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赤い涙(改稿バージョン)

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6.冷たい雨



 木枯らしが町に吹くようになった頃、昂は風邪を引いた。症状は軽かったが、樹にもし移しでもしたら、彼女の命を縮めてしまうことになりかねない。そう思った昂は、完全に治るまで彼女に会うのは遠慮することにし、その旨を京介に伝えた。
「ああ、樹にそう伝えておくよ」
京介は、玄関先でそう返した。

 だが、それから三日後の事だった。
そろそろ三時間目が始まろうという時、昂は校内放送で呼び出された。
「理数科の根元昂君、今すぐ事務室まで来てください」

−*−

「根元です、何でしょうか」
「笹川さんって人知ってる? 君を呼び出してほしいって。樹の事で話があるって言うたら解か……きゃぁ!」
(京介さんが樹ちゃんの事で電話してくる……それってまさか!)昂は樹の事と言われた瞬間、事務員から受話器をひったくっていた。
「もしもし、昂です。樹ちゃんがどうしたんですか」
「根元君、樹が……どこにも居ないんだ。もし、あの体で雨に当たるようなことがあったら……助けてくれ。何か君に心当たりはないだろうか」
京介はおろおろと樹の失踪を告げた。昂は咄嗟に窓の外を見る。既に小雨が降り始めていた。
「待っててください。今行きますから!」
昂は受話器を放り投げるように事務員に戻すと、外に駆け出した。
「根元君、今の電話誰? どこから? どこ行くの!」
昂は事務員の矢継ぎ早の質問にも答えないまま駐輪場に走り、自転車に跨ると、一目散に笹川家に向かって漕ぎ始めた。

「ちゃんと君が風邪を引いて、治るまで来ないとは言ってあったんだが……」
京介はそう言うと、唇をかみ締めて項垂れた。
「ああ、樹……本当にどこに行ってしまったんだろう。君には何か言ってなかったかい?ぼくにはもう、あの娘の行きそうなところに心当たりがなくて……」
しかし、そう言われても、一緒に住んでいる兄の京介ですら分からない樹の行き先が、昂に分かるはずもなかった。
 思えば樹とはこの家の内と外のほんの限られた範囲内でしか会ったことがなかった。
(そう言うたら、俺らデートとかもしたこともないんや)
そんな思いに囚われて、昂は無性に悲しくなった。

『昂さんの家はここから見えますか』
その時昂は、最後にここを訪れた時、樹が自分の家を見てみたいといっていたことを思い出した。
「ここからって、窓から?」
「はい」
「この窓は家の方向いてへんから見えへん」
「じゃぁ、庭からは?」
高台にある笹川家の庭からは坂の下の町が一望できたが、昂の家はその範囲から少し南側に位置していた。
「うーん、ギリ見えへんかったと思う」
昂がそう答えると、樹はさびしそうな顔をした。
「あ、ここよりもうちょっと上の……この家のちょっと行ったとこに左に登る坂あるやん? あの上やったら見えるんとちゃうかな。起きられるようになったら、一緒に見に行こう。せや、そうしょう」
昂はそんな樹の顔を見るのが辛くて、あわててそんな風に言ったのだった。
「そうや! 坂の上!!」
昂はそう叫ぶと笹川家を飛び出し、樹に話した笹川家左手にある急な坂道を登り始めた。

 きっと樹は三日も来ない昂を心配して家を探そうと思ったに違いない。自身も病の床にいて、寂しさや不安に耐えているのだ。昂もどんなにか寂しいだろう、辛いだろうと居ても立ってもいられなくなったのではないだろうか。たとえ、そこで昂の家が見えたとしても、どれがそれか分からないというのに……

 昂は息を切らせながら坂を駆け上がった。しかし、ふと後ろを振り返ると、あんなに取り乱していたはずの京介が自分についてきていなかった。
(何でや!)
昂は腹立たしかったが、今はそんなことを言っている場合ではないと思った。一刻も早く樹を見つけないと取り返しのつかないことになってしまう。

 そして昂が思った通り、急な坂道を登り切っていきなり視界が開けた所に樹はいた。
彼女は大きな木の根元にぺたりと座り込み、まっすぐに前を見ていた。
「樹ちゃん!」
昂は樹の名を呼び駆け寄った。しかし、彼女からの返事はなく、近寄って肩を抱いた昂の腕の中に、すんなりとその身を預けた。
「樹……ちゃん?」
昂は彼女の肩を揺すぶってから、はっとして彼女の口元に手をかざした。
「い、息……してへん……」
樹がその目を見開いたまま既に事切れていると知った昂は、樹の肩を抱いたまま同じようにその場にへたりこんでしまった。
(ゴメン……こんなことになるんやったら、風邪移っても俺行った方がよかったんか? こんな寂しい思いさして、こんなことになるんやったら……こんなに待っててくれるって分かってたら、俺……)
「なぁ、樹ちゃん……何か言うてぇなぁ。俺、樹ちゃんに少しでも長いこと生きててほしかっただけなんや。なぁ、何でもええからしゃべって! お願いや、こんなに突然に逝かんといてくれ!」
昂は樹の亡骸を抱きしめて号泣した。

 雨はその降りを増してきている。昂は樹にそれ以上雨がかからないように包み込むように抱きしめたまま、ずっとそうしていた。