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京都七景【第十六章】

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【第十六章 百万遍の恋】
  
「いい話じゃないか。これまで聞いた、どんな話より心打たれるぜ。とくに神岡の情熱の対象が女だけじゃないことが分かって、新鮮だった」と、わたしがつい、正直な心情を吐露する。

「少しは見直したか」
「うん、少しは見直した。おれもフランス文学に勤シマネバ、と思った」
「何だか、今夜供養するにはもったいない話だな」と、堀井も、あごに片手をあてて口をもぐもぐさせながら言う。まるでうまいものを食べ惜しんでいる風情である。

「まあ、二年後に可能性を残した話だからな…」大山は話を引き取るように腕を組んで少し考え込むと、神岡にこう尋ねた。

「どうする?今夜の供養は、止めておくかい」
「いや、僕は供養しておきたい気がする。理由はよく分からないが、そうしておいた方がいいように思うんだ」
「俺もその方がいいと思う」と、露野がいつになく真剣な顔つきで身を乗り出して来る。

「おや、恋愛話にいつもあまり関心を示さない露野が、率直な意見を述べるとは珍しいな、どうかしたのかい」と大山が怪訝(けげん)な表情をする。

「いや、たいしたことじゃないんだが、まだ可能性を残している恋愛には、特に供養が必要だと思うからさ」
「おれには露野の言ってる意味がどうもよく分からんなあ。だって供養をしたら失恋にけりがついて、冥土に行ってしまうんだろう?なら、可能性を残している恋愛を冥土に送るのはまずいんじゃないか」わたしはどうもよく腑に落ちない、という顔をした(はずだが、確かめるすべがないのでご容赦を)。

「うん、俺もついこの間まではそう思っていた。だが、ほら、俺の出ている「印度哲学概論」の講座があるだろう。そこで仏教に関するレポートが出てな。調べているうちに、「供養」の意味の広さを知ったんだ」
「『印度哲学概論』って、おまえと教授の二人しかいない、あの伝説的な講座のことか。よく続いてるな」と、わたし。

「それが、けっこう面白くてな、ためになるんだ。教授が気さくで、インドティーも出してくれる」
「で、どういう意味の広さがあるというのかな、露野君?」大山がやや猫なで声をする。

 こういうときの大山はたいていタイムリミットを気にしている。本当は話を急かしたいのだが、相手の気分を害するのは避けたいものだから、聞き分けのない子に優しく諭すような、普段、決して使わない言葉遣いをする。ところがそんな時には焦っている気持ちが声の抑揚ににじみ出て、「どういう」と「かな」に力がこもり過ぎるので、どうしても重苦しい口調は避けられない。普段、大山のゆったりした息の長い物言いに慣れた者には、即刻、背筋にその意味が響く、という仕掛けである。これも会話の進行を促す力に長けた大山の編み出した社交術ではある。以後お見知りおき、いや、お聞き知りおきを。
 ということで、仲間うちでは最も感度の低い露野とはいえ、さすがに大文字の火も消えたことに気づいた以上、大山の焦りを身にしみて感じたのか、やや慌て気味に話をまとめにかかった。

「うん、もともと供養とは、尊敬している人や物に敬意を表することを言う。日本では亡くなった人を供養する追善供養が一般的だが、もっとずっと意味の広い言葉なんだ。例えば尊敬する人に、ものを供えればこれを利供養といい、感謝や敬意を示せば敬供養と呼び、善行を積めばこれを行供養と称し、以上三つをまとめて三種供養とも名づける。つまり、敬意を表わすことに最重要な意味があるということだな」
「とすれば、神岡が供養したいと思うのは理にかなっているわけだ」とわたし。

「その通り。とくに行供養は、積んだ善行が巡り巡っていつの日か、何らかの形で相手に届くということらしい」と、露野が真顔になってつけ加える。

「なるほど、そいつはすばらしい。まさに神岡の話にぴったりだな。だが、俺には、三種供養の話に託して、露野が自分の心を語り出(いで)たようにも思えるがな」と、大山が鋭く分析する。

「ううむ」露野はひと声唸ると、腕を組んで天を仰いだ。そのまましばらく不動の姿勢をくずさない。まるで北極海に浮かぶ氷山のようだ。みんなは取りつく島を見失い、無言の時間の中に漂流した。

「やはり、あの一件か?」しびれを切らした大山が露野に助け舟を出してやる。

「何だい、あの一件って?」堀井が先に助け舟に取りすがった。

「え、なに、なに、何があったの?」わたしも早速、船端に取りついた。

「くり返すぜ。やはり、あの一件のことかい?」大山が念を押した。

 露野は顔を戻してみんなをゆっくり見回すと、静かに首を縦に振って、左手を胸にあてた。

「ううむ、何だか胸の鼓動が乱れて、呼吸が苦しくなって来た。どうやら俺の中ではまだ、あの一件の整理がついていないようだ。わるいけど、経緯を知っている大山と神岡で、ある程度客観的に、あの一件を説明してもらえないだろうか。自分が説明出来る所まで来たら、必ず交代するからさ。でも、その前に、自分の恋愛感について、いくつか、みんなに理解してほしいことがあるんだが、言ってもいいだろうか」
「もちろんさ。なんでも言ってくれ。真剣に聞かせてもらうよ、なあ」
「おお」みんなは息をのんで、露野の顔を見守った。

「そうしてもらえると助かるよ。実は、変な言い方だが、俺は失恋経験に乏しいんだ。といっても、神岡と同じ意味じゃないぜ。もともと恋愛経験が少ないんだから仕方がないのさ。ところがその少ない恋愛経験が、高校二年生のとき、いきなり時期を前後して、二人の女子学生から告白されるという、人生最多の恋愛回数で始まったものだから、つい先の見通しを誤ってしまったというわけさ」
「というと?」恐る恐るわたしが尋ねる。

「すでにお察しと思うけれど、人生において恋愛のピークはそう何回もあるものじゃない。おそらくは一回かそれ以下、あるいは、好くて二回くらいだと俺は思っている。その仮説を裏づけるかのように、目下、俺の恋愛人生はその仮説レールの上をまっすぐに進んでいる。そのうえ俺は人生に懐疑的な人間である。何にでも疑いを持つという悪い癖が中学の頃からどうしても抜けない。だから、二人の女子に告白されても、別にうれしくなかったんだ。何でこんな自分に告白なんかするのかと逆に腹立たしくさえあった」
「おまえ、相当屈折しているな。それじゃ、あまりかわいい子じゃなかったんじゃないのか」と、わたしはあくまで下世話な理解を貫く人間であった。

「それが、そうじゃないから、困ったんだ。一人は同じ図書委員会の副委員長さ。髪をポニー・テールにしてたな。ほっそりとして背が高くて、目鼻立ちの整った、世話好きな女の子だった。もう一人は、社会問題研究会の一年下の後輩さ。小柄だがエネルギッシュで、正義感の塊のような子だった。だが、容姿と言動にギャップがあってな。もの静かなときは、まるでテレビに出て来るアイドルみたいに愛くるしかった」
「おまえ、それこそ絵に描いたようなピークじゃないか。絶対的ピークだよ、人生に二度と来ない」と、神岡が太鼓判を押す。

「やはり、そう思うか」露野が暗い顔をする。

「で、どうなった、その後は?」わたし同様すぐ下世話に流れる堀井が、もどかしそうに核心をつく。
作品名:京都七景【第十六章】 作家名:折口学