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人生×リキュール パルフェ・タムール

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 砂を噛むような日々だった。
 年下の彼の一挙一動に振り回され、蓄積されていく不満を吐き出せぬままに反芻し続ける。
 反芻し続けた不満はいつの間には細かく堅い粒となり、なにか言おうと口を開く度にじゃりじゃりと不快な音を立てるのだ。
 そんな音を約三年間、聞き続けた。
 その砂を洗い流そうとしている雨。
 梅雨だった。

 渋谷の駅ビルの窓辺に佇んだ彼女は、雨空を見上げる。
 彼女の耳で揺れるお気に入りのスワロフスキーガラスのような雨の雫は、雑踏から湧き出た憂鬱じみた音を閉じ込めては静かに流していく。
 穏やかな心地だった。
 雨は嫌いじゃない。
 それなのに、彼女は居心地悪そうに耳の横で跳ねる髪を撫で付ける。
 まだ慣れないのだ。ショートのパーマが。
 顎のラインよりも短くしたのは小学生以来だ。よくお似合いですよと美容師は愛想を言ってくれたが、うまく返事ができなかった。鏡の中から見つめ返す自分に、ちんちくりんという言葉が浮かんだから。
 思い切り過ぎたかなと、小さな溜め息をついた彼女は、再び髪を撫で付ける。
 暗転したままのスマホは家に置いてきた。
 今の彼女には必要ない。
 手にした幾つかの紙袋には、ここから踏み出すための仕度品が詰まっていた。
 女が失恋すると髪を切ったり、イメージチェンジしたりして変わるのは、当たり前だと思う。
 大多数の女は、付き合った男の好みになる自分を擬態しているから。というか擬態してしまうから。
 多少無理してでも。
 男が喜ぶし、それでますます好かれる。
 そして、好かれる自分が好きだと思い込めるから。
 女が男に尽くしてしまうのは原始的な本能だと思う。
 男に合わせる自分は今までにない新しい自分だし、男が好いてくれさえすれば、そうあり続けることに意味が生まれる。例え、自分が一人でいる時には見向きもしないような恰好でも、思いつかなかったような行動であっても。男が好いてくれさえするならば、無駄ではないし、滑稽でもない。
 製菓報酬型のインセンティブ。
 結婚まで漕ぎ着ければ更に価値は跳ね上がる。
 女の幸せなんて、結局なんだかんだ言っても男の存在が不可欠。
 女だらけの一生なんてまっぴらご免だ。
 未亡人の祖母や母親、未だ処女の姉妹、未婚の叔母達を思い出すだけで嫌気が指す。
 何かにつけて集まって近況を聞きたがるのは、本当は一人だけ勝手なことをしていないか、出し抜いていないかを互いに確かめ合っているだけ。
 くだらない足の引っ張り合い。
 誰もが孤独死を恐れている。
 ならもっと積極的に婚活でもなんでもすればいいのに。
 そこは捨て切れないくだらないプライドが邪魔をしているらしい。それと、いつか運命の人的な理想。
 年甲斐もなく。
 陰口悪口が好物で見栄はって可愛くもなれない年増女を誰が相手にするのか。
 バカじゃない? でも、
 三十路の私はその仲間入りをしてしまったのだなと一陣の悲しさが滲んだ。
 恋愛や結婚に対しての理想や夢なんて、若い間だけの特権。
 三十路は、世間一般で言わせれば若くない。
 血管が目立ってきた手を翳す。
 私は現実が見えていなかったのかしら?

 歩き出した彼女の、今日の予定は特にない。暇な身だ。
 空っぽになった家に帰るだけの。
 引っ越ししたいと彼女は思う。
 だけどすぐには無理だ。資金がない。貯めないと。そのためにはもっと、もっと仕事を増やさないと。コンパニオンだけじゃ食べていけない。
 体調不良の口実で休業していたアロママッサージの仕事を再開しよう。
 アロマの資格を持っている彼女は、それまで勤めていたエステで身につけた技術を掛け合わせ、女性専門の出張型アロママッサージサービスを行っていた。
 最初は、コンパニオン仲間に薦められて始めたアロママッサージは、仲間内だけの娯楽のようなものだった。けれど、極めるのが好きな彼女の拘りから徐々にレベルが上がり、コンパニオン仲間が触れ込んでくれたお陰で完全紹介制のアロママッサージとして仕事が成り立つようになったのだ。
 そのうちに、金銭的に余裕のある暮らしを実践しているワーキングウーマン層にも口コミで広がり、決して安いマッサージ料でないにも関わらず二年先まで予約は埋まっていた。万全のコンディションを整えて望みたいのと、時間に追われたくないので一日一軒と決めているので余計だった。時折、知り合いに頼まれて短時間だけ出向くこともあったが稀だ。
 コンパニオン業との兼用なのもあり、尚更予約が取りにくくなっているのだった。
 彼女は、コーラルピンクのマニキュアが上がってきた爪が揃った自分の手に再度視線を滑らせる。
 乾燥した手の甲は鳥の足のようだ。
 最近、商売道具の手入れを怠ってしまっている。美容を売りにするのなら、まずは自分からだ。
 溜め息混じりの視線は手の皮膚から筋、指の皺と順に追って爪に辿り着いた。
 爪先を凝視しているうちに、だんだんコーラルピンクが気に入らなくなってきた。
 この色は彼が好きだったものだ。
『そういう派手な仕事してる女ってさ、どうなのって、オレ、ダチに言われちゃったんだよねー』
 紙袋で痺れた指を擦っていると、不意に元カレの言葉が浮かんだ。
 嫌悪感を露にした彼の表情。
 嘘つき。
 嘘つき嘘つき嘘つき。
 言われたんじゃなくて自分がそう思ってたくせに。
 だから、普段の恰好にも「合コン」とか「斬新」とかさり気なく否定的なコメントをする。
 それを聞き流せなかった彼女は、無難なTシャツとジーパンしか選ばなくなった。
 家庭的な女を一生懸命演出して、手料理を含めた家事全般、しっかりやれるんですアピール。
 結果「実家みたいで落ち着く」と言わしめた。
 彼は彼女より八歳ほど年下で、浮かれた大学生に毛が生えたような外見と考えで。だから、年上のしっかり者の姉さん女房気取りだった。
 甘えてくる彼に母性本能をくすぐられるようで頗る気持ちがよかったのも事実だ。
 いつからか、外食での会計は彼女が持つようになって、デート代も彼女が全て捻出した。
 彼が喜んでくれるのが嬉しくて。
 彼の無邪気な笑顔が可愛くて。
『今までこんなに愛されたことない。オレすっごい幸せだよ』と言ってくれることで彼女の自意識は満たされる。
 それまで年上にしか興味がなかった彼女。
 こんなにのめり込むなんて思っていなかっただけに、これはこれでアリかもと、新しい自分を発見したような気分で夢中だった。そうして二十代最後の時期を費やし、三十の誕生日に別れを切り出されたのだ。
『オレ、家庭的な女って、重過ぎて無理』
 プレゼント代わりの言葉をもらった途端、彼女に殺意が芽生えた。同時に、ああこれが世に言う「可愛さ余って憎さ百倍」というやつなのだと瞬時に理解したのだ。
 彼は、彼女が作ったバースデーケーキに筋張った指を突っ込んで味見すると顔をしかめ、そのまま出て行った。
 残された彼女はあまりに滑稽過ぎて涙すら出てこなかった。
 代わりに自分で作った二人分の料理を食べる。
 ワインもラッパ飲みして、初めて挑戦したケーキも食べた。お腹がはち切れそうなほど膨らんだが気にせず黙々と食べ続けた。