小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

believe

INDEX|1ページ/1ページ|

 
Aのことを考えないようにするには、「Aのことを考えないようにしよう」と考えている間は無理である。BやCのことを考えなくてはならない。

 陽射しが注ぎ、風がそよぐ。ここは病院の屋上である。
 ここに、扉を開けて、ひとりの中年男がやってきた。
 男がここに来るのは、初めてではなかった。がしかし、はっきりと死ぬ目的を持ってここに来たのは初めてだった。
 不器用な人生を終わらせたいという欲求が彼に歩を進めさせ、それを不器用な自分がやり抜けるのかという疑問が彼の表情を厳しくしていた。神には期待しない。悪魔が自分に見入っているのなら、体の操縦を引き受けてほしかった。
 屋上から、街並みが見える……たくさんのビルと緑が見える。
 ひときわ高いグレーのビルは、都市の全住民にとってお馴染みのランドマークである。彼がその最上階の展望台に初めて行ったのは、進学によってこの都市に来て彼の人生で初めてできた彼女とだった。その時にはもちろん特別な注意など払うわけも無かったが、彼が今いるこの場所も、もちろん当時の彼の視界に入っていたはずである。
 今この瞬間にも、昔の彼のような若者が、彼を見下ろしているのだろうか? 彼女と一緒にいて浮かれ、将来を知りようも無く、彼のような中年男に気づきようも無く……。
 昔はよかった。もちろん、いつも不器用だった。しなくてもいいような失敗を、あまりにも多くしでかした。
 しかし、にも関わらず昔はよかった。希望と可能性を信じる余地が広かった。
 彼の脳裏に、さまざまな情景が去来する。
 田舎で過ごしていた子供の頃は……既に亡き祖父母の顔は……若かりし両親の顔は……初恋の女の子は……中高生の頃は……よく聴いていた音楽は……。
 そしてそこには、彼にとって思い出すべきでない、不本意なものもちらついた。
 彼は首を横に振った。
 そして自分を呪った。これが既に始まった走馬灯なのかは、知らない。が、不器用な自分は、それを見ることにもつまづくというのか。
 彼は、死への歩みも、情景の再生も諦めるわけにはいかなかった。最期の願いを、成就させねばならなかった。
 大学生の頃は……今でも恨めしい教授の顔は……
「辞めてくれ」
 彼はつぶやいた。
 やはりそこに、彼にとって思い出すべきでないものがあった。
 ひとりの女性が、彼の脳裏をかすめていた。たびたび現れては、不器用な彼の覚悟に水を差し続けていた。
「……ちくしょう」
 その女性の存在が、顔が、声が、彼の中でどんどん大きくなっていく。
「こんな気持ちじゃあ、逝けないじゃないか」
 その女性は、悩まなくたっていい、とほがらかに歌いかけてくる。
 彼は天を仰いだ。
「ちくしょう! 和田Aキ子のことを思い出し過ぎる……!」

(了)
作品名:believe 作家名:Dewdrop