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空墓所から

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10.仏食い



 青一(せいいち)は、川沿いの道を一人とぼとぼと歩いていました。

 学校からの帰り道、そろそろ夕方に差し掛かろうかといった頃合い。太陽は川面にあかね色の姿を灯しながら、少しずつその身を西方へと傾けていく頃合いでした。

 青一は、そんなだいだいの世界に彩られた道をゆっくりと歩いていきます。周囲には誰もいません。並んで歩く友も、通りすがる知り合いも、すれ違う人影も。

 やがて、青一は道をを外れ近くの草むらへと歩みを向けました。その最奥の、とても草深い地までたどり着いた青一は、一度だけぐるりと周囲を見回したあと、ゆっくりとその草の中へと入り込みます。そして、特に草の生い茂った地にその身を沈めると、そこで腰をようやく下ろして一息つきました。

 周囲のどこを見ても緑色に囲まれた地。ここが、ここだけが青一のために存在している秘密の場所でした。ゆっくりと自分を開放し、思う存分思索にふけることができる、そんな場所。青一は学校の帰りにつかの間ここに寄り、かつ、ここで自身を慰撫するのが数少ない日課なのでした。

 そんな秘密の場所での一人の時間を満喫したあと、青一は暗くなる前に家路に就きます。年老いた母が一人で待っている貧しいわが家へ向かって、歩み始めるのです。

 その秘密の場所からの帰り道の途中の道に、一体の小さな木彫りの仏像がありました。道の端にまつられているものと言えば大抵お地蔵様が思い浮かびますが、その仏像はあのような丸っこくて優しそうな姿形ではありません。むしろどちらかというとそれは、どこか禍々しくて、異形とも言えるような造形のものでした。
 でも、青一はこの謎の仏像を妙に気に入っていました。信仰などという大仰なものではありませんが、善性ばかりのお地蔵さんにはなさそうな、清濁を併せ持っていそうな姿に妙に心をひかれたのです。
 そんなこともあって、青一はその仏像の前を通ると決まってしゃがみ込んで手を合わせ、お祈りをするようになっていました。別にこの像に、何か功徳をもらった訳ではありません。特にかなえたい願いがあるわけでもないのです。しかしそれでも、その像に手を合わせてから、家へと帰るのです。青一は学校帰りに、草深い自身の隠れ場所に寄り、その後、この仏像に手を合わせてから家に帰るのが常となっていました。


 ある日のことです。

 その日も秘密の草むらで思索にふけっていた青一は、ふいに喉に違和を生じ、何度かゴホン、ゴホンとせき込みました。その後も、青一は引き続き考え事をしていましたが、いざ立ち去る段になって、目の前の緑色が点々とどす黒く変色していることに気が付きました。それを見た青一はおやと思いつつ、無意識に口元を右手で拭います。その拭った右手を見て、始めて何が起こったのかを理解しました。

 青一は、せき込んだ際に血をはいてしまっていたようなのです。

 しかし、家に帰りついた青一はこのことを母に打ち明けたりはしませんでした。否、打ち明けられなかったのです。わが家に病気の治療にかけるお金はないですし、何より母に心配をかけさせてしまうからです。
 なに、大したことはない。少し喉に傷があるだけだろう。放っておけば治るはず。それが証拠にこの通り、自分はぴんぴんしているじゃないか。
 心の奥底からわき出てくる不安を、こういった考えで無理やり押さえつけながら、青一は生活を続けることにしたのでした。

 しかし、翌日も、翌々日も、青一のせきは一向に治まりません。それどころか次第にせきの回数も血の量も増え続け、母や先生、級友に隠し通すことすら難しくなってきたのです。


 そのような日々を過ごしていく中、今日もどうにかこうにか吐血を隠し終え、隠れ家まで青一は逃げ込みます。しかし、鮮やかな緑色の中に鮮血を滴らせ、秘密の場所をどす黒く変色させながら、ぜえぜえと肩で息をする始末。そんな限界状況の中、何かいい方法はないか、どうすればこの状況を打開できるかを青一は必死に考え込んでいました。

 (……せめて、せめて先立つ不孝だけは避けたい)

 家にいる年老いた母。一人息子である自分だけが頼りの母。何があっても、その母より先に自分が倒れてしまうわけにはいかない。そんな親不孝だけは、何があってもしてはならないのです。それが、青一にとって何よりも譲れない願いでした。
 しかし、青一にそれを回避する手段はおよびもつきません。どんなに考え込んで頭をこねくり回しても、恐らくもう肺病にかかってしまっている以上、母より先に自身がこの世を去るか、よしんば母が先立ったとしても、病の息子の身を案じた形で、母は世を去る事になってしまうのです。

 何らよい手を思いつかぬまま、青一は仕方なく家へと向かいます。もうさすがに病のことは隠し通せそうにありません。今夜には、母に打ち明けなければならないでしょう。話をすれば、海よりも愛情が深い母はきっと青一のことを心配し、なけなしのお金で手を尽くしてくれるでしょう。でも、仮にそうしてくれても、自身が長い命でないことは、何よりも自分がよく分かっているのです。だからこそ、母に病のことを打ち明けるのが、青一にはつらくてつらくて仕方がないのです。

 重い足取りで家へと向かう青一に、いつもの異形の仏像が出迎えます。その日の像は、何かを青一に訴えかけようとしているかのように、その場に鎮座していました。
 青一は、いつもの習慣でその像の前にひざまずき、手を合わせます。そのとき、ふと、今のこの状況をどうにかするよう、この像にお願いしてみようかと思ったのです。

 (……お願いします。母よりも長く、僕を生かせてください。僕が先立ってしまう不幸を、なにとぞ防いでください。そのためには、僕はどんなにつらい目にあっても構いませんから……。)

 一心不乱に像に祈りをささげていると、ふと、自分ではない何者かの声が脳内に聞こえてきました。

 (信心深きものよ。われを食え。遠慮はいらぬ。われを食らって、母よりも、いや、どこまでも、どこまでも生き延びるがよい……)

 食らう? どうやって? 疑問に思った青一が目を開けると、その瞬間、木彫りの像がカタリと音を立てて目の前にこぼれ落ちてきました。青一は何かに促されるまま、はいつくばってその像にかじりつきます。像は美味でこそありませんでしたが、木彫りとは思えないほど柔らかく、青一は瞬く間にそれを食べ尽くしてしまいました。

 食べ終えたその瞬間、青一の体は一気に膨れ上がり、緑色の体をした醜悪な化け物へと変化していたのです。

作品名:空墓所から 作家名:六色塔