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減算法の都合

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。

                 意外と裏を

「何かの策を練る人間は、自分がすることを練ることができても、相手にそれをされるということを考えることはない」
 とよく言われる。
 それは、策士であればあるほどそうなのかも知れないが、策士だと、どうしても自信家が多かったりするので、
「俺の考えていることを、他のやつに見抜かれるわけはない」
 と思うのだろう。
 それは、自分に絶対的な自信を持っている人が思うことだろう。相手の出方を、えてして甘く見てしまうことになるのだろう。
 下手をすると、
「相手がどう出るかなどということを、考えない」
 という人もいるかも知れない。ほとんどの場合まったく考えないということはないとは思うが、こちらが、どう考えるかを相手が考えていることくらいは、察知できるくらいでなければ、軍師のようなものにはなれないだろう。
 そういう意味では、
「兵法をたくさん知っているというだけでは、うまくいかない。相手との駆け引きを考えることができるという意味では、数が少ない方が、洗練された考えということで、作戦を組み立てる上ではいいのかも知れない」
 そういう意味で、作戦があまりにも突出していて、その方法が、うまくいかなかった時のことを考えていなければ、完全に作戦とともに、心中ということになるのではないだろうか?
 そんなことになってしまうと、部下も作戦を実行するリーダーも、疑問を持ってしまうと、皆が疑心暗鬼の状態で戦をしないといけないということは、ほぼ、
「自殺行為だ」
 といってもいいだろう。
 特に戦国時代などは、いろいろな軍師がいて、さまざまな作戦を立てたことだろう。
 例えば、
「薩摩島津」
 の作戦として、
「釣り野伏せ」
 という、相手を引き付けてから、包囲戦耗するやり方で、これは、
「寡兵で大量の兵を相手にする」
 という作戦であるが、ただでさえ寡兵なのに、それを、
「3つに兵を分断する」
 という危険な方法でもある。
 そういう意味では、
「一歩間違うと全滅してしまう」
 という、開き直り的な作戦だといっても過言ではないだろう。
 島津の場合は、これが、
「今津の真骨頂」
 とばかりの作戦であったが、中には、
「有名な作戦であるが、うまくいかずに、失敗した」
 ということで、歴史に残っているというものがある。
 それが、第4次川中島合戦で行われた、
「キツツキ戦法」
 である。
 この戦いは、言わずと知れた、武田信玄と、上杉謙信の戦いであり、この作戦は、武田信玄の軍師といわれた、山本勘助によるものである。
 味方を、本隊と別動隊に分け、まず、別動隊を、敵の陣を張っている地区の背後に進める。
 相手が油断しているところを背後からつき、相手がビックリして混乱しているところ、さらに推すことで、相手はたまらず、前に出てくることになる。
 そこに、見方本隊が待ち構えていて、前と後ろから挟み撃ちにする。
 というものだった。
 しかし、これは、相手に悟られたはいけない作戦である。
 あくまでも、相手の虚を突いて、相手が飛び出したところに、ちょうど、自軍の本隊がいるということでなければ、成功はしない。
「キツツキが、木の幹に穴をあけて、そこをつつくことで、虫が出てきたところを、食べるということにあやかった作戦」
 ということになるのだ。
 だから、まず、
「相手に悟られてはいけない」
 ということが前提で、
「相手が溜まらず飛び出すように仕向けないといけないわけで、しかも、飛び出す先が、本隊の前でなければいけない」
 という問題もある。
 この時の失敗は、
「相手に悟られてしまった」
 ということだ。
 相手がこちらの陣を見た時、
「飯を炊く煙が多い」
 ということから、
「相手が奇襲をかけてくる」
 と気づいたことで、先回りし、夜のうちに陣を捨て、山を下りる」
 ということであった。
 別動隊はもぬけの殻の敵陣に襲い掛かり、本隊は、おびき出されて出てくると思った相手の軍がm普通に待ち構えているのを見て、
「作戦の失敗」
 を悟ったのだ。
 なんといっても、別動隊は、まだ山の上である、数的有利はあっちにあるのだ。
 それでも、何とか、武田本隊は持ちこたえ、有名な、
「謙信の刃を、信玄が受け止めた」
 と言われる伝説に繋がるのだ。
 もちろん、本当にあったことなのかどうか、怪しいものだが、この話は、後世に有名な話として伝わっている。
 一時は押していた上杉軍であったが、次第に武田軍が盛り返してきた。しかも、そこに、別動隊が山から下りて、襲い掛かってきたのだった。
 こうなると、時間差ではあるが、
「キツツキ作戦」
 としての、
「挟み撃ち」
 というのが完成する形になるのだが、いかんせん、そこまでに、武田本隊が、崩れまくってしまっているので、うまくはいかない。
 お互いに弱っているので、結局、上杉軍は退却することになるのだが、それを追いかける力が、武田軍には残っていなかった。
 いくら、最後には、まがりなりにも形ができていたといっても、やはり、最初の作戦通りでなければ、うまくいくはずがない。
 何といっても、相手は、誘い出されて飛び出してきたわけではなく、相手が、満を持して待っていたのであれば、予期していなかったということもあり、全軍が浮足立ってしまうだろう。
 何と言っても、
「キツツキ作戦用」
 の布陣を敷いていたのだろうから、それも致し方のないことである。
 それを思うと、この戦が痛み分けだったというのも、無理もないことであろう。
 一応、
「戦国最強の騎馬軍団」
 と謳われた武田軍であるが、上杉軍のように、
「どうしても勝てない」
 という相手もいるのだ。
 信濃の、村上義清にだけは、2度の大敗を喫したこともあって、いわゆる天敵だったということだろう。
 あの徳川家康を、一言坂、二股城、三方ヶ原の戦いと、徹底的にやっつけた武田軍である。
 そもそも、作戦勝ちといってもいい。
 自陣の城である浜松城に籠城しているところを、素通りされて、まんまと武田軍の作戦に乗り、野戦の引き釣り出された徳川軍は、待ち構えていた武田軍に、完膚なきまでにやられてしまうのであった。
作品名:減算法の都合 作家名:森本晃次