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記憶喪失の悲劇

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年4月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。このお話は、真実っぽい過去の話はあっても、あくまでも、登場する国家、政府、関係者、組織は架空のお話になります。国家や省庁で、どこかで聞いたようなところも出てきますが、あくまでもフィクションです。

                拾われた女

 その日は雨が降っていた。降り出したのは、夜のとばりが下りてからだったので、結構振っているようだが、その振り方のひどさがどれほどのものなのか、音に寄らないと分からないというところであった。
 車のヘッドライトの先にだけ光って見える雨粒が、その雨のひどさを表しているようだった。
 本当であれば、傘に降りかかる雨音で感じるものなのだろうが、雨傘を指しているわけではないので、その音は聞こえない。
 しかし、雨を前進に浴びて、濡れている状態なので、
「これ以上ない」
 というくらいに濡れた肌が、その雨の強さを証明してくれるというべきなのだろうが、雨の強さと、その肌寒さによって、雨を感じるということができないほどに、身体が冷え切っていて、感覚を味わうことにマヒしていたといってもいいのではないだろうか?
 雨の強さも、マヒした感覚には勝てなかった。耳の向こうで、
「ザーザー」
 という音がかすかに聞こえていた。
 その音が耳鳴りになればなるほど、自分は起き上がることができなかった。
「起き上がる必要などない。そのまま、そこに横になっていればいい」
 と、誰かが囁いているのを感じた。
 その向こうを見詰めていると、たくさんの車のヘッドライトが眩しく当たっているのが分かるくせに、こちらに向かってくる気はしなかった。
 ちょうど、カーブになっているのだろうか、ある程度のところで、皆ライトが、自分の身体を避けるように、左側にカーブしていっているようだった。
 この時間、自分が知っている中で、よくくる場所の中で、
「こんな場所、そんなに何か所もあるわけではない」
 と思うことで、これがどこだから、分かってくるのだった。
 だから、車に轢かれるという心配は最初からなく、もしあったとすれば、必死になってそこから逃げようとするはずだった。
 どちらかというと、
「この場所に危険と思われる様子は、これっぽちもない」
 ということだったのだ。
 ただ、
「身体を動かせない理由が何によるものなのか?」
 いや、そもそも、
「なぜ、自分が、感覚がマヒするようになるまで、そんなところで、雨に濡れて、佇んでいなければならないのか?」
 ということも分からない。
 だから、自分がそこにいるのが、
「いいことなのか、悪いことなのか、分かるはずなどない」
 というものであった。
 男は、それでも、一刻も早くそこから離れたかった。
 どこにいるか分からない。なぜいなければいけないのか? その信憑性がまったく分からない。
 そんな状態で、
「何をどうしていいのか分からない?」
 と感じていることで、
「とりあえず、その場にいるしかない」
 ということにしかならなかったのだ。
 ただ、雨に濡れることも、本来であれば、
「望むところだ」
 と思っていた。
 確かその日は、夕方までは、
「雲一つない」
 と言われるほど、キレイな天気だったはずだ。
 それが、なぜ、こんな嵐のような天候に一変したのか分からない。実際に、急に降り出した雨に、皆右往左往するかのように、コンビニに、傘を求めていく人がいっぱいいることに気付いていた。
 男も本来なら、急いで、コンビニに入って、傘を買うというような行為に及んでもいいはずだった。
 だが、その日は、
「雨も心地いいかな?」
 と思ったのだ。
 何となく上気した感覚。それは、熱があるということではない。寝起きのいくつかあるパターンで感じたことがあると思えるようなのだったのだ。
 もちろん、雨にぬれてもいいと思うくらいなのだから、
「上気している」
 というのは、熱があったり、体調が悪かったりするわけではなく、逆に、
「頭を冷やしたい」
 と感じられるほどであった。
 だから、男は、雨が降っているにも関わらず、
「まずは、傘を買おう」
 という気持ちもなく、目的もなしに、雨が降り出した夜のとばりの中を踏み出した。すでに水たまりもできているほどで、踏み出したとき、
「バシャバシャ」
 という音が聞こえたところで、慣れてくるにしたがって、その声も聞こえなくなるほどであった。
 雨が降り続けるのは、誰もが嫌だと思うことだろう。特に女性の中には、
「気圧の違いで、体調がまったく違う」
 という人もいる。
 男にはあ分からないそんな気持ちを男は知っているのか分からないが、男でも、気持ちが上がらない状態になってしまうだろう。
「私にとって、雨は活力だ」」
 などという人を、まず聞いたことがない。
 もちろん、同じ雨でも季節によって、その気分の悪さは違うことだろう。
 夏の雨だと、そこまで気にしないが、冬の雨などでは、ただでさえ寒いのに、肌寒さがこみあげてきたりして、きつかったりする。
 寒い時には、傘を差す手に手袋をしていたりして、お金の用意をしたり、財布から用意するものがあれば、大変だったりする。
 ただ、最近は、定期券にしても、
「交通系カード」
 によって、切符を買わずに済んだり、定期なら、なおさら、面倒なことはない。
 財布から出す必要もなく。自動改札機に、財布ごと当てればいいのだ。だから、財布を取り出すことさえできれば、そこから提起を取り出す必要も、小銭を出す必要もない。
 そういう意味でいけば、最近のコンビニも、
「カード決済」
 ができたりするので、こちらも、財布から小銭を取り出したりという必要もなかったりする。
 ただ、まだまだ現金のみという店も多いので、全部が全部、賄えるというわけではないが、それに慣れている人は、相当な面倒を負わなければいけないだろう。
 そういう意味で、今はかなり楽になっているが、昔はいちいち、
「手袋を外して、財布から小銭を出して」
 などとしていたが、今ではそこまではない。
 それを考えると、
「便利な世の中になったものだ」
 ということになるのであろう。
 また、同じ季節であっても、
「昼と夜」
 という分け方でも、まったく違った考えができるのではないだろうか?
作品名:記憶喪失の悲劇 作家名:森本晃次