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雑草の詩 4

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『雑草(ざっそう)の詩(うた)』 (4)
           
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 再び訪れた夏。真悟と幸恵は連れ立って幸恵のいた施設を訪れていた。
 古ぼけた木造の建物、あちこちに染みや汚れがあり、窓ガラスにもたくさんの縫い目があった。そのお世辞にも立派とは言えない建物の一室で、真悟は幸恵から紹介された一人の老婦人と対面していた。隣には子供達の中に混ざって無邪気に駆け回っている幸恵の姿があった。  深いシワの刻まれた温和な顔により一層の微笑みを讃えて、真悟と対面している老婦人、しかしその口から出てくる話は、真悟の心に動揺を引き起こすには充分過ぎるものだった。
「今はもう亡くなられたんですけどね、実田さんっていうご夫婦がいらして、良くあの子を訪ねて来て下さったんですよ。あの子の両親と生前親しく付き合っていらしたんですね。
 あの頃は誰でも貧しかったんでしょうけれども、あの子の両親はそれはもう一生懸命働いていたんだそうです。とても厳しい毎日の中にいても、人も羨む程仲が良くて‥‥‥。
 でも、運命なんでしょうね。お嬢さん育ちで体の弱かったお母さんの明恵さんは、無理がたたって幸恵ちゃんを生んですぐに亡くなり、お父さんもその後を追って幸恵ちゃんを連れて死のうとしたらしいんです。
 でもそれに気付いた実田さん達にどうにか引き留められて、そしてやっとなんとか元気を取り戻して生きて行こうとした矢先に、事故で亡くなられたらしいんです。
 実田さんは涙ながらに話しておられましたよ。
『ウチに少しでもお金の余裕が有れば、幸恵ちゃんを手元に置いて育ててあげられるのに。』って。
 幸恵ちゃんの御両親って、きっと心根の優しい素敵な人達だったんでしょうね。だから幸恵ちゃんも、あんなに明るくて元気なんだと思いますよ。」
 ゆっくりゆっくり、彼女はいかにも幸恵がいとおしくてたまらぬという風で、穏やかに微笑みながら語り続けるのだった。
「あの子はね、今まで一度だって弱音を吐いたことが無いんですよ。辛いことだって一杯ある筈なのに‥‥‥。
 たった一度だけ、去年の夏にフラッと訪ねて来て、泣き腫したような目をしていたんですけどね。
 でも、今日はまたいつものように元気でいるので安心しました。」
「去年の夏ですか‥‥‥。」そう言ったまま真悟は黙り込んだ。
(この人は、きっと全てを知っているに違いない。‥‥‥自分のことも。
 けれど、こうして自分を許してくれている。いや、自分の傷を忘れてくれている)
 真悟の心の中には、その場の光景が昨日の事のように思い起こされた。そしてその老婦人から聞かされた幸恵の過去と折り重なって、改めて真悟の中に幸恵の影が、その存在が大きく育つのだった。 子供達と笑いながら戯れている今の彼女からは想像することさえ出来ない様々の困難が、彼女の上を通り過ぎていったに違いなかった。彼女は一事も語らないけれど、以前勤めていたと言うオモチャ工場にしたって、安い賃金で重労働を強いられていたに違いなかった。彼女がそれを、そしてまたその苦闘の人生を一事も語らぬだけに、より大きく真悟の心に影を落としてゆく。力強い幸恵だから、今まで生きてこられたに違いなかった。そして彼女はこれからも力の限り生き抜いてゆくだろう。
 真悟は、身体の奥底から沸き起こる熱い感動に、痺れるように震えていた。
(俺も生きて行こう。力の限り。
 出来るならば、彼女と共に‥‥‥)

 幸恵はいつのまにか小さな庭に出て、子供等と追い掛けっこを始めていた。
 溢れる程の光を体一杯に受け、陽気にはしゃいでいる彼女の姿には苦悩のひとかけらさえ見つけ出すことは出来ない。頭上に輝く太陽にも負けぬ気に、幸恵は高らかに笑っている。子供のように、天使のように‥‥‥。
 夏の風景に溶け込んでいるかのように、いつまでも、いつまでも子供等と戯れている幸恵の姿に、いつしか、真悟も誘われるように外へ出て、遊びの輪の中へと加わっていったのだった。 

         6

 楽しい日々は駆け足で過ぎてゆく。季節のウツロイは陽の強さを変え、地上のあらゆるものを様々に変化させてゆく。あるものは絶え滅び、あるものは勢いに乗じてその力を拡大させ、一つとして変わらぬものはない。草花にしても樹々にしても芽を吹き背を伸ばし、葉を貯え、花を咲かせ実を実らせ、また散らしつつ育ってゆく。葉を落とすこともまた巡り来る季節には花を咲かすことも忘れずに、全てを繰り返しながら朽ちてゆく。子孫を作ることも忘れることはない。
 動物にしても人間にしても同様であり、またこの地球も同じように、朽ち果てるその瞬間まで姿を変えてゆく筈だ。変わらぬものなどある筈もない。善くなるにしても悪くなるにしても、全てが移り変化してゆく。
 幸恵と真悟を繋ぐ糸も次第にその太さを増していった。二人にとってお互いの存在はなくてはならないものとなっていった。喜びも苦しみも、何を思うにつけてもその微笑みが心の中にあった。苦しみはふたりで半分づつにして、喜びはふたり分に倍加して、心の絆で結ばれてゆくのだった。より強く、より堅く。

 真摯な決意で受験の準備に取り組んでいる真悟は、受験生に与えられた僅かな休息を、幸恵と良く二人で旅をして過ごした。それは旅とは名ばかりの日帰りの小旅行ではあったけれど‥‥‥。

 秋のある日、二人は海へ出かけた。日曜日の為か数組のカップルや家族連れはあったけれど、波の音だけがそれらの声を打ち消して耳に伝わるかのような、それは静かな海だった。
 寄せ返す波に素足を洗わせながら無邪気に貝殻を拾い集めていた幸恵は、真悟の方を向いて手招きした。
(奇麗な貝殻でしょう)幸恵の瞳は、そう真悟に語りかけている。
 真悟は貝殻を手にとって暫くそれを眺めていたが、ニヤッと笑うと突然幸恵に背を向けて駆け出した。振り返ると、幸恵も笑いながら追いかけてくる。二人はどこまでも、どこまでも走り続けた。
 何処までも、果てしを知らぬ真澄の空、青く深く漂う海‥‥‥。
空の青と海の青が頬寄せ合うところ、そんなところまで走ってゆけたらいいのに‥‥‥。
二人の想いは一つの翼を持ち、青く交わる空と海の果てまで飛んでいった。

 息が途切れてしまうかと思われるところ迄駈けて来た真悟はハアハアと肩で大きく息をしながら振り向いて幸恵の姿を求めた。しかし後方から来る筈の幸恵は遙かに離れた場所で、両手を砂の上につき、苦しそうに肩で息をしていたのだった。
「幸恵ー!」
 蒼白を顔面につけて、転がるように真悟は駈けた。
「どうしたんだ、大丈夫か!」そう叫びながら幸恵の傍らへ走り寄り、額には汗を一杯にして息も絶え絶えに彼女の肩に手を置いた、その時だった。たった今まで苦しそうに俯いていた幸恵は、真悟の顔を見るなり急に笑い出し、そうして笑いながら真悟の元を離れかけ出したのだった。
「馬鹿野郎‥‥‥。」ポツンとそう呟くと、真悟は幸恵の後を追った。
 背中の中程まで届く長い黒髪を風になびかせながら、振り向き振り向き笑って駈けてゆく幸恵の後を、矢張り同じように笑いながら真悟も追い続けた。
作品名:雑草の詩 4 作家名:こあみ