「 より大いなる希望」:アイヒンガー:
【内容・一覧】:
* 詩三編: 閨秀詩人 より
・ 五月のわたしは...
・ドーミン / ・アイヒンガー
* 自由律俳句 より : 五句
* クリスマスの 第一の祝日歌:
ランゲッサーの異世界より
*- * (( ( * PV.272-
冗談じゃないわと、こんな詩をみたら、この閨秀詩人は吃驚もし軽蔑するだろう。 彼女は半ユダヤ系でもあり、両親や姉妹がナチスヒットラー時代にアウシュヴィッツ強制収容所で殲滅の被害にあっているのだ。
だから 彼女はいつも、こころに恩寵とキリストによる救済を求めて、実人生は もとより、長短編小説や 幾多の詩集において書き、生きてきたからだ。
だが、時代も進み、同じ現代といっても、戦後と経済発展がなされて自由に豊かになった今とは、生活も考えも 書くものも当然ながら異なる。
そして彼女なら同じ世代の、こんな詩のほうにSympathyを強く感じることだろう。
・嗚呼 窓一つなき 家の中
陽が輝き 花が 咲き始めても つゆ 知らず
夜の闇に 漂う 沈黙の帳(とばり)にて
慰みもなく 憤怒の静けさ 増すばかり
この閨秀詩人ドーミンの父もやはり、半ユダヤ系であり、弁護士であるが、流謫(るたく)の地 イギリスで亡くなっているのだ。
*
また、こんな詩を書いた半ユダヤ系の閨秀詩人もいるが、やはり、哀愁と希望と 祈りに満ちている。
長いこと 捜し求めてきたものは 何
光は消え 闇の中 力も失せ 認識も できないまま
けれども こころの安らぎとは どういうものか
そして 愛するこころは 新しき衣装を 着ること
こころの安らぎは 何処に
そは 心の中にこそ その道のりは 遠く・・
この閨秀詩人アイヒンガーはウイーン生まれで、半ユダヤ系のため学問は許されず、戦後になって、ようやく、医学の研究に専念できたのだが、それもつかの間、二年後には断念すると、長編小説「より大いなる希望」Die größere Hoffnung の完成を目指し作家生活に専念していくのである。
*- *- ((( *
・柿三つ 枝に残りし 漱石忌
* - ( (( *
道之助は或る時、友人の徳丸五十くんに云った。
きみはなにかと博識だが カトリック閨秀ランゲッサーのこんな詩篇は知らないだろうな まるで 彼女の詩は 典礼の一部でもあるように 書いているのだから。
彼女は半ユダヤ系でもあり、ナチスの迫害に苦しめられていたからこんな詩を書くのも 故あることなのだが、何十編となく書き纏めているのだ。
神の恩寵に感謝し、救済を確信するように、と云うと、
なるほど、この短い詩からも 陰と陽、暗さと希望が 見て取れるから、それは推察できる。
それにしても 暗い時代は いつになっても引きずって変わらぬものだな。
特に中東ような 宗教も民族も 異なった国が隣り合わせて存在していれば これは歴史的にも解決が 未だに なされていなく、なかなか 複雑なのがわかる 。
だから、こんな詩も書かれたのだと思うが、希望は見失しなっては いけない と徳丸くんが関心を示したのは こんな詩である。
【 クリスマスの第一の祝日歌: 】
第一王の詩 より
わたしの 血と感性は 暗い運命に満ち
目覚めると こころは
耀く露を 求めて やまなかった
すると 刹那 叫んでいた:
おお 露よ そは 恩寵さながら
ゲデオンの マントのように 光り輝き
神の下 沈黙のうちに 拡がると
天は 上に被せた 衣となり やがて
激しい音が 雷(いかずち)のように 轟きわたるや
その激しきあとには 陽の光が
黄金のように 輝き はじめていたのだ
エピファニー Epiphanie より
E. Langgässer :Gedichte
Claassen Verlag 1959 S.32
Vgl. 露はイエスキリストの比喩。
桑子道之助の優雅な青春交遊・抄 より
*- *- ((( *
作品名:「 より大いなる希望」:アイヒンガー: 作家名:HERRSOMMER夏目