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短編集94(過去作品)

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金属音)



                金属音


 最近、小学生時代をよく思い出す江坂智明は、自分が歳を取ってきたことを気にするようになっていた。結婚して幸せな生活をしたいと夢見るようになったのはいつ頃からだっただろう。そんな思いもかすんできていた。誰が悪いのでもない、自分が悪いのだ。それを一番分かっているのも江坂自身だった。
 結婚は早い方ではなかったが、決して遅い方でもなかった。今から思い出すと、かなり前に感じる。
「この人と結婚できなければ死んでやる」
 などというセリフをドラマで聞いたりするが、そこまで必死になって女性を好きになるなど江坂には信じられない。確かに女性に興味を持ち始めた時期は一人が寂しいと感じたりもしたが、それは成長過程において誰もが感じること、一人の女性に対してそこまで感じることは今までにはなかった。
 結婚した時でも、本当に結婚を望んだのは相手だった。付き合いが長かったというのもあるが、完全に相手は江坂と結婚するものでいたようだ。江坂本人は冷静だったが、相手には江坂の内面から滲み出ている優しさや、誠実さが十分伝わったようで、付き合っている間あまり会話がなかったにもかかわらず付き合いが長かったのも、相手に以心伝心、分かりやすい性格をしている江坂の一番いいとことなのかも知れない。
――何か大切なことを忘れているのかも知れない――
 といつも感じているが、思い出せない。今の気持ちを整理するために、とても大切なことだ。
 余計なことを口にするタイプではない江坂だったが、本当に口数は少なかった。それは女性に対してだけではなく、男性に対してもである。
「あいつは一体何を考えているんだ」
 あまり親しくない連中は江坂のことを毛嫌いし、近づこうともしない。しかし実際仲良くなった連中は、
「これがあいつの個性だ。やつが口を開いて意見をした時には、すでに腹が決まっている時さ」
 と言って、しっかり彼の性格を見抜いている。
 江坂が冷静な性格なのは小学生時代に算数が好きだったことに起因している。すべては二で割って割り切れるものだと信じていて、真ん中から上と下とに分けていた。下だからといって極端に偏見な視線を浴びせるわけではなかったが、鋭い人なら江坂の性格を見抜けるだろう。元々が頑固な性格で、頑固なだけに気持ちが表に出やすい。しばらく一緒にいれば、すぐに性格は分かってくるというものだろう。
 ゴムの匂いと、断続的に響いてくる乾いた金属音、いつも気だるさを感じていたのが小学生時代の思い出だ。時代は高度成長期、家の近くにも大きな工場があり、絶えず触覚のように灰色に染まった空に突き出した煙突からは、空の色よりさらに濃い灰色の煙が噴出していた。
 煙突から噴出される煙の向きで、その日の風の強さや方向を確認していた。
 風の向きというのは大切である。光化学スモッグなどのような公害が深刻な社会問題になり始めていた頃、子供にとっても大きな問題だった。煙突から出ている煙を見ていれば、嫌でも気になってくるというものである。風が強ければ舞い上がった粉塵が落ちてくる場所によってはまともに遊び場になっている公園にも降ってくるというもので、いつの間にか公害の被害に遭わないとも限らない。
 ハッキリと見えないだけに深刻だ。大人たちよりも意外と子供の方が怖さを感じていたかも知れない。
「遊ぶ時は気をつけなさいよ」
 と大人たちから言われるが、
――勝手に降ってくるもの一体何に気をつけろというんだ――
 と、気にかけてくれるのは嬉しいが、それだけにセリフに対して無責任極まりない思いを感じる。
 何でもかんでも割り切って考える江坂のくせなのだろう。結論も比較的早くつけることが多い。
 いろいろ悩んでいても仕方がない。買い物などで悩むことがあったが、結局いつも最後には最初に決めたものに戻ってくることになるのだから、最初からそれに決めおけばいいのだ。途中の時間がもったいないだけである。人によっては悩むことで気付かなかったことに気付いて、最終的によりよい結果をもたらすこともあるのだろうが、江坂に限っては、考えれば考えるほど、出てくる考えは余計なことである。いたずらに必要以上のことを考えてしまうのは、それこそ時間の無駄である。何でも割り切った性格になるのは、えさかにとって必至なことだった。
 算数が好きだったのも、そんな性格の表れだったのかも知れない。答えは必ず一つに決まっている算数、それを導き出すためのプロセスが重要なのだ。
――プロセスは本能だ――
 と思うようになった江坂は、算数の持つ答えの意味を、自分の中で噛み砕いて理解しようとしていたように思う。
――答えが決して結論ではない――
 人に相談する時には、大体自分の中で考えを整理している江坂ならではの考えではなかろうか。
 学校の帰り道、時々川の土手から工場の煙突を眺めていたが、雲の消えていく煙を眺めながら、
――俺の人生って、一体何なんだろう――
 と思ったものだった。
 江坂は決して現実主義者ではない。本を読むのが好きで、SFなどの宇宙を夢見るのが好きだった。他の星にも人間と同じような人たちが住んでいて、時代のずれこそあるだろうが、同じような流れで進化しているに違いないと考えていた。
 小学生時代の頃に見たアニメには、SFアニメが多かったのが直接の原因だろうが、そのことを人に話したりはしなかった。あくまでも現実主義者のように人には思わせておきたかったのも、江坂の性格の一つである。
 学習塾に通っていた江坂は、ある日帰りが遅くなったことがあった。江坂が学習塾に通うなど、信じられないという人も多かった。学歴社会が頂点を極めようとしていた当時、親が子供を通わせることが主流となっていたが、江坂の場合、自分から通いたいと言い出したのだ。理由はいろいろとあるのだが、算数に興味を持ってからというもの、自分の実力を試してみたくなったというのが一番大きな原因だろう。
 熟は午後九時に終わる。終わってからバスに乗って十五分、バスを降りてから徒歩で数分、遅くとも午後十時には帰り着くはずである。
 その日は、午後十時半になっても帰ってこない。親が心配になって熟に電話を入れてみると、
「とっくに帰られましたよ。まだお帰りではないですか?」
 という返事が返ってくるだけで、少しムカッと来た母親が、
「帰ってこないから電話しているんじゃありませんか」
 と言ってしまったのも無理のないことだった。さすがに熟側もその返答に驚いて、
「失礼しました。こちらも少し探してきますね」
 と明らかに最初の声とは変わって慌てた声になっていた。
 江坂の親、そして熟側からも数人が出て、江坂を探すことになったのだ。
「友達のところへでも行っているんだろう」
 と、比較的暢気な父親に対して、母親は。
「あの子に限って、連絡もなくそんなことをするなんて考えられません。もし、そうだとしても相手の親から一言くらい連絡があるんじゃありませんか?」
 まさしくそのとおりである。それでも暢気に寝転がってテレビを見ている父親を尻目に、母親は表に探しに出かける準備をしていた。
 江坂が帰ってきたのは、その時だった。
作品名:短編集94(過去作品) 作家名:森本晃次