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孤独という頂点

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年十月時点のものです。それ以降は未来のお話です。

              孤独の意味

 昭和という時代は、生きている当時は、
「何とも先の見える地獄のような時代だ」
 と思っていたのは、子供だったからだろうか?
 大人になると、どんな違ったことが見えてくるのだろうと思っていたが、同じ毎日を繰り返していることに、いつの間にか慣れてしまって、先を見ることなどどうでもいいように思えてきた。
 時が経てば成長し、年を取る。そう思っていると、一日、一日は何も起こらないくせに、その日一日はなかなか終わってくればかった。
「早く過ぎてくれれば、すぐに大人になるのに」
 と思っていた。
 早く大人になりたいという意識があったわけではない。大人になったからと言って、時間の経過だけで大人になれるなどという子供だましの考えは持っているわけではなかった。
 だが、まわりの同級生などが言っているように、
「早く大人になりたい」
 と思っているわけではない、
 まわりの同級生に、
「どうしてそんなに大人になりたいの?」
 と聞いてもハッキリとした答えは返ってこない。
 小学生の頃であれば、
「大人は子供に文句を言っているだけでいいんだからm気が楽だよな。それに女は主婦になればいいだけだし、働かずに家で主婦をしていればいいだけなんで気も楽だろう。男だって、仕事は辛いこともあるかも知れないけど、家に帰ってくれば、威張ってればいいんだからな」
 と、皆言っていたし、自分だって、同じことを考えていた。
 昭和の頃は確かにそうだった。
 主婦が表で働くなどというのは、今に比べてほとんどなかった。主婦というと専業主婦が当たり前、しかも、夫婦が独立するということはなく、旦那の家に、同居生活が多かった。いわゆる、
「嫁姑問題」
 がどこの家にもあるというものだった。
 気の弱い旦那であれば、妻と母親の板挟みにあって、家に帰るのが嫌だと思っている人もいただろう。確かに一家の長として威張っている人も結構いたような気がしたが、インパクトが強いだけで、そこまでたくさんいたというわけではなかっただろう。
 会社の後輩を連れてきて、応接室で、夜遅くまで酒を飲んでいたりしたこともあったが、子供心に何が嫌だったと言って、翌日には、応接室に入るのがきつかったのだ。
 それは、入った瞬間に、真っ白い空気が漂っていて、恐ろしく臭いのだ。
 しかも、似たような臭いが入り混じっていて、鼻が曲がりそうになるくらいだった。
 今ではほとんど考えられないが、当時はサラリーマンのほとんどが喫煙していたのだ。
「酒が入れば、タバコも進む」
 というくらいで、ただ、時代が禁煙になっていくにつれて、子供の頃の思い出の一つに、この臭いはなっていったのだ。
「臭いニオイが懐かしいなんて」
 と思うのだが、それだけ、時代がある時期を境に急激に変わっていったということだろう。
 それは、社会全体がという意味と、自分個人がという意味の両方が存在し、その時期は決して一致するものではなかったはずなのだが、まったく影響も関係もないものだとは言えないだろう。そんな時代に思いを馳せていると、気が付けば、子供の時の、この頃の記憶にたどり着いてしまう。実に不思議な感覚だ。
 タバコに関しては、大人になっても吸いたくなるということはないと思っていた。ましてや、未成年(当時は今と同じ二十歳。ただし、令和四年に法律改正によって、未成年の基準が、二十歳から十八歳に引き下げられることになるが、禁煙、禁酒の年齢は、二十歳という年齢に変わりはない)の頃から、法律を破ってまで吸おうなどという連中の気が知れなかった。
 当時は、誰もがタバコを吸っていた。それこそ、女性と子供がタバコを吸わないだけで、老人ですら、タバコを吸っていた時代だったのだ。
 刑事ドラマなどで、ニヒルな刑事課長が、顔をしかめてタバコを咥えながら歩いていて、道にポイ捨てし、それを革靴で揉み消すというのが、格好いいとされていた時代である。
 今では考えられない時代で、そんな姿をいたら、まわりからなんて言われるか分からない時代だ。当時の大人たちが、今のそんな時代を想像できないであろう。なぜなら、今の若者が、そんな昭和の時代の存在すら否定したくなるほど、喫煙者は、犯罪者レベルになっているからだった。
 禁煙、いわゆる副流煙の問題が叫ばれ始めてから、結構早かったのではないかと思う。
 最初は、禁煙などという意識は町中にはなく、学校や病院ですら、吸っていても、文句を言われない頃だったのだ。至るところに灰皿が設置してあり、ゴミ箱と同じくらいに配置されていた、
 しかし、今ではそのゴミ箱すら、町中から消えてしまっている。これも一種の、
「時代の流れ」
 なのだろうが、禁煙のように、健康上の問題ではなく、ゴミ箱の問題は、もっとリアルなものであった。
 つまりは、犯罪が絡んでいるからであって、ゴミ箱の問題は、
「テロ問題」
 が絡んでいるのだ。
 あれは平成七年くらいのことであっただろうか?
 読者諸君の中で、リアルにニュースを知っている人、学校で習ったというレベルの人、様々ではないかと思う。
 そう、その事件というのが、
「地下鉄サリン事件」
 というものであった。
 朝の通勤通学ラッシュの東京の当時の帝都高速営団地下鉄(今の東京メトロ)にて、ある宗教団体における、
「同時多発テロ」
 だったのだ。
 毒ガスであるサリンを、同時にいくつもの路線でばら撒き、大混乱を引き起こしたのだ。
 ただ、その目的がハッキリしない。それによって、どこかを襲撃し、立てこもるというような行動があったわけではない。今から思えば、何が目的だったのかもハッキリとしないような気がする。
 そんなことがあったために、一時期、地下鉄に限らず、駅構内、電車の中などで、ゴミ箱が撤去された。今でも数はごく少なくなっているが、それ以降、全世界で起こっているテロの恐怖に備えるという意味でも、撤去されたままである。実に迷惑は話ではないだろうか。
 また、昭和末期から、平成の途中までにかけて、
「お菓子などの紙箱の上から、透明のラッピングがしてあった」
 というのを覚えている人も少なくなっていることだろう。
 ほとんどの人が知らないことであり、それが何を意味するものだったのかという理由は聞いてから初めて、
「そういうことだったのか?」
 ということになるであろう。
作品名:孤独という頂点 作家名:森本晃次