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殺人前交換の殺人

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年10月時点のものです。

                 敦子先生

 今の時代は、昔と違って、至るところに防犯カメラが設置してある。だから、公共の場所においては、一歩間違えると、どんな場所であっても、ほとんどのことは、防犯カメラに収められていることが多い。
 さらに、ここ数年においては、
「煽り運転」
 などと言われる事件が横行していることから、ほとんどのドライバーが、車の中に、ドライブレコーダーを仕込んでいるというものだ。
 昔であれば、
「客とのトラブル」
 という観点から、タクシーなどでは、あったかも知れないが、今は、客だけではなく、普通に運転していても、相手がどこでキレたのか分からないが、いきなり幅寄せをしてきたり、後ろから煽ってきたりする車が増えてきた。
「下手に怒らせると何をするか分からない」
 ということだけなら、普通なのだが、
「怒らせてもいないのに、相手が勝手に怒り狂うんだから、どうしようもない」
 ということで、後で証拠となったり、警察が犯人を見つけるための材料となるだろう。
 ただ、この場合も、
「れっきとした刑事事件になる」
 というような、
「傷害事件」
 あるいは、
「殺人事件」
 などが起こった場合にしか、警察は動いてくれないが、ちょっとした接触や人身事故などにおいて、ドライバーの様子などが映っていたりすれば、それが証拠になったりもするだろう。
 そうなってくると、ドライブレコーダーがどの車にも必須で装備されているのも無理もないことである。
 いまでこそ、ほとんど、標準装備なのかも知れないが、数年前までは、どの車にもあったわけではない。そこは難しいところであろう。
 そういう意味では、公共の場所の、
「防犯カメラ」
 というのも難しいものだ。
 公園であったり、公共施設であれば、あって当然だが、最近では、スマホの普及や、GPS機能などから、
「ライブカメラというものが、住所の一つ一つに設置されている」
 といってもいいだろう。
 スマホやPCにおいて、住所を検索した場合、その番地がいつも行く場所であれば、
「どっかで見た場所ではないか?」
 と思うのだ。
 どこに設置してあるのか分からないが、ライブカメラが、どこかにあるのだろう。
 もし、これが衛星撮影などであれば、どんなに高性能に拡大したとしても、真上からしか見ることはできない。しかもカメラ目線は、完全に人間よりも低い位置にあるので、膝から腰くらいの高さの間に設置されていることであろう。
 そんなスマホの映像も、
「一体、どこにカメラなんか、しかもいつ設置したのだろう?」
 と感じるが、
「そういえば、以前、どこかのタイミングで、光ケーブルを敷くために、ずっと工事を地域ごとに設置していたな」
 というのを思い出した。
 きっとあの時、設置していたに違いない。
 しかし、考えてみれば、確かに、そうやっていけば、防犯にはなるかも知れない。しかし、今の世の中は、それ以外にも大切なことがあり、そっちは、完全に相反するものだということも忘れてはいけないことであった。
 それは、
「個人方法保護」
 つまりは、
「プライバシー保護」
 の問題である。
 さらにいえば、例えば、カメラで撮影して、それを公開する場合、
「肖像権」
 という問題が絡んでくる。
 しかも、プライバシーの問題も、肖像権も、どちらも、犯罪の未然の防止でもあり、安全確保という意味では、防犯カメラと同じ意味合いであった。
 こちらの場合は、拡散することによって、その人の正体がバレてしまうということである。
 昔は、そんなことを気にすることはなかった。しかし、平成になってすぐくらいの頃から問題となってきたこととして、
「ストーカー問題」
 というものがあった。
 人の後をつけて、その人の自宅を知ろうとしたり、会社や家に電話を入れて、その人の名前やプライバシーを知るなどというのは、ストーカー問題ができるまでは、大した問題にはならなかった。
 というのは、
「そんなことをする人が少なかったから」
 というのも、一つの理由で、もしそんなことをすれば、
「あいつは、人間性が歪んでいる」
 と言われて、まわりから村八分にされることになるだろう。
 昔は、人とのかかわりを損なると、生きていくことができないと言われた時代だったのだ。
 今は、
「関わりたくない人とは関わらなければいい」
 という時代である。
 そもそもが、苛め問題から来ているのだろうが、
「苛めっこ」
 と、
「苛められっ子」
 の二種類がいれば、昔は、
「苛められる方にも原因がある」
 と言われ、苛めっ子がすべて悪いということではなかった。
 つまり、苛めにもそれなりのモラルがあり、ルールのようなものがあったのだ。
 しかし、今の時代では、モラルもムールもなく、
「苛めたいから、ターゲットを決めて苛めているだけだ」
 ということである。
 苛めを苦に、自殺をする子がいたとすれば、社会問題にはなるかも知れないが、当時はなんら法律も整備されていなかったので、すぐに世間から忘れられて、それで終わりである。
 だから、
「引きこもり」
 などというものが出てきて、学校にも行かず、家の部屋に引きこもって。ゲームばかりしているという、
「世間から外れた人たち」
 ということであったのだが、今では、
「引きこもりは当たり前」
 と言われるようになり、
「ニート」
 などと呼ばれ、まるで、
「無職の引きこもり」
 という職業とでもいうようなおかしなことになるのだった。
 実におかしな時代である。
 一人の青年が、ある日万引きで捕まったことがあった。その時、その少年は、まだ中学生で、いや、まだ中学生というべきか、そもそも、犯罪というより、非行というのは、中学時代になれば、普通に行われているのは、今も昔も変わりない。
 当時中学で先生をしていた、倉岡敦子は、自分の生徒が万引きをして警察に連行されたということを聞いて、ビックリして身元引受人として、警察に赴いたことがあった。
 もちろん、中学の先生などをしていると、こういうことは初めてではない。それまでに何度もあったことだった。
 しかし、だからと言って、
「慣れる慣れない」
 と言った問題ではない。
 警察相手にふざけるなど言語道断、神妙な態度で、警察に行かなければいけない。しかし、かといって、あまりにも神妙すぎて、何でも、
「はいはい」
 いっていると、
作品名:殺人前交換の殺人 作家名:森本晃次