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娘だけが知っていた

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プロローグ



「そいでね、こうして、あーして」
「こーするの!」
 いつもの休日、いつもの居間で、ぼーっとソファにもたれかかって、俺はくつろぎながら、目の前の声に耳を傾けていた。まとまっている話も時折は聞こえるが、全体像はおぼろげで、一緒に体験していないと、すぐに分からなくなってしまう内容だ。
「なるほどねえ」
 分ったかのようなあいづちを打ちながら、目の前の声の主を見る。なるほど、相槌を理解していると思ったのか声の主は、手を伸ばし左右に大きく振り、「そして、ぐぉんぐぉん言うの」と言った。なにがぐぉんぐぉん言うのか分らないが、とにかくぐぉんぐぉん言うらしい話だった。

 今日で三歳になる娘は、積み木を部屋いっぱいに散らかしながら、得意気に日々起こったことを俺に話してくれている。保育園のこと、おばあちゃんとのこと、近所のことなど、記憶に残ったことすべてだ。ただ、大人とは違って、記憶の前後関係が不明確なのと、結論しか言わないので、分らない話の方が圧倒的に多い。もっとも、平日、帰宅の遅い俺からすると、娘の話を追体験する機会が少ないので、おばあちゃんなんかだと、もっとテンポよく会話が流れるのだが。ただ、あいづちを打ってやると、聞いてくれているのがうれしいのか、よりテンションをあげて教えてくれるのだ。

 「そいでね、昨日、ばばちゃんとね。水族館に行ったの」
 なるほど、今度は水族館の話か。確か、おばあちゃんの話では行ったのは昨日ではなくて三週間前だったと思う。昨日でも、一昨日でも、例え一か月前でも、過去の話をする時は彼女の場合、昨日だ。たくさんの昨日の話を聞いていると、まるで、どこかのエリートサラリーマンが東京、大阪、博多と一日、慌ただしく商談を行っているように感じがしてくる。まあ、本人はそんな風に感じないので、息つく間もなく「昨日」の話をするのだが。

「理奈、お父さんに話をする前に部屋を片付けなさい」
 居間の隣にあるベランダから声が投げかけられる。彼女のおばあちゃんである河合陽子が洗濯物を干しながら、彼女に叱っているのだ。
「おかたづけ、ちないもん」
 足をばたばたさせながら理奈は、おばあちゃんに抗議した。
 
お母さんが亡くなってから、ずっと塞ぎこんでいた理奈だったが、さすがに半年も経つからなのか最近では、この生活に慣れてきたようだ。
「おばあちゃん、すいません。何から何までしてもらって」
 野里香の母に頼りすぎているのが、申し訳ないと思いながら、俺はこう返した。
「いいんですよ。いいんですよ」
 野里香が亡くなったのは寒い冬のことだった。
 死因は、窒息死。
 病死ではない。
 誰かに殺されたのだ。
 寒空の中、野里香は、窓の開け放たれた居間で首を吊って死んでいた。
 そして、その傍に理奈はいた。
 涙と鼻水でぐちょぐちょになりながら。
 彼女はひとりぼっちで、12時間もいた。
 凍えそうになりながら…。
 他殺以外になかった。
 だが、警察病院の医師が下したのは、「自殺」だった。
 そんなはずはなかったのに。

 その日は彼女の誕生日だった。今日のような温かい休日で、朝は今日のように俺とふたりで娘と戯れていた。おばあちゃんは、近所の自宅にいたので、三人だった。俺は、その日、同僚から突然、電話があり、クライアントに大きなシステムエラーがでたとのことだったので、大阪にあるクライアントに行った。すぐすむと思われたエラーだったが、コンピューターのエラーの原因が極めて特異なレトロなウィルスの仕業だと分かり、夜遅くまでエラーと戦わなくてはならなかった。そのレトロウィルスは、最近テレビでも散々言われるようになった非常に難易度の高いウィルスでコンピューター全体を乗っ取り、オペレーターの作業を全て、きかなくする。それも、ウィルスが入り込んでから半年と時期が決まっており、動かなくなる前にパソコンのさまざまな部分、あるいはネットワークを通じ増殖し、様々なパソコンにすくう。そして、何の発症もしないまま、半年が過ぎある日、突然システムダウンをするのだ。パソコンの電源がきかなくなるだけでなく、例え起動できたとしても、全ての作業ができなくなる。また、プログラムだけでなくハードウェアにも浸食するので、パソコン自体が壊れる。
 まるで癌細胞だ。
 癌細胞が身体に浸食するがごとく、コンピューターの中に浸食し、やがては癌細胞が
脳を冒すかのようにCPUに浸食して、活動を止めてしまう。人々はある時期から、そのウィルスのことを「Krebs」と呼んだ。名前の由来は癌細胞を意味するらしい。なんでも、初めの発症がドイツから広まったからドイツ語読みなのだそうだ。いまだに、対処法が不明、ワクチンソフトにもひっかからないから、このウィルスのおかげで、ワクチンソフト開発の俺の会社も、売上が軒並みに下がり、緊急事態だそうだ。また、ニュースによると、遠くアメリカでは、戦争状態でもないのに、警戒レベルがフェイズ3まで引き上げられたと、ニュースキャスターが真剣そのもので語っていた。
作品名:娘だけが知っていた 作家名:ミラボー