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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Crank

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『中田のハム』という屋号は、夫の光洋が決めた。当時は、傾いているせいで物が勝手にベランダへ寄っていくボロアパートで同棲していた。お互いの案をチラシの裏面に書いて、せーので出したのが、もう四十年も前の話。私が考えていたのは『ハムの中田』で、光洋は『それだと、おれがハムみたいじゃないか』と言って笑った。当時はお互い二十歳だったけれど、鏡に映したようなお互いのアイデアを並べていると、笑いが止まらなくなった。笑い終えたころには、この人と結婚することになるという、確信のようなものが生まれていた。
『中田のハムの中田』
 そう言って光洋はお世辞にも二枚目とは言えない顔を綻ばせて笑った。言葉遊びが好きで、それは今でも変わっていない。商店街の顔ぶれが次々入れ替わる中、地元で四十年やってこられたのは、光洋の忍耐力と、愛想笑いを浮かべ過ぎて真顔を忘れてしまった私の合わせ技。
 馴染みの客がガラスケースに目を走らせているのを見ていると、全ての始まりから思い出す。仕入れ先と屋号が決まって、中田光洋は食肉センターの職員から独立した。私は『中田のハム』で愛想を振りまくために、光洋との馴れ初めの場所であるドライブインの店員を辞めた。
 振り返れば、始まりは良かった。
「合い挽きを百グラムもらえるかしら」
 ガラスケースから顔を上げて、野木の奥さんが言った。四十年間で、商店街全体が少しずつ寂れて影が差したように、私も野木さんも、同じ色の影に巻き込まれている。おおよそ三十年に渡って続いた付き合い。最初に会ったのは、勝矢が小学校に上がったときだった。入学式で、肩を細い指でぽんぽんと叩かれた。
『ハムの中田さんね?』
『それは旦那の方です』
 何も考えずに答えたら、野木さんは派手に笑った。その直感的な雰囲気は、今でもどこかに残っている。
 私が秤に合い挽きを乗せていると、ガラスケースの内窓がまだ開いているのを横目で見ながら、野木さんが囁いた。
「こないだ分けてもらったやつね……、小さな骨が入ってて」
「えっ、ごめんなさい」
 私が目を丸く開くと、野木さんは口に出すこと自体に数十年分の勇気を使い果たしたように、目を伏せた。
「わたしは全然気にしないのよ。旦那がね……」
「申し訳ないです」
 私はそう言うと、ボロニアソーセージを三枚取って、別に包んだ。
「そんな、気を遣わなくてもいいのに」
 野木さんは慌てて手を振ったが、私は首を横に振って差し出した。
「大事なお客さまだから」
 袋へ入れて、半ば押し付けるように手渡すと、野木さんは合い挽きの代金を置いて、はにかんだ。
「ここも、ほんとに知っている人が少なくなったわ」
「本当ね」
 私が言うと、野木さんは言葉がつっかえてしまったように、袋を持ったまま小さく咳ばらいをした。
「野木さん、進展はあった?」
 私が訊くと、野木さんは首を横に振った。
「いや、全然ないな。でも敬太は、いい年した大人だから」
 野木さんの息子は敬太という名前で、あだ名はそのまま『けいちゃん』。勝矢も小学校のころはそう呼んでいたし、野木さんは今でもそう呼びたそうに見える。野木敬太、いや、けいちゃんは去年事業を畳み、蒸発した。三十九歳で、独身だったから消えたことに気づく人間が身近におらず、たくさんいたはずの『知り合い』は事業で抱えた負債の火の粉が飛ぶのを恐れて、誰も積極的に探そうとしなかった。
「家を出て長いから、本当に何を考えているのか分からないのよね」
 野木さんが言い、私はうなずいた。けいちゃんは、大学も下宿だった。そのまま広告代理店に就職してからは、都会に入り浸ってほとんど戻ってこなかった。
「ごめんね、中田さんしか話せる相手がいなくて」
 野木さんの夫からすると、けいちゃんは高校受験で挫折したことになっているらしい。そして、そこからは正攻法を避け続けて中途半端な大人になったと結論付けられている。
「せっかく地元にいるんだから、いいのよ。宅配便の人に言っても聞いてもらえないでしょ」
 私が言うと、ハイゼットバンが店を通り越したところで停まり、運転席から降りてきた光洋が腰を庇いながら言った。
「野木さん、いらっしゃい」
「こんにちは」
 野木さんが頭を下げるのと同時に、私は光洋に言った。
「ちょっと、こないだの合い挽きに骨が混ざってたって。ちゃんと見分けてよね」
「申し訳ない」
 光洋がお詫びにベーコンをガラスケースから取り出そうとするのを見て、野木さんは慌てたように首を横に振った。
「あの、もう頂きましたから」
 光洋はきょとんとすると、しばらく考えてからようやく意味を理解したように、小さく息をついた。
「敬太君は、進展はありましたか?」
 光洋は、はっきりと訊くタイプ。野木さんが首を横に振ると、私を参考にするみたいに、表情のトーンを下げた。実際のところ私たちにも、事業を畳むどころか、そもそも始めるようなタイプには見えなかったのだ。
 勝矢とよく遊んでいた小学校時代、野木敬太は頭が良くて活発、文武両道の優秀な子供だった。学年が上がってクラスが変わっても、その関係は変わらなかった。しかし、中学校に上がってからは付き合うグループが変わった。勝矢は成績を伸ばし、光洋と私が想像していたよりもはるかに偏差値の高い高校へ進学した。かつて優秀だったけいちゃんと逆転していて、それは中田家の食卓だけで話せるささやかな自慢話になった。『全てが私の遺伝だよ』と言い張る私と、『おれの背中を見て育ったんだ。全部背中に書いといたから』と言って譲らなかった光洋、そしてその間で苦笑いを浮かべていた勝矢。思い出を並べるまでもなく、当時が人生で最良の時期だった。
 私が当時のことを思い出していると、光洋が私の隣に立って、野木さんに言った。
「あまり心配しすぎるのも、体に悪いですよ。心を配ると書いて、心配ですから。自分の心がどこかに取られてしまう」
 言葉遊びは、光洋の十八番。ずっと聞けていなかったのが、最近はよく耳にするようになった。私は相槌を打って乗るわけでもでなく、愛想笑いに切り替えた。
「ありがとうございます。じゃ」
 野木さんは小さく頭を下げて、家の方向へ歩き出した。光洋は小さく息をつくと、前を向いたまま呟いた。
「手がかりってのは、見つからないものなんだな。海外のドラマとかなら、簡単に足取りを辿られたりするだろ?」
「難しいのよ。前にも話したけど、蒸発は自分の意思だから」
 第三者の目線から見る限り、野木家は機能不全家族だった。厳しすぎる父親と甘すぎる母親の組み合わせで、けいちゃんからすれば、二人は針がぐるぐる回る狂った羅針盤のような存在だったのかもしれない。
 勝矢は高校に上がって半年ぐらいが経ったとき、『けいちゃんと久々に会ったわ』と言った。『なんか、ちょっと悪っぽくなってた』とも。それから、勝矢は夜によく出歩くようになった。何度か注意はしたが、家族の仲は良好だった。商売も上り調子で、ちょうど店が地域誌に掲載された頃だった。光洋は自家製のローストビーフに挑戦するためにオーブンを導入した。
 冬休みが始まる直前、真新しいオーブンで赤身の塊が炙られる様子をガラス窓から見ていた勝矢は、野木さんが店に買い物に来たことに驚いていた。
作品名:Crank 作家名:オオサカタロウ