小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

多元的二重人格の話

INDEX|2ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 だが、一つのタガが外れると、
「勉強って、楽しいものだったんだ」
 ということで、自主的に勉強するようになった。
 五年生の頃には、すでに、クラスでもトップクラスの成績になってきて、
「小学校で習う勉強位では、物足りない」
 と思うようになったのだ。
 特に算数というものが、好きになったことで、
「算数というのは、こんなものではない」
 と逆に思うようになった。
 五年生になってから、文章題が増えてきて、それはまるでクイズ感覚に感じられた。
「これを、鶴亀算というのだよ」
 と担任の先生に教えられて、
「他にもいっぱいあるんですか?」
 と聞くと、
「うん、植木算とか、倍数算とか、何とか算と呼ばれるものは、十種類以上あって、それを勉強するのって、結構醍醐味だったりするものだよ」
 というではないか。
 しかも、それらの勉強を、小学生では深堀することはないという。
「塾なら教えてくれるかも知れないけどね」
 と、小さな声で先生は言った。
 先生の立場から、塾を奨励することはできないのだろうが、
「せっかく勉強に目覚めたのだから、自由にやらせたい」
 という気持ちもあったのだろう。
 低学年の頃から、岡本のことをずっと見てきた担任だからこそ、そう思うのだ。
 担任は、岡本が、いつ頃勉強に目覚めたのかは分かっていた。
 しかし、
「どうして目覚めたのか?」
 ということや、そのきっかけなどについては、分からない。
 当然、本人にしか分からないことで、それを口で説明することは難しいことであろう。
 それを思うと、先生も無視するわけにもいかないが、おおっぴらに塾を勧めるわけにはいかない。
 そんな中で、親も、
「お前がそこまでいうのなら」
 ということで、塾に関しては、快諾を得た。
 親の方としても、三年生の頃までのテストの成績や、
「勉強しなさい」
 といっても、それがまるで、
「暖簾に腕押し」
 のような、まったく無反応な状態に、苛立ちを覚えていたのだった。
 それが、急に成績もよくなり、
「勉強しなさい」
 という言葉への反応が、果たしてどういうことだったのかということを分かる機会を逸したのは、残念なことだったが、子供が、
「勉強したい」
 とそれまでと正反対の反応を示してくれたのだから、もうそんな細かいことを気にする必要などあるはずもないのだった。
 塾に行かせてもらえるようになってからというもの、岡本の人生は変わった。
 それは、
「よくも悪くも」
 ということであり、塾のおかげで、岡本の成績はうなぎのぼりでよくなってきたのだった。
 受験勉強も順調で、進学校のエリート中学というところまでは、成績が及ばなかったが、
「中学受験をする中で、中間クラスの学校であれば、合格できる可能性は高いですね。だから、あまり私は背伸びしないことをお勧めします」
 と学校の先生は言ってくれた。
 きっと、その心の裏には。
「最初の頃、勉強にまったく興味を示さなかったのだから、しょうがない」
 ということだったのだ。
 そんな彼は、中学入試を無事に終えることができたのだ。
 小学三年生の時に、忘れ物が多かったのは、
「理解できないことを必死で考えていた」
 ということが大きかっただろう。
 本人は、
「疲れるだけなのだから、無理に考える必要などない」
 と思っていたのだが、
「考えてしまうのは、無意識のうちのことで、自分から望んだことではない」
 と思うと、その頃から、物忘れが激しくなった。
 最初の頃は宿題をしなかったことにある。
 それも意識してしなかったわけではなく、
「宿題が出されているという、そのことがまったく頭の中で消えてしまっていた」
 ということだったのだ。
 自分でも、これには理解不能だった。
「確かに、宿題など理解もできていないのに、できるはずがない」
 とは思っていたが、まさか宿題が出たことすら覚えていないというのは、潜在的に忘れようとしているからだとしか思えない。
 だが、自分に意識があるわけではない。理解できないことを納得できないと思っている岡本にとって、本当に理解できないというのも、無理もないことだったに違いない。
 だが、そんな岡本も、無事に中学に入ることができた。
 最初は、もちろん、有頂天だった。
「三年生の頃までは、あれだけ成績が悪かったのに」
 と、頭が悪いわけではないと思っていた自分を、その時は忘れていて、ただ、
「成績が悪かった」
 ということだけが頭の中に去来していたのだった。
 だが、実際に中学に入り、勉強を始めると、それまで想像もしていなかったことが起こった。
 まわりは皆優等生、小学生の頃の塾に行っていた時と同じ状態だったので、ある意味、
「優秀な中で、切磋琢磨の嬢や胃」
 といえたのだが、これが、学校ともなるとそうもいかない。
 小学校は、塾に比べれば、生易しいものだった。
「学校は塾の補助のようなものだ」
 と思うようになっていた。
 だから、先生は大っぴらに塾のことを言えなかったのだろう。
 ただ、本当にそうだったのだから、後から思うと、先生の苦悩も分からなくもなかった。
 しかし、中学ではそうではない。
「皆受験という難関を超えてやってきたのだ」
 つまり、皆それなりの頭を持っているわけで、そんなレベルで教育を受ける。
 中には、
「ギリギリの成績で入学できた」
 というような生徒もいて、
「受験は、学力テスト」
 というくらいに見ていた人。
 あるいは、親から勉強させられる形で嫌々していたが、
「その分、学力がついたせいで、受験もさせられ、別に行きたくもない学校に行かされたと思っている人までもが、自分よりも成績がいい」
 などという生徒もいたりする。
 そんなやつがいるせいで、自分はどんどんまわりから取り残されてくる。
 それでも、一年生の頃はそこまで意識はなかったが、二年生になると、その思いが強くなり、成績も落ちているし、まわりについていけないという意識が、どんどん強くなってくるのだった。
 それを思うと、
「俺は何をやっていたんだ?」
 と、それまでの中学に入ってからの意識がどんどん遠のいてくる。
 しかし、小学生の頃の塾の記憶は鮮明だ。
 途中で穴が開いてしまったという感覚のせいで、小学生の頃のことが、
「ついこの間のことのようだ」
 と感じるわけではない。
 あくまでも、小学生の記憶は、距離がそのままだといってもいいだろう。
「だったら、そこに穴が開いているということか?」
 と感じたが、まさにその通りだったのだ。
 小学生と、中学生の間に、大きな溝があるようだが、これは受験をせずに、小学生からそのまま持ち上がった中でも感じることだろうか?
 ただ、その大きな穴のせいで、自分の中にある記憶力が断片的になって、いつの間にか、自分でも簡単に忘れてしまっているかのように感じられるのだった。それはまさに、小学生の頃、宿題を忘れていたという感覚に似ているのであった。
「どうやら、俺は断片的に、物忘れというものをまるでルーティンのように感じるようになったのかも知れない」
 と感じていたのだった。
作品名:多元的二重人格の話 作家名:森本晃次