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無限への結論

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 何と言っても、時間軸のまわりには、果てしない可能性が潜んでいる。これが世の中であり、世界である。そこに時間軸が絡んでくると、果たしてどのような断面を形成するというのか、考えるだけで頭が痛くなるであろう。
 そういう意味で、タイムマシンなどの科学空想物語を考える時は、物理学や化学で使用するような化学式が果たして通用するのかが考えものである。
 そういう意味での科学空想物語には、ロボットという発想もあるが、これもタイムマシンに負けず劣らず、未来のどこかで開発はされるが、その前に解決しておかなければならない問題が、タイムマシンよりも山積みであった。
 ある意味ロボット工学はタイムマシンのようなSF的発想に比べれば現実味を帯びている。それなのに、問題が山積みだということは、タイムマシンに至っては、さらに何倍も、何十倍も超えなければいけないハードルが控えているに違いない。
 タイムマシンというものをいかに作るかは、ロボット工学のように、パラドックスに優先順位をつけて、操作できるものがなければいけないだろう。発想と現実の狭間にはどんなものが潜んでいるというのだろうか。
 ロボット工学にも、二つの大きな考え方がある。
 ロボットの思考問題と、ロボットの安心安全性ということであろうか。しかも、ロボットの思考問題は、タイムマシンにおける、
「パラレルワールドの問題」
 と似たようなことが言えるのではないだろうか?
 パラレルワールドというのは、次の瞬間、過去でも未来でも、その先に広がるものには無限の可能性があるということだ。
 ロボットの場合も同じである。
 ロボットに何かの命令をすると、思考回路のあるロボットは、いろいろな可能性を考える。その中には、命令に関係のないことであったり、その場面とはまったく関係のないことまで思考してしまい、心配がループしてしまうことで、一歩も動けなくなってしまうという問題である。要するに可能性という意味では無限に存在しているというパラレルワールドと同じ発想である。
「だったら、これから起こる可能性をパターン化して、そのそれぞれの場面をパターン化した中で考えればいいのではないか?」
 という考え方が出てきた。
 つまり、一つのパターンをフレームという枠の中に入れてしまうという考え方なのであるが、ここにも大きな問題があった。
「無限を何で割っても、無限でしかない」
 ということである、
 無限をいくら細分化しようとも、細分化するパターンも結局無限に存在するのだ。すべてのパターンを網羅できる人間のようなロボットは、できっこないというのが、
「ロボット開発におけるフレーム問題」
 というものであった。
 だが、一つのことに特化したロボットというのはできるであろう。今の時代でも、お掃除ロボットや、工場で、一つの部品を作るというくらいの単純作業に特化した程度のロボットであれば、いくらでもできるだろう。先ほどの考えなければいけないパターン、つまりフレームが数種類しかないからである。
 すべてのことを網羅できていないと開発を始めることすらできないタイムマシンと違って、ロボットのフレーム問題に関しては、段階を踏んでいけば、いくつかのロボットは作ることができるのかも知れない。
 この問題はタイムマシンとの共通の問題点であるのだが、もう一つの、安心安全というのは、いわゆる、
「ロボット工学三原則」
 と言われるものである。
 ロボットというのは、人間よりも強靭で、強力な力を持っていることで、人間ができないことを、自らで考えて行ってもらうという、
「考える機械」
 である。
 そして、それは人間の利益のためでなければいけないわけで、ロボットが人間を攻撃するなど本末転倒であるが、その危険が及ばないような細工をしておくことが大前提であった。
 これができていないと、
「優秀な人間を作ろうとして怪物を作ってしまった」
 と言われる、フランケンシュタインの話になってしまうというものだ。
 つまりは、人間に危害が加われないようにすること、人間の命令には絶対服従であること、そして、人間の利益を守るという意味でのロボットの外的で悪意のある破損は許されないということの三原則を忠実に守るという回路を組み込む必要がある。
 この三原則には明確な優先順位が存在し、例外もしっかりと最初から網羅しておかなければ、簡単に組み込むこともできない。
 その問題をいかに解決できるかというのも、フレーム問題と同じくらいに大きな問題である、
 そもそも、フレーム問題を、問題としないほど優れた人間であっても、これだけの大きな問題を孕んでいるのだ。
 ハッキリいうと、
「人間ほど、知能が優秀で、動植物会の支配者と言ってもいいくらいの頭脳明晰であるにも関わらず、これほど精神的に弱いものもないだろう。すぐに宗教に頼ったり、その宗教の考え方の相違から、殺し合いという戦争に突入するのだ」
 他の動物と違って、私利私欲で相手を殺すのは人間だけだ、
 他の動物のように、生きるためという理由以外で同類を殺すのだ。動物の中には共食いをするものもいる。それを、
「残酷だ」
 と言っている人もいるようだが、それはあくまでも、
「生きるため」
 である。
 人間はどうだろうか? ライバル会社を蹴落として、蹴落とされた方の会社の人は、人生に失望して自殺しているかも知れない。蹴落とした方の人は、蹴落とさなければ生きることはできなかったのだろうか? いや、自分が大きくなるために蹴落とすというのは、
「蹴落とされた方に力がなかったからだ」
 ということで、蹴落とされた方が悪いというような風潮もあったりする。
 そんな世の中、果たして、大丈夫なのだろうか? 人間の世界は、ここだけを取ってしても、他の動物にはないものを持っていて、しかも、それは悪とは認識されない考えであった。
 何しろ人間以外が自分たちと同じことをすれば、
「残酷だ」
 というくせに、自分たちに対しては、逆の発想だ。
 それだけ、人間というものは、無双だという考え方を当たり前のように持っているのであろう。
 これだけの人間が一つの時代に存在しているのだから、これまでの歴史の中に存在した人間の数はハンパではないだろう。そのことを誰も言い出さないということは、
「分かってはいるが、言ってはいけない、公然の秘密なのだ」
 ということになっているのだろうか。
 それだけ人間という動物が他の動物とは違う、特別で優秀なものだと当たり前のように思っている。
 そこには謙遜すらない。この考え方こそ、他の動物でいうところの、本能のようなものだとすれば、そんな人間に、タイムマシンやロボットなどというものを与えてはいけないという、人間よりもさらに高等な何者かの警鐘なのかも知れない。
 ここまではあくまでも作者の、事実や言われていることを踏まえた上での考え方を示したものであり、ここからの話は、作者の科学空想物語であることを示しておこうと思っている。
 さて、ここにタイムマシンの開発に成功した柿崎チームであったが、これらの開発は、前述のような、
「完璧なものでなければ、タイムマシンと呼んではいけない」
作品名:無限への結論 作家名:森本晃次