あさっての恋愛
いつも通りがやがやと騒がしい昼休みの学生食堂にて。
向日葵と青い空の描かれた便箋を折りたたんで、ぼくは目の前の二人の友人に向き直った。
「そういうわけで、ぼくの妹はちょっとした恋愛不信だ」
「はあ」
「妹……それは、望むものには与えられない希少価値。そうか、藤田は選ばれた人種、即ち『兄』だったのか」
相槌なのかため息なのかわからない声を吐いたのは天神で、ぼくから目を逸らして何事か呟き始めたのが風間だった。
「恋愛不信ねぇ。男性不信っていうわけじゃないんだ?」
「うん。ぼくとは普通に話すから」
「それって好き好きにーにーのフラグなんじゃね?」
「風間、ちょっと黙ってろよ」
天神は横目で風間を睨みつつ、チョコチップメロンパンを取り出した。そういえばぼくもまだ昼飯を食べていなかった。どうしよう。
一方、鋭い視線に晒されているはずの風間は、それでも全然怯んでいなかった。
「べ、別に藤田のことなんか羨ましくないんだからっ! 妹くらい俺にだっているし!」
「どうせその妹は画面から出てこないんでしょ」
天神のツッコミはいつも的確なタイミングで繰り出されるから惚れ惚れする。彼女が居ると脱線しがちなぼくらの会話も若干スムーズに進むから、安心だ。
「妹の恋愛不信の原因はうちの母親なんだ」
座右の銘は『女は恋と革命に生きる』。母は、無駄に情熱的な人だ。
「ぼくらの父親と離婚してからはずっと独身なんだけど、年中恋ばっかしてるような人でさ。それだけなら別にいいんだけど、母の悪いとこは、自分の恋愛に平気でぼくらを巻き込むとこだ」
「巻き込むって……」
「どーゆーこと?」
「恋人をうちに連れ込んで、そのまましばらく住まわせたり」
「ええーっ」
「逆にふらっと出て行っちゃったり」
「うわー」
「幼いぼくらの居る前で喧嘩し始めたり」
「修羅場ー!」
「そんなことの積み重ねで、妹のトラウマは出来上がっていったみたい」
恋愛をしている本人は楽しそうだったのだが、傍で見ていたぼくらには嫌な印象のほうが強かった。母親の女としての顔を見せつけられるのも、自分たちへ向けられるはずの愛情が他へ向いているのも、こどもにとって嬉しいはずがない。
同性である妹の目にはぼくとはまた違って見えていたのかもしれない。彼女はぼくよりも不安定だった。
「ぼくは妹と同じ環境で育ったわけだから、恋愛したいって思えなくなる気持ちもわかるんだけど……兄としてはやっぱ、妹には健全に恋とかしながら育ってもらいたいんだよね」
二人は神妙な顔で聞いている。ぼくは言葉を続ける。
「ぼくが兄として手本を示せば、あいつも警戒を解くはずなんだ。だからぼくは妹のために、ドラマのような素敵な恋愛をしてみせなくてはいけない」
妹のために、と、風間が静かに復唱した。
「だから、天神、お願いだ」
ぼくは立ち上がって「え? あ、あたし?」とうろたえる彼女へ頭を下げた。
「ぼくに女の子を紹介してください!」
「告白タイムきたああああって違ったああああ!」
ドンッだかボカッだか、妙な効果音が聞こえたので顔を上げてみたら風間の頭がテーブルに沈んでいた。
「……別に、紹介すんのはいいんだけどさ」
普通の表情で何事もなかったかのように座りなおして、天神は話を進める。
「藤田の恋愛経験値ってどんなもんなの」
「ゼロと言ってしまっても差し支えありません」
「じゃあゼロって言えよ」
「ごめんなさい」
「…………」
天神は若干不機嫌そうに目を細めてぼくを見ていたが、少しの沈黙の後で立ち上がった。
「んー。まあいいや。とりあえず協力はしてあげる」
「ありがとう」
そういえば彼女のチョコチップメロンパンはいつの間にか消えていた。喋りながらだったのによくこの短時間で食べきったなぁと感心していたぼくへ、捨て台詞が投げ掛けられた。意味深なことを言うだけ言って天神は去って行った。
曰く、「ま、どうせ藤田にまともな恋愛なんかできないだろうけどね」。