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2002年3 月、神社の柏手や土俵の四隅の色にも意味あり

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《2002年3月》
3月はホワイトデー、神社へのお詣りが多い時期。大相撲も3月場所。

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◆3月1日/今月はホワイトデー

寒さも遠のいて、段々暖かくなってきました。これから2ヶ月間くらいが一番気持ちの良い季節でしょう。同じような気温でも、秋に比べると冬を過ごした分、春が格段に暖かく感じらます。
 
3月はバレンタインデーのお返しが待っている訳ですが、いつ頃からこんなに盛んになったのか自分の記憶にはありません。
少なくとも20年ほど前までは無かったのでは…。勿論チョコレート(お菓子)業界のアイディアでしょうが、心理的なことに訴えるやり方は、商売として見習う必要はありそうです。
 
ところで今でこそチョコレートは当たり前のお菓子ですが、初めから今のように固まった物ではなく、元々は飲み物だったらしい。
 
メキシコでカカオの木の種(カカオ豆)を砕いて煮た汁を冷やしてコショウなどを混ぜて飲んだ。味は苦く「苦い水」を意味する「チョコラル」と呼ばれていました。

メキシコのアズテック族はカカオの木を神からの授かり物と思い、それで作った水は飲むと力がついて病気にかからない…と信じられて、実際に疲労回復などに効用があると言われているようです。
 
スペインの探検家達が教えられて飲み始めたのですが、コショウ味には馴染めずに、砂糖を混ぜて新しい飲み物を作ったのが「チョコラーテ(Chocolate)」と呼ばれ、英語圏に入ってからチョコレートになったと言うこと。
しかし、そのまま固めて今のような形になった訳ではなく、カカオ豆を炒ってはじけた殻を取り除き、残った芯を石臼でひいて液状にして、そのまま固めると苦味のあるプレーン・チョコになり、砂糖や牛乳を混ぜて練ったのがスイート・チョコになるとの説明です。
 
そして120年程前にスイスで板チョコが考案されて、現在のチョコレートの原型が出来ています。日本には明治中期頃に入ってきていますが、一般的になったのは大正ロマンの頃で、そのほのかな甘さは乙女心に訴えたことでしょう。
 
母の日にカーネーションを贈るのは何故か…という話は有名ですが、どうせバレンタインにチョコを贈るなら、単に誰でもやっているからではなく「チョコレートの歴史」などを知っていると少しは話題になると思いますがね。
 
但し、我々の年代はほとんどが義理チョコと分かっているので(女房殿もあまり関心なさそうだし)、これからは多少アレンジしたプレゼントを仕掛けて、そろそろ形を変えたバレンタインデーを演出することに挑戦してみても良さそうですが。

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◆3月7日/神社詣での拍手(かしわで)

作日は「啓蟄」、地中の虫が這い出てくる時期になりました。最近の運動不足の解消方法として、なるべく歩くようにしていますが、時間がある日曜日には朝8時頃から自宅を出て会社までの約7kmを1時間30分ほどかけて歩くことも…。
 
健康にも良いし、車に乗っていては気づきもしなかった道路脇のお店や庭先などが面白いですね。歩きながら考えることも出来るし、先週は途中の献血センターにも寄って、2年ぶりの献血も行いました。
 
そんな中、駅の近くの三溝地区に小さな神社があるのに気がつきました。歩道沿いの小さな鳥居と公民館の横の小さな祠(ほこら)だけですが、自分が駅の南側出身で、小さい頃から慣れているはずなのに気がついていなかったし、名前も知りません。
 
50歳も過ぎた年齢のせいなのか、最近は神社仏閣の作りとか成り立ちなどが何となく気になっています。仕事や家庭の事などの一般的(小市民的?)な願い事を自然な形でやれるようになってきたのでしょう。
小銭の賽銭を入れ、鈴を鳴らして拍手(かしわで)を打つ時は、苦しい時の神頼み…ですかね。(30%くらいは否定出来ない。)
 
日本では神社に行く機会も多いのです。初詣、七五三、○○祈願…そしてポンポンと手を打って拝礼する。幼少の頃からそんな風にするものだと思い、大人になっても何気なく実行しています。
実は「二礼・二拍手・一礼」が正式である事を最近知りました。それまでは適当にしていたと言うことですか。
 
その拍手を打つ行為は、古く魏志倭人伝の記述に、「倭人は、偉い人に会った時は手を打つ」と書かれているらしいのです。つまり、現代の握手と同じように、人と会うと拍手(かしわで)を打った。
それは、音を立てて神様を招き寄せ、お互いの魂を振り動かす神がかりの祝福の方法だったらしい。そして、そのまま現在のような拍手の風習になっているようです。
 
自分が現在住んでいる大和町の神社、生まれ育った街中(会社もある)の神社、そして妻が生まれ育った小城町の神社、それらに参拝するようになっておよそ1年。何がどう変わった訳でもないのですが、今でもどちらかと言うと無神論者と思っている自分が何故か変わって来たのは人生の転機なのかも知れません。
 
尚、「2度礼をして、2度拍手して、最後に1度礼をする」ではありますが、七五三の場合は少し違うらしく、又、出雲大社だけは拍手は四回打つことに決まっているらしい。やはり神様が集う場所は格が違うのでしょうか。

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◆3月15日/土俵の四隅
 
大相撲の春場所も今日で6日目。ついに春場所の満員御礼も3日目に途切れてしまい、相撲人気のかげりが目立ってきました。テレビではNHKでやっているからまだ良いけど、それでも会場の奥の方では座席の空きが何となく多いようです。客を呼べる力量を持っている看板力士の存在が、このところ不足しているのも一因でしょう。
 
大関の大安売り…も格を落としています。大関と言えば、三役の一番上なのに(横綱は江戸時代の終わり頃に最強の別格大関の意味で地位が出来たようです。)2場所連続負け越しと言う、大関なら軽くクリア出来るであろう成績にも届かずに、大関転落力士が続けて出ている状況です。 
 
さて、土俵と言えば、土俵の柱が無くなってもう30年ほどになるでしょうか?
 
昔は確かに房(布)が巻いてある4本の柱が立っていました。青房、赤房、白房、黒房です。この意味は「青=春/青龍、赤=夏/朱雀、白=秋/白虎、黒=冬/玄武」…
これはまさに中国の風水学で言うところの「四方向の季節と守り神」と同じです。日本の国技とは言うものの、中国からの文化到来がこんなところにもありました。
 
ところで、横綱は武蔵丸で何代目ですか?…70代目くらいと思いますが、自分が知っている限りでの横綱同時昇進が何回かありました。柏戸&大鵬、玉の海&北の富士、(ウーン、鏡里&吉葉山…もでしたかねえ。いや、これは1年ほど差があったはず。) 
 
この場合、代位はどうなるか。それは先に引退した方を先代とするらしいのです。従って、現役時代は第○○代横綱とは言えない訳です。土俵入りの時に第○○代横綱の誰々と言うと、いかにも強そうな感じがするのに。