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田中よしみ
田中よしみ
novelistID. 69379
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ウラバンナ(白秋紀)

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ウラバンナ(白秋紀)

不老の柊
 ママの藤城喜子が出て行くと、誰もいない静かなスナックは手持無沙汰だった。小半時もすると、つばのあるストローハットの長身の女性が入ってきた。
紺の地に朝顔模様のノースリーブのワンピースを着ていた。長身とヘーゼルの瞳、剝き出しの白い肌を見て、秋津柊であることを直感した。
久し振りに見る彼女は、まるで老化という生物の根源的な性質を退化させたように、別れた時のままの姿であった。
秋津柊を最後に見たのは彼女が二十七歳の時であった。私はその後の三十代の女盛りも、四十代の艶やかな柊も見たことがなかった。
「……秋津先輩! ご無沙汰しています」
二十七年の時を経た秋津柊を、疑い深い目でまじまじと見つめていた。一度限りとは言え、体の隅々までも知っている初恋人を見間違うはずがなかった。
「お懐かしゅうございます……。矢納さんもお元気そうで何よりです」
本人に間違いなかった……、それでも何か狐につままれたような気分になったのはその不老の容姿にあった。
「別れた時のままの秋津先輩なので驚きました……。何か私だけが歳を重ねたようで……」
彼女だけが電池の切れた時計のように針が止まっていた。今の二人であれば彼女が昔気にしていた逆年差は問題にならなかった。

「今日は池澤さんの初盆に行かれたのでしょう? その帰りに私の家にもお寄りになればよかったのに……。もしやと思って古いレコードをかけて矢納さんをお待ちしておりました……」
あの盆の夜も洋画音楽を聴きに来るように誘われていたが、私は秋津家を一度も訪ねたことがなかった。先ほど、秋津家の前で流れていた“アフリカの星のボレロ”は柊と私だけの想い出の曲だった。
スペインの四分の三拍子の舞曲だが、その時は思わず門前に立ち止まって胸を熱くしていた。
「そうでしたか、秋津さんの庭先に白い車が停まっていたのでもしかと思いましたが……。あのボレロも……」
柊は秋津家にいて、古いレコードをかけて待ってくれていたのである。
「車は私のです。あの曲は懐かしかったでしょう…………、わたしたちの想い出ですから…………。矢納さんをずっとお待ちしておりましたのに……」
柊は“ずっと”という言葉を強調しながら、いかにも残念そうに言った。
「私にはとても敷居が高くて……、そのまま寄らずにこの店に来ました……」
柊の子供の父親が明らかになるまでは、秋津家を安易に訪問するわけにはいかなかった。

 柊との会話に過去との齟齬はなかった。彼女の右手が白薔薇にそっと触れた時に、薬指に見覚えのあるリングが目についた。
「その青いリングは、確か盆踊りの夜店で射止めた……」
柊が日本橋のデパートでアクアマリンだと言って自慢げに見せてくれた玩具のリングだった。その時に、柊の薬指から銀の指輪が消えていたので鮮明に記憶していた。
「このリングのこと、覚えておられました?」
今となっては三十七年前の夜店のリングは唯一無二の想い出の証だった。
私は煙草を出してダンヒルのライターで火を点けたが、柊はライターには関心を示さなかった。
「矢納さんの血液型はÅ型でしょう?」
柊に血液型を言った覚えはなかったが、何か唐突で妙な質問であった。
「えっ!」禁煙中の私は煙草を消しながら思わず訊き返した。
「いえ、私は第一印象で血液型を言い当てるのが趣味なのです……。お気を悪くされたのなら謝ります……」
戦後生まれは母子手帳に馴染みがなかったので、献血や手術でもしない限り自分の血液型を知らないのが普通であった。私にとって血液型占いは馴染みがなかったのである。
「あっ、そういうことですか? ええ、私はA型です。どうして秋津先輩はA型だと思ったのですか?」
柊は先輩の呼びかけに対しても、昔のように咎めてこなかった。
「矢納さんは昔から几帳面だし、恋人や家族を大事にされそうだから……、A型が圧倒的に多いので当たって当然ですけど……。もう一つだけ訊いてもいいですか?」
バツイチの私は微妙な気分だったが、彼女は私の忌まわしい過去を知らないのだと思った。
「矢納さんは優等生でしたが、特に好きな科目は何でした?」
高校時代もアスリートの柊とそういう類の話しをしたことはなかった。二十七年振りの会話にしては色気のない会話であった。
「優等生はともかくとして、数学と英語は好きでしたね。これはあなたの趣味と何の関係があるのですか?」
柊は私の答えを聞くと、満足したようにヘーゼルの瞳を丸くして満面に笑みを浮かべた。
「やはり! わたしも理数系と英語は大好きです……」
私の知っている柊は理数系とは真逆の学生であり、何かしっくりこなかったが、柊は妙に納得した顔でビールを注いでくれた。
“矢納さん”という呼び方も以前は矢納君だったし、先輩と言っても気分を害して怒ることはなかった。それは二十七年の時の移ろいが二人の関係を希薄にしたのかも知れなかった。ただ、柊がプレゼントしてくれたダンヒルのライターに無反応だったのは意外であった。
「あなたは秋津柊さん、ですよね?」 
「矢納さん……一体どうされたのですか? このリングが何よりだと思いますが……。レコードだって私たちだけしか知らない想い出の曲だし……」
柊は意外な顔をして、二人だけしか知り得ない想い出を並べ立ててきた。柊の慌て振りからも疑惑を深めていた。
「その“矢納さん”の呼び方にも違和感があったのですが、このダンヒルのライターに全く興味を示されなかったのは何故ですか……」
秋津柊と名乗っている目の前の女性は、やはり柊に生き写しの別人としかいいようがなかった。確かに、昔の二人だけの想い出をつぶさに知っていたが、肝心のところで微妙な違和感を覚えた。
「あなたは柊さんのお嬢さんでは?」
柊との思い出を知っている人物は姉の渡辺夫人がいたが、現在は還暦を迎えているはずであった。昔の出来事を知り得る人物は柊の娘しか考えられなかった。


秋津冬
「騙してごめんなさい……。わたし、娘の“ふゆ”です……、季節の冬って書きますけど……。母から矢納さんとのことはよく聞いていましたし、姉妹と間違われるほど母に似ているので演じきれると思ったのですが……」
彼女は観念したように麦わら帽子をとったが、親子とは言え別れた時の柊に生き写しであった。
「矢納さんが気付かれたのはそのライターですか?」
この日のために用意周到に、母親や叔母から二人の想い出に纏わる情報を収集していたのであろう。母親の若い頃の髪型に似せてカットしていたし、瓜二つの顔とリング、それに洋楽があれば騙し通せると思っても無理からぬことであった。
「他にもまだあります。その右の指のリングです。秋津先輩がつけていたのを二度見たことがありますが、その時は左手の薬指につけていました……。それにしても若い頃のお母さんに生き写しですね、驚きました……」
冬は婚約指輪と思われないように敢えて右手の薬指に付けていた。左の指であれば半信半疑のままに冬の演技にやられていたかもしれなかった。。
「左手ですか、そしたら婚約指輪になるでしょう……。柊さんって、矢納さんと婚約したつもりだったのかな……」
冬は笑いながら、リングを左手の指に付け替えていた。