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田中よしみ
田中よしみ
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ウラバンナ(青春紀ー1)

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ウラバンナ(青春紀1)

中学卓球部
 戦後間もなくして矢納(やのう)家の長男として産まれた。祖父母が早世したために、矢納家のルーツは子供の頃から墓参の道すがら、父の矢納信之から聞かされていた。
祖父の生家は四国の士族で、次男の祖父は仕事を求めてこの地に移住したという。祖母方は地元の商家の素封家であり、祖母はその長女として生まれた。
父が相続した家・屋敷や田畑は、祖母が嫁入りの際に実家から持参金代わりに
買い与えられたものであった。気位ばかりが高い祖父や父の代は祖母が持参した不動産のお陰で生活していたようなものであり、家計が苦しかったことは言うまでもなかった。

 父は祖母の実家の商家の帳簿をつけていたが、祖母が亡くなり商家の当主が代替わりすると、戦後は地元企業の事務員として働いていた。
父は亭主関白で家の内では絶対の権力者であり、朝食と夕食は家族揃っての膳が習わしになっていた。朝寝坊や遊びで子どもが食事時間に遅れることは許されなかった。父の帰りが遅い時は、母が父の通勤列車の時刻を見計らって父抜きの夕食を決断していた。食事中に家族が他所の家の悪口や噂話をすることは禁じられていたので、父抜きの夕食は自由な団欒のひと時だった。
母は家族がまだ寝ている間に早起きして、おくどさんの火を熾してご飯釜をセットしてから洗濯物を手洗いして庭に干してから、野良での一仕事を終えて朝餉の用意をしていた。父はそういう母の超人的な働きぶりに対しても、機嫌の悪い時は粗雑だと嘯いていた。
母は家計が苦しくても父の夕餉の膳には酒と肴だけは欠かさずにつけていたし、父への不満を子どもの前で溢したことは一度もなかった。

 父の旧制中学校時代の友人に池澤捷乃介という地方政界のボスがいた。池澤家は旧家の素封家だが、同級生の池澤捷一はその子息だった。
捷一とは小学校が違ったが、父親の縁で子供の頃から気が合ってよく遊んでいた。夏休みになると、池澤の家に泊まり込んで海で泳ぎ、長屋門では卓球に興じていた。
 中学校に上がると二人は同じクラスになった。捷一は野球部に入ったが、私は彼の誘いを断って卓球部を選択した。野球部と違って道具などに余計な費用がかからなかったこともあるが、長屋門での卓球の遊び感覚が入部の動機になっていた。
卓球台は男女に各一台しかなく、一年生部員は台のセッティングと練習後の片づけをさせられた。上級生が練習中は退屈だったが、それでも退部者が少なかったのは一人の女子部員の存在にあった。
 新入部員は女子の乱打練習が始まると、男子部よりも一学年上の秋津柊(あきつしゅう)に注目していた。彼女は百六十センチ近い長身であり、長いリーチを活かした強打で県内でもトップクラスの選手だった。
その上に、ハーフを思わせるような白い肌にヘーゼルの瞳と、短パンから伸びた長い脚は思春期の男子を魅了した。当時の男子の恋の登竜門は秋津柊に集中しており、初恋は誰も片想いで終わった。それでも彼女のモスグリーンのユニフォーム姿に魅せられて、男子はいつしか秋津柊をカトレヤと呼ぶようになっていた。
カトレヤは女子部の主力選手でありながら卓球台の出し入れなどの裏方仕事にも率先して取り組んでおり、後輩への気配りもそつがなかった。その影日向のない人柄が幅広いファン層を形成していた。

 私は体が大きい割には内向的な性格で、三つの小学校が合流した中学では池澤捷一以外には親しい友人がいなかったし、先生にも馴染めなかった。そういう孤独な学校生活は面白くもなかったが、カトレヤへの初恋心は学校嫌いの私の唯一の光明になった。
丁度その頃、母が近所の教育学部の大学生に私の勉強を頼み込んでくれたが、
家庭教師というよりもミニ学習塾である。中学入学時の学業は三百人中の四十位程度だったが、日頃何も言わない母が私の成績に不満をもっていたことをその時に初めて知った。
母は近所の市役所の食堂で働いて塾の月謝を工面してくれたが、その母の決断がその後の私の人生を変えることになった。
その大学生に習った数学と英語はトップクラスに急上昇した。勉強のコツが分れば他科目にも波及していき、主要科目は安定して一桁の順位を確保した。その成績から大学進学を目指す意欲が沸いてきたが、母の決断とカトレヤとの出会いが私の人生行路を大きく左右することになった。

「矢納君は勉強の方もトップクラスだってね……池澤君から聞いたわよ。私なんかいつも一夜漬けだし尊敬するわ……」
二年になって他校に遠征する電車の中で、あのカトレヤが話しかけてきたことがあった。
「えっ、秋津先輩は池澤を知っているのですか?」
「わたしの家は彼の家の近所なの」
私は二人が幼馴染みであることを聞いて、カトレヤが意外に近くにいることを知った。その何気ない会話に独りで舞い上がったが、カトレヤへの恋の階段を上り始めたのはこの会話からだった。
カトレヤは中学を卒業すると隣町にある私立の強豪校にスカウトされたので、顔を見る機会もなくなっていた。
私は一年遅れて隣町の公立高校に進学して電車通学するようになった。国鉄の駅前で私立の制服姿を見ると無意識のうちにカトレヤを捜すようになっていた。
一度だけ軟派されているカトレヤを見かけたことがあったが、やきもきした想いを離れ家に住む渡辺夫人に打ち明けたことがあった。
「そのカトレヤさんも、孝ちゃんに思われて幸せね……。それだけの気持ちがあれば思い切って告白したら?」
夫人は私の片思いを応援するともいってくれた


盆の入り
 高校二年の盆の入りに父と墓参りしたが、父はその翌年に病死したのでこれが最後の墓参になった。その時に父がポツリと話してくれたことがある。
「お前は貧乏を嫌っているだろうが、正直に生きていけるから悪くはないぞ。池澤のように我が家には失うものがないのだから……。お金や名声に惑わされずに自分に正直に生きていくことだ。自分を裏切るようなことだけはするな」
結局、この会話が今際の言葉になったが、その時はうだつの上がらない父の弁解だと思って聞き流していた。
 墓地に入ると耳が痛くなるほどの蟬しぐれに見舞われたが、此処で眠っているご先祖様の声のような気がした。
父は墓前で合掌を終えると、いつものように後ろ手で背負子の形をつくってから“ご先祖様、どうぞ”と声をかけて祖霊を家にお連れした。
子供の頃は吊り蚊帳の中に敷かれた寝床でふと頭に浮かぶのが漠然とした死の恐怖である。ご先祖様のように墓の中に入るのかと思うと眠れなかったが、そういう夜に限って墓から火の玉が背負子に次々と乗り移る夢を見た。
日本固有の緩やかな宗教性は程よい距離感で田舎のウラバンナを豊かにしていた。私にとって盆の一連の行事は家のルーツに触れる機会になったが、特に宗教的行為という意識はなく伝統的な情緒として気に入っていた。

 その日、墓参から帰ると、母の使いで離れ家の渡辺夫人に西瓜を抱えて留守居のお礼に行った。裏庭にある離れ家は祖母の隠居部屋だったが、最近になって空き家を改装して貸家に出していた。
当時は防犯のために隣家に声かけして外出する習慣があったが、そういう共助の積み重ねが部落(行政の最小単位)の連帯を確かなものにしていた。