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空墓所から

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3.子守げんか



 夜。

 周囲は暗く、ひっそりと静まり返っている時刻。ほとんどの人、というのは言い過ぎにしても、まあ、かなりの人にとっては眠りに就く時間。そう言って差し支えないだろう。
 かくいう僕もその一人で、夜中、日付が変わる少し前ぐらいに部屋の電気を消し、布団に入って目を閉じるという生活を続けている。

 でも、そんな生活にちょっと最近、狂いが生じてきてしまってね。

 いつもよりも早く眠ってしまう? そんなことじゃない。では、反対に夜更かしをしてしまう? 半分正解だが、それも100点満点ではない。 じゃあ、一体何が起きたんだって? まあ、そんなに焦るなよ、ちゃんと順を追って話すから。

 実は、先週あたりからの話なんだがね。僕は、眠れなくなってしまったんだよ。

 ああ、そうなんだ。夜だけじゃない。夜の次にやってくる朝や昼でも眠りに落ちることができない。ずーっと眠れてないんだ。何、熱い風呂に入ってから寝るといい? そんなのとっくの昔に試したさ。でも、熱い風呂に入っても、温かい飲み物を飲んでも、運動をして体を疲れさせてみても、病院で診察してもらって薬を飲んでみても、夢の世界は一向に僕を受け入れてくれないんだ。
 おかげでもうほとほと困っていてね。仕事の能率が下がって上司に怒られるわ、イライラが募って怒鳴り散らしたくなるわ、駅で電車を待っているとき、ついふらふらとプラットフォームから飛び降りそうになるわでね。このまま眠れない日々が続いたら、それこそ次の眠りは永眠になってしまうよ。いったいどうしたらいいものか悩んでいるのさ……。


      *            *            *


 おー、ご無沙汰。元気にしてたかい。

 僕? 僕はすこぶる好調だよ。いやあ、もう絶好調と言ってもいいぐらいだね。え、こないだは眠れなくて今にも死にそうだったじゃないかって? ああ、そうだったねぇ。でも、実はあれから数日もたたぬうちに、画期的な解決方法が文字通り飛び込んできたんだよ。

 うん? その解決方法とやらを教えてくれって? もちろんそのつもりさ。まず前提として、あまり言いたくはないんだけれども、僕が安月給なのは君も知っているよね。正直、高い賃金をもらっているとは言い難い。まあ、僕はそんなお金に対して執着はないほうだから、これで十分満足はしているんだけどね。
 それで、お金がないとどうなるか。いろいろなことが起こるわけだけれども、どんなことが起こるか、君も少し考えてみないか。ん、食生活が貧しくなる? ああ、それはあるかもね。遊びにも行けない? そんなことはないよ。別にお金がなくたって、遊ぶ方法はあるもんさ。
 実はね、壁の薄いアパートに住む可能性が高くなるんだ。奥さんと子どもと3人で立派な戸建てに住んでいる君には分からないと思うけど、家賃ってのは、ものすごく生活費を圧迫するもんなのさ。だから、その家賃の圧迫を避けるために壁の薄いアパートに住むようになる。僕ら安月給の貧乏人は、どうしたってそのような住まいの選択をしがちになるんだよ。
 それがどうかしたかって? 壁が薄いアパートに住んでいたらどうなると思う? 次に起こることは君でも瞬時に予想が付くだろう。そう、隣家の話し声や生活音が聞こえてしまうんだ。
 もしかして、いかがわしい声などを聞いているのかって? いや、そんなことはしないよ。というよりも、不可能といったほうが正しいかな。なぜって、僕ん家は平屋の角部屋だから、聞こえてくるのはせいぜいお隣さんだけだし、そこのお宅は一組の夫婦が暮らしているんだけれども、この二人、顔を合わせるたびにけんかばっかりしているからね。

 で、そのけんかの内容がすごいのなんの。まず、ちょっとした言い合いから始まって、それがだんだんと大声での怒鳴り合いに発展していく。そこから取っ組み合いが始まって、花瓶や食器、その他部屋にあるものがどうやら乱れ飛んでいる様子。でも、やはり腕力ではかなわないのか、奥さんは薬を大量に服用してみたり、手首にカミソリを当てたりして自分の言い分を通そうと試みる。こんな感じで、怒号や金切り声、何かが割れたりぶつかったりするような音のオンパレードなんだ。
 しかも、その家の旦那さん、結構、仕事が忙しいみたいで、だいたい日付が変わる頃に帰ってくる。その時間の僕は、ちょうど布団に入って眠ろうと思っている時間、というわけだ。
 それじゃあ、逆に眠れないだろうって? 最初は僕もそう思った。でも、このお隣のハードな夫婦げんかを聞いて、いまいましく思いながら目をつむっていたら、あっという間に翌朝7時の目覚ましが鳴っていたんだ。というわけで、お隣さんの夫婦げんかのお陰で、どうにか不眠から脱出ができたというわけさ。

 でも、懸念していることもあってね。なんせ隣でけんかをしていてもらわないと困るんで、どちらかが不倫でもして離婚される、なんてことがあると困ってしまう。また、どちらかがどちらかに派手にけがをさせて、入院されるのもまずい。

 いっそ、菓子折りでも持って隣家にお邪魔して、けんかをあまりエスカレートさせないようお願いしつつ、けんか自体は毎日よろしくお願いいたしますって頼みにいこうかなあと考えているところなんだ。


作品名:空墓所から 作家名:六色塔