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天才少女の巡り合わせ

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。ご了承願います。また、実名作家も出てきますが、この小説は少し現実世界とは違うパラレルワールドを呈しているかも知れません、あしからずです。(特に警ら風景など)

                 第六感

 世の中には第六感と呼ばれるものがある。それは人間がに備わっている五つの感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)以外のもので、しかも、それを超えるものを差している。それを勘、直感、霊感などと類似にされたりする。
 特に霊感であったり、直感は、予知に繋がるものであり、いわゆる、
「虫の知らせ」
 などという言葉で表されることも多かったりする。
 人間には、身に危険が迫った時にそれを予感するという「嫌な予感」というものが備わっていて。それゆえ、動物的な本能と結びついているとも言えるだろう。
 例えば、一目惚れなどのように人を見た瞬間に好きになるというのは、判断によるものではない。そんな時、
「身体に電流が走ったような」
 などと言われるが、まさしくその通りであろう。
 第六感の実態としては、電気であったり、磁気であったりするというではないか。ウソを見破ったり、性的嗜好や精神病の判定に広く利用されたりするポリグラフという装置あしようされるが、それも人間の中に電気が存在していることで存在できる装置だと言えるのではないだろうか。
 予感であったり、予知を可能にできるのは、何も特殊な人間だけではない。超常現象と言われているものであっても、何も特定の人間にしかできないものだとは限らない。ただ、それを引き出すためのトリガーの存在は必要であり、すべての人間にできるとは言えないかも知れないが、可能性としては誰にでも存在している。
 なぜなら人間の脳の力は、その能力の十パーセントも使っていないと言われるからだ。
 本当にできる人というのは、別に選ばれた人間である必要はない、何かのはずみに頭角を現す人だっているはずなのだ、
 人間にはまだまだ知られていない力が備わっている、逆にできるはずもないと思われていることを、いきなり見せてしまうことだってあるのだ。
 例えば、何かの災害があった際に、例えば火事があったりした時、腰の曲がったばあさんが、タンスを持ち上げて走って逃げたなどという話を聞いたことがあるだろう、それこそ、
「火事場のクソ力」
 と言われるもので、科学的、医学的に証明できるものではない。
 それだけ、人間にはまだまだ知られていない力が備わっているのだ。いわゆる潜在意識というものが作り出す力と言えるのではないだろうか。
 それは力というべきかどうか難しいところであるが、
「潜在意識が作り出すのの」
 と定義することのできる、夢というのも、一種の第六感と言えるのではないだろうか。
 潜在意識と言う言葉は、
「無意識」
 とも言い換えることができる。
 つまり、無意識が作り出すものが夢だということになる。例えば、自分が記憶の中に無意識に格納したものは、意識的には引っ張り出すことはできない。そのための封印なのだからである。
 しかし、何かのはずみで思い出すことがある。それは記憶喪失の人間が、過去の失ってしまった記憶を取り戻すようなものである。
 無理に忘れようとしている力を、意識しないで取り戻すためには、現状の五感では無理なことだ。それができるとすれば、五感を超えるもの、つまり第六感でなければいけない。
 第六感というのは、何も直感や霊感だけでる必要はない無意識の中にある意識であってもいいのではないだろうか。それこそが超常現象であったり、超感覚的知覚と類似の意味であることで五巻を超えるという発想になるのではないだろうか。
 そんな第六感の中で、予知というべきか、犯人を当てるという芸当をやってのけた女の子がいた。
 その子は、「エスパー少女」と言われたが、彼女はただ犯人を見つけるだけではなく、犯人が言い逃れのできないような証拠などもキチンと示してくれるので、よくあるまがい物という類のものではない。
 そんな女の子は一時期テレビに出たりして、注目を浴びていた。最初はテレビの師匠率も悪くはなかったが、時間帯がゴールデンタイムであることと、他局が製作するバラエティ番組がマンネリ化してきたことで、却ってドキュメンタリー風の番組が新鮮だっただけだ。
 しかし、そのうちにどこかから、
「やらせではないか?」
 というウワサが立ってしまい、それがデマであることを証明することができず、視聴率は一気に下がってしまった、
 考えてみれば、デマを打ち消すだけの証明などできるはずがないのである。つまりはデマが出た時点で、もうこの番組は終わっていたのだ。
 その少女は、
「ウソつき少女」
 と言われて、散々な目に遭った。
 マスコミと言うのは本当に残酷なもので、人気が出そうだったり、話題性があると思えばいくらでもおだてて、調子に乗らせて、まわりを煽り誘発する。しかし、ちょっとでも下がり始めると、蜘蛛の子を散らすかのようにさっさと他の話題へと移っていく。
 しかも今回は、デマ騒ぎである。今度はマスコミが助けてくれるどことか、世間の勝手なウワサに載せられて、一気に敵に回ってしまう。
「テレビ局の『やらせ』か?世間の目を欺く天才少女」
 などと、勝手なことを書き立てる。
 無実の証明はできないが、煽っていることを面白おかしく書き立てて、あることないことまくし立てるのはマスコミの常套手段であり、相手が個人であるが、会社であろうが、
「表現の自由」
 を盾に、好き勝手だ。
 しかし、そのために、
「個人の尊厳」
 はどうなるというのだ。
 同じ憲法で保障されていることではないか、だが、しょせんは多勢に逆らうことはできない。多数決という民主主義のいう
「正義」
 が、最後にはものをいうのだ。
 個人であっても企業であっても、そうなるともう終わりである。メディアからは拒否され、普通に生活することさえ、難しくなりかねないだろう。
 やっと今でこそ、
「個人情報保護法」
 などというものが整備されて、少しはいいのかも知れないが、彼女のようにマスコミに担ぎ上げられ、無責任なウワサをデマとして証明してくれようともせず、それをいいことに悪者としてしまい、その報道がまた自分たちの利益にしようとする。
「いくら、やつらは人の生き血を吸えば気が済むというのだろう?」
 マスコミのために同じような被害に遭った人も少なくはないだろう。
 それが皆の共通した意見ではないだろうか。
 特に彼女はその時、まだ小学生だった。
 本当は友達と遊びたい年ごろだったのに、マスコミが煽り、テレビ局が人さらいのようにいつも放送局へと連れ去るのだ。
作品名:天才少女の巡り合わせ 作家名:森本晃次