えていないと思っているのならば、こちらが見えているとわざわざ示して、相手を驚かせる必要もあるまい。万が一、それによって彼らが姿を見せなくなるかも知れない。だから私はいつも気づかないふりをしていた。
 しかし――。
 私が演奏に集中していると、目の前に幼気な少女が現れた。
 紅梅色の羽織袴を風で遊ばせながら、少女は私の前であれやこれやと飛び回る。
 終いには私の顔を覗き込んでくる始末だ。
 弦を弾く爪が乱れた。
 少女が笑う。
 誰のせいとも知らずいい気なものだ。
 私は気を取り直して演奏を続ける。
 だが、あろうことか、先ほどよりも近くで私の顔を覗き込んできたのだ。
 さすがに演奏どころではなくなり、調べは乱れ狂い躍る。
 堪らず私は少女を睨んでしまった。
 少女は驚いた顔をして私の顔を見つめると、すぐに飛び退いて、少し離れた場所から私のことをまじまじと見ている。
 私はしまったと思い、何食わぬ顔をして琴を奏でた。出来る限り、少女と目を合わせずに、演奏に集中する。
 しかし、少女はまたもや私の傍に近付いてくると、私の顔を覗き込みながら言ったのだ。
「妾が見えておるのかえ?」
 もちろん私は返事をしなかった。
 すると、少女は駄々をこねはじめたではないか。
「妾が見えておるのだろ、見えておると言わんか!」
 私は無視をし続けたが回りはざわめきはじめた。
 少女の言葉によって、ほかの彼らも私に疑問を持ちはじめたのだ。
 老人の姿をした者が少女に近付いた。
「人間にわしらのことが見えるわけがなかろう。ぬしの気のせいじゃ」
「絶対見えておる、こやつは妾たちを騙しておるのじゃ」
 少女は頑として譲らず、ついには私の目の前で手を振り上げた。
 まさかと思ったが、少女は私の脳天に平手打ちを喰らわしたのだ。
 弾き損ねた弦が切れた。
 彼らは息を呑んで、動きを止めてしまっている。
 そして、大波を打ち寄せるように騒ぎはじめたのだ。
 口々に何かを言っていて、その一つ一つは上手く聞き取ることが出来ない。ただ、どうやら「人間に触れることは出来ないはず」だという旨のことを言っているようだ。
 叩かれた私も驚きだが、彼らの驚きはそれを遙かに超えているのだろう。
 そんな中、ただひとり、少女だけが満面の笑みで嬉しそうにしていた。
「ほら見ろ、やっぱりこやつ、ただの人間ではあるまい。なあ、見えておるのだろう、妾のことが?」
 彼らも私の疑っている。もはやこれまでだろう。
「……見えている」
 と、小さく言った。
 さらに彼らは大騒ぎになった。やはり言うべきではなかったか。しかし、あれ以上、嘘を通すのも無理というものだろう。
 慌てた様子で彼らが姿を消しはじめる。
 残る少女の手を引いて別の者が姿を消そうとしたようだが、少女はその手を振り払って、ただひとりこの場に残った。
 少女と二人っきりでこの場に残された私は、どうすることもできず、ただただ少女の瞳を見つめるばかりだった。
 しばらくして、少女は口を開いた。
「演奏を続けるがよい」
 そうと言われても、この状況で、しかも弦が一本切れてしまっている。
 私は演奏をはじめないのを見ると、少女は再び言うのだった。
「演奏を続けるがよい。妾はそちの演奏が好きじゃ、もっと聴かせてたもれ」
「そうは言っても、弦が切れていては演奏はできぬ。いや、できぬことはないが、演目は限られ、御前様の満足いく演奏はできますまい」
「それでもかまわぬ、演奏せい」
 彼らが我らと同じように歳を取るのかわからぬが、少なくとも目の前の少女は、少女のようにわがままだ。それ以上にわがままかも知れない。
 仕方がなく私は琴と向き合った。
 爪弾く弦が音色を奏でる。
 すると、少女が見事な舞を披露しはじめたではないか。
 私は驚き、見惚れそうになりながらも、舞に負けまいと渾身を琴に傾けた。
 少女もまた、私の演奏に張り合うように、それは優雅で蕩々な舞を見せつけくる。
 時も忘れ、私は琴を奏で続けた。
 やがて、夕刻。
 忘れていた疲れも、ついに姿を見せはじめ、演奏に微かな乱れが生じはじめた。
 少女はそれに気づいたようだ。
「楽しかったぞよ、人間。妾はもう疲れたので帰る。また明日会おうぞ」
 本当に疲れているのか、私の目では少女の疲労は何一つ見えない。彼らに疲れという言葉があるのか、それすらも疑いたくなるほどだ。
 少女は風と共に消えた。私が何も言う前に。自分勝手な少女だと思いながらも、私はどこか心の弾む思いだった。
 ――また明日。その言葉の通り、私は次の日も梅園に琴を持ってやって来た。約束しなくとも来ただろうが、会おうと言われたから来たという思いは強い。
 梅園は風の靡く音以外は静かなものだった。まだ誰もいないのか、それとも姿が見えないだけなのか。
 構わず演奏をはじめると、少女が姿を見せた。
 演奏に集中していた私は少女に挨拶もせず、少女もまた私に挨拶もせず、すでに舞い踊っていた。
 直接言葉は交わせずとも、演奏と舞によって声ではない言葉を交わしているのだ。