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2001年6月、大阪・池田小学校の事件発生

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《2001年6月》
あの大阪府・池田小学校の事件が起きた時です。

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◆6月2日/PTA

今年の4月から、初めてPTA活動に参加しています。双子の息子が中学生になり、回りからの要請もあって何となく加わった感じです。上の2人の娘の時は、他の社会的活動を結構やっていて、PTAは避けていたようなので今回は引き受けました。

これまではPTAと言えば、お母さん達がうるさいだろうな…、先生達が固いだろうな…、なんと言っても煩わしい横の関係があるのじゃないか、と参加していなかった私は勝手に思っていました。

昨今の子ども達の心の中がどんなになっているのか、大人が心配する向きも多々ありそうです。中学や高校において、先生対生徒の確執、親対教職員の見解の相違、教育現場は難しいだろうな…とのイメージが自分の中にあったのは否めません。

ところが、わずか2ヶ月でそんな思いがすっかりなくなってしまいました。PTA役員会や教職員の方たちとの懇親会で接した彼等は何と明るいことか。何と馴染みやすいことか。

胡散臭かったのは最初の顔合わせの時だけで、2回、3回と会ううちに、変なサークルよりよっぽどサッパリしていて気持ちが良い。なるべく早く役員や先生達の顔と名前を覚えたい気になっています。

PTAに参加している保護者の皆さんは、どちらかと言うと外に向けての「出たがり」 の人が多いとは思いますが、その分自分の意見をしっかり言うタイプが多い。そして人の意見もしっかり聞く…つまりコミュニケーションが上手なのです。

学校の先生方とPTAの方との連携の深さが、そのままそこの学校の校風になっていると感じます。子ども達に与える親の雰囲気が、子どもにとって自分を見てくれている.…との信頼感になってくる。特に父親が参加した方がより感じるのではないかと思われます。

子どもが子どもとして育っていくのに、親は難しいと感じることはありません。ただ一つ、子どもが1ケタ年齢の時(9歳の頃まで、小学校低学年)に、しっかり付き合ってやることが最も大事でしょう。

学校行事でも社会体育行事でも、その年齢までに「お前が一番大事なんだ…」との基礎的安心感を子どもの心に入れておけば、後は思春期の反抗期があっても大丈夫、と私は思っています。親子の信頼関係が小学生の頃までに既に出来ているのだから。

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◆6月9日/凶器と狂気

昨今は刺激的な事件が多発して、「日本異常事態」の雰囲気があります。それでも大きな事件が半月ほど経つと、もう次の事件にかき消されて目立ちません。

数十年前はメディアが今のように発達してなくて、少々の事件などはそんなに知らされていなかったのかも知れません。しかしそれにしても、昨日の池田小学校の事件は、その死亡者の数から言ってもショッキングな事件そのものです。

子どもを持つ親として、亡くなった子ども自身は勿論、その親御さんの苦悩と無念はいかばかりか。運が悪かった…では済まされません。

精神異常者による通り魔的殺人は、今の日本の慣例として「精神鑑定」と言う、被害者にとって何ともやりきれない社会的悪法でうやむやにされている感があります。実際には「一般的精神病患者」と「行為精神病患者」に分けられ、物事を起こすのは後者と言われているようです。  

外傷のように外見からは判断が出来ないので、その判定や医療行為は確かに難しいでしょう。しかし1度事件を起こした精神異常者は、再発させる可能性が大いにあると言います。本人の人権を言う前に、もしもの時の被害者をなくす方が優先されるべきでしょう。

少年法と同じように、精神病患者の犯罪が精神鑑定を意識的に利用した犯行にいたる可能性を日本政府は是正しないのでしょうか…。欧米諸国のみならず、中国、韓国でも2つの方向性の患者を分けて対処しているようです。

米国の銃乱射事件も1年に1回位はどこかで起こる可能性を多分に持っているし、実際に起きています。護身用としての銃である前に、凶器としてのイメージが強い銃は規制する必要性も問われ始めています。

日本の場合は、刃物という日常的に使用されている「日用品」がそのまま凶器になるのだから防ぎようがなく始末が悪い、それを規制は出来ません。

大きな人的加害を犯した人物は、もし精神鑑定という訳の分からない弁護で守られるなら、せめて2度と社会生活に復帰出来ないように隔離(管理) すべきでしょう。
何の落ち度もない人が、運の悪さでその場に遭遇して死亡する事ほど理不尽なことはないのです。

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◆6月19日/♪カエルの歌が、聞こえてこない♪〜

昨日のラジオ放送で「この数年はカエルの騒々しい鳴き声が聞こえてこない。」との話題が出ていました。そう言えば確かに市街地でなくてもカエルの声を聞く機会が何だか少ない気がします。少なくとも騒々しくはありません。

私は佐賀市郊外の大和町と言う町に住んでいます。ここは歴史があり、時々住宅予定地に文化財になるような史跡が出てきて住宅建築がしばし延期になることもあり、そして水がきれいで自然もたくさん残っています。

自分達の常識では、そんな片田舎では梅雨の時期(日本では田植えの時期)にはあの騒がしいカエル達の鳴き声が当たり前でした。日本全国、どこの地方でも当然の事で、まさに風物詩でしょう。(だったでしょう。)

何故こんなにカエルが減っている事態なのでしょうか。「農薬の日常的な使用」のため…と考えるのが当然のようです。

我々が小学生の頃の通学路には、あの吸血のヒルも、ゲンゴロウもミズスマシも、そして勿論オタマジャクシも我々とにらめっこをしたものです。それが今は殆ど見受けられない。それは確かに農薬が大きな原因かも知れません。

しかしカエルの減少については農薬ばかりではないでしょう。なぜなら日本ばかりでなく、世界的な傾向だからです。しかも、農薬とは関係のない一般的な湿地帯でもカエルが減っているらしいのです。

哺乳類をはじめとして、その他の地球上の色々な生物は、皮革や毛や甲殻、羽毛などの外的要素に対する防御力を備えています。それに比べると両生類の彼等は皮膚組織が非常に弱く、全く無防備に近い皮膚なのです。

魚とは違い、生活時間の半分は水から出ているので、そのために太陽からの紫外線により多くさらされています。

地球を太陽の有害な放射線から守っているオゾン層の欠乏などにより、カエルそのものは勿論、その卵の核に紫外線が降り注いで孵化しにくくなっていると考えられます。

葉っぱの裏にくっついているアマガエルが比較的安泰なのは、直射日光を避けているからです。カエルの減少は、地球生物の存亡への警鐘と言えるのでしょう。

温暖化防止のための諸策も必要ですが、近い将来に最も恐い「オゾン層破壊」がジワジワと現実的になると、地震や火山噴火の被害など比較にならないほどの恐怖の事態が考えられます。