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精神的な自慰行為

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 今はとりあえず平和になった。伝染病に罹っても、すぐに治る特効薬も開発され、ウイルス自体は全滅したわけではないが、完全にピークを通り越した。ウイルスをやっつける薬が開発されて、少なくとも、伝染しにくくなってきたことで、発病する人が減ってきた。さらに、予防注射を打っておけば、発病する可能性が低くなった。つまり、感染しても、無症状のまま、何事もなかったかのように過ごせる確率が劇的に倍増してきたのだ。それを思うと、五年という期間も、最初の二年くらいは、何をどうやっても、感染を抑えられず、すべてが後手後手に回っていた時期がどれだけ情けない時期だったのかということが分かったのだ。
 一つの歯車が嵌れば、後は早かった。そこからの三年は、どんどん感染者も減っていき、次第に日本が有事であることすら忘れてくる人が多くなったくらいだ。
 本当はこれを風化させず、別の伝染病が流行った時のために、今回のことを生かせるように検証が必要なのだが、それができないのも日本人、いや日本政府の酷いところであった。
「きっと、また何かあれば、同じことを繰り返すに決まっている」
 と、今は思っていても、次第にそんなことがあったことすら、歴史の一ページとして記憶の奥に封印されることになるのだろう。
 ただ、今はそんな時代が通り過ぎ、皆放心状態ということだろうか。何かよくないことが忍び寄ってくるのは、意外とそういう時期なのかも知れないと、思う人はあまりいないだろう。
 そんな時代には、犯罪も多発した。しかも多様化してきて、起こるべくして起こった犯罪もあれば、計画されたものもある。詐欺やサイバー犯罪などは計画してのことだろう。ただ増えてきたのは、空き巣が多かったりもした。自粛のために、店を閉めなければいけないところに入ってくる。それこそ、
「火事場泥棒」
 を地で行っているようなものだった。
 そして、特に増えたと感じるのが、交通犯罪だった。
 車による無免許運転、飲酒運転などであり、しかも問題なのは、検問に引っかかると最低でも免停は免れない状況なので、逃げ出す輩がいるのだ。
 検問を振り切って走り出し、それらが他の車両や歩行者にぶつかって死亡事故を起こすなどという最悪の状態が結婚あったりした。
 そのほとんどは、無免許や、飲酒、あるいは薬物が絡んでいるだろう。
 捕まりたくない一心で逃げると、人を撥ねてしまった。つまりは、危険運転致死罪である。
 ただ、いくら罪を重くしても、数年で出所してきて、さらに、免許も生涯取得できないわけではない。いや、そういうやつは、無免許であろうが運転するだろう。だから、永遠になくなることはないのだ。
 どうしてそういう犯罪が増えてきたのか、専門家も首を傾げていたが、ちょっと考えれば、自粛疲れと、それによる、感覚のマヒを指摘する人もいるが、何よりも、
「自分は事故らない。自分だけは大丈夫だ」
 という気持ちがあるからだろう。
 飲酒運転にしたって。
「捕まらなければいいんだ」
 というだけの問題である。
 自分は捕まらないと思っているんだから、捕まった時のことなど考えているはずもない。だから、検問を見ると逃げ出してしまうのだろう。それだけ、自分は捕まらないと思っているのに、検問を見て、パニックになって、冷静な判断力がなくなってしまうからだという意見もある。
 しかし、本当にそうだろうか?
 そもそも、そんな浅はかなことしか考えない連中なんだから、最初から冷静な判断が生まれつきできないやつなのかも知れない。
 それとも、今までの人生の中で、数々の冷静な判断をしなければいけない状況において、ことごとく、冷静に判断をすることができずに、くだらない人生をしてきたことで、最後になって、このような結末を迎えることになるのだろう。
「まだ人生が終わってないって? そんなことはない。この男のターニングポイントはここなのだ。ここで、冷静な判断ができるようになれる最終ジャッジなのだろう。ここでできなければ、後は転落人生が待っているだけ。もっとも、ここまで来た時点で何度もあったターニングポイントを、まったく知らずに来たのだから、ここで立ち直れるなど、まずありえないのは分かり切ったことであろう」
 と言えるのではないだろうか。
 交通関係と言えば、最近は自転車の問題も深刻だ。
 自転車が歩道を走って、歩行者と接触というのもよく聞く。自粛期間になって、デリバリーが増えてきたことで、自転車の配達員が増えた。しかもその連中の運転の酷さというと、まるで無法地帯で、歩行者の横をすり抜けるような猛スピードでの走行は、事故がない方が不思議なくらいだった。
 そもそも、歩道を自転車は走ってはいけないのだ。
 配達員で歩道を走っていい場合は、ほぼ、自転車通行可の標識があるところだけである。しかし、それでも、歩道というのは、
「歩行者専用道路」
 であることには変わりない。
 それを我が物顔で走るというのは言語道断である。自転車が不可の歩道で、自転車が走るというのは、
「通行区分違反」
 という罪であり、結構罪としては思い。
 極端な話で言えば、
「バイクが歩道を走るのと同じだ」
 と言っていいレベルのものである。
 バイクが歩道を走れば、誰が見ても、重罪なのは分かり切っている。自転車でも同じだということをあまりにも誰も知らなすぎるのだ。
 そんな事故が多発しているこの時代、やはり大きな問題になっているのは、飲酒運転だった。
「法律が厳しくしなければ、事故は無くならない」
 という意見が世間を席巻し、数年が経っていた。
 実際に、国会では元々問題になった事故発生から、やっと五年経ってから、国会で、飲酒運転の罰則を厳しくしようという声が出て、その法案が提出されたのだが、その頃になると、
「少々法律が厳しくなったところで、飲酒運転や無免許運転がなくなるはずはない」
 という意見が主流になってきた。
 これは、
「飲酒運転や、無免許運転を撲滅しなければならない」
 と言われているのに、実際に事故がまったく減らないこと、さらに、一番守らなければならない、教師や警察官などを中心とした公務員の犯行が目立っていることで、これらの犯罪がどれだけ卑劣かということと、しょせんはなくなるはずがないという諦めの境地を世間に感じさせることになったのだ。
 許せないという気持ちと、諦めの境地を同時に感じなければいけないということは、本当に虚しいことである。
 それなのに、世間の風潮を知ってか知らずか、国会では、いまさらのように、罰則強化が審議されている。
 これは国民から見れば、思い切りシラケムードであり、バカバカしいと言ってもいいだろう。
 もっとも、罰則を重くすること自体に反対なわけではない。罰則を重くすることは必要なことであり、当然なことだというのは、国民のほとんどの人間の同一認識だと言ってもいいだろう。
 しかし、問題はそこではなく、
「いまさら感」
 なのだ。
「何を今さら」
 つまりは、世間があれだけ騒いでいたのだから、もう少し早く法整備があってもしかるべきだった。
作品名:精神的な自慰行為 作家名:森本晃次