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端数報告2

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人として何かが欠けているのではないかというお話


 
前回おれは本当は帝銀事件について書く気でいたのだけれど書けなかった。これは池上彰が悪い。あいつの顔が宇宙人の顔なのが悪い。
 
アフェリエイト:池上彰『コロナウイルスの終息は撲滅でなく共存』
 
というわけで今回もまた宇宙人の話である。『星を継ぐもの』の話もしたけどSFミステリの名作と言ってあれと双璧を成すのがI・アシモフの『鋼鉄都市』。これにはウェルズの宇宙人より頭のいい宇宙人が出てくる。おれが持ってるのは旧訳だが、ちょっとページをスキャンして見せよう。赤で囲った部分に注意して読め。
 
画像:鋼鉄都市158-159ページ
アフェリエイト:鋼鉄都市
 
な。ウェルズのより頭がいいだろ。風邪にはみかんだ。みかんを食えという話もしてきたが、今回はそのまとめをしよう。今年の〈コロナ禍〉というものについて、おれはこれまで、
 
 
   *
 
 
そんなものは全部マヤカシだ。〈禍〉など起きてない。愚劣な学者・政治家・マスコミが起きてない禍を起きてるように見せかけているだけだ。
 
コロナは外国で発生した時点では、確かに猛毒を持っていたのだろう。だが真の猛毒コロナは早い段階で消えており、広まったのはやや毒を弱めた型。そして日本に来た頃にはさらに毒を弱めており、4月頃にはさらに弱めて普通の風邪と変わらないものになっていた。政府が緊急事態宣言を出したのは完全な愚行だ。
 
コロナは増殖に有利な道を探す性質を持っていた。そして毒を弱める道を選んだわけだが、決して本当に〈探した〉わけでも〈選んだ〉わけでもない。すべては偶然の結果である。一度毒を弱める道を〈選んだ〉ウイルスがふたたび猛毒化する確率はゼロとは言えぬが限りなくゼロに近いはずなので、第2波と呼ばれるようなものを心配するのは杞憂。
 
なのに学者は「起こる」と言った。そのとき数倍、十数倍、数十倍の死者が出ると言った。これは学者や医者までが、
【コロナは意志持つウイルスで、明確な悪意のもとに人類抹殺をもくろんでいる。そのためいったん毒を弱めて油断させる戦略を取った】
などという妄想に憑かれ、自分達が狂っているのに気づかずにいたことによる。専門家がこうであるため政治家やマスコミ人種が疑わず、狂気が世に広まっているが、〈禍〉が起こるとこういうことになるおそれは、『ホット・ゾーン』の作者などがかねてより懸念し警告していたはずだ。にもかかわらず危惧が現実になってしまったのが今年の〈コロナ禍〉とやらいうものなのである。 
 
これはウイルスの禍などでなくて人災だ。2011年の震災時の福島原発事故が人災であったように。あのとき、一万の専門家がいながら中にただのひとりもプロとしての行動を取れたものがいなかったのを思い出すべきだろう。彼らはアマチュアだった。そして今年の医者も学者も全員がアマチュアだ。海外で真の猛・強毒コロナに向かった者は別だが、この日本で専門家を名乗る者らにプロはただのひとりたりともいない。全員が例外なく無能なボンクラ。
 
だから世の中がこうなった。悪辣な政治家を尻馬に乗らせて「感染をしない、させない」と唱えさすのは人心を不安に陥れるだけの結果しか生まない。「観点を持て」と言われても何をすればいいかわからぬ多くの人々にできるのは感染者差別だけ。
 
「自分が感染してない」とわかる道理があるわけないのに。マスクに一体、なんの効果があったと言うのか。これも人を不安にさせるだけだった。
 
「今日は感染者200人、今日は感染者300人、これはいつ第2波が起きてもおかしくない状況と言えます。感染の拡大防止、感染の拡大防止!」
マスコミは毎日こう訴えた。これもおれには意味不明だった。感染者が200人ということは無症状者が200人と言っているのと同じである。感染者の99パーが無症状。たいしたウイルスではないということである。結構な話じゃないか!と、意味を正しく汲めばそうなる。はずだが、しかし、どういうわけかそれが間違いであるらしい。
 
日に何人か死者が出る。それはそういうものだ、しょうがない。と思っているとほうら見ろ、たまたま開いた本に帝銀事件の平沢も死因は肺炎と書いてあるではないか。日にその程度の数で死ぬのがどうして大騒ぎすることになるのか。
 
としか思えない。これがどうして第2波が起きて大勢が死ぬという話になるのかおれにはまったくわからず困惑するばかりだった。
 
それがつい最近――それもこの11月になるまでのおれだ。映画『アルキメデスの大戦』の主人公・歩目死男は、
 
   *
 
部下「ねえ、それは一体何をやっているんですか
死男「わからんか。戦艦長門の寸法を測っている」
部下「『測る』って。まさかこの艦を手で?」
死男「昨日から測りたくてウズウズしていたのだ」
部下「この戦艦をですか!?」
死男「美しいものを見れば測る。それが人として当たり前の本能だ。キミはこの戦艦を測りたいとは思わないのか」
部下「ええ、まったく」
死男「変わってるな。人として何かが欠けているのではないか」
 
アフェリエイト:アルキメデスの大戦
 
と言う。これはただのキモ男にしか見えないが、おれには世間のマスクを着けた人達の方が、人として何かが欠けているようにしか見えなかった。
 
「感染が拡大すれば第2波が起こる」という言葉は、おれの耳には「風が吹けば桶屋が儲かる」と言ってるようにしか聞こえない。なぜそうなるかの中間が欠けているとしか思えない。どうしてこれが普通の人になんなく受け入れられているのか。
 
わからない。まったくわからない。意味不明だ! とだけ思ってひたすら困惑するばかりだった。
 
「今日は感染者200人、今日は感染者300人、これはいつ第2波が起きてもおかしくない状況と言えます。感染の拡大防止、感染の拡大防止!」
こう聞いたら普通の人は、
「なるほど、そういう戦略のウイルスということなのだな。人を油断させるため一度毒を弱めたのか。なんと狡猾な。恐ろしい。恐ろしい」
こう受け取ってしまうのだと気づいたのは本当に最近である。この11月になって初めて、このブログを書きながらに、
 
「あ、そういうことなのか。バカか?」
 
と思った。こんな簡単なことに気づかずいたとはおれの頭も自分で考えていたほどにたいした出来ではないということなのだろう。
 
そしてそれも医者や学者までもがそういう考えでいて自覚がないからだというのにようやく気づいたわけだ。どいつもがアマチュアだ。それに気づいたのも、元はと言えば、池上彰がテレビに出て、
 
「8月の死者・重症者の一時的増加が第2波だったのかどうかは専門家の間でも意見が分かれています」
 
と言うのを聞いたのがそもそもの始まりだった。「第2波だ」と言う専門家と、「第2波と呼ぶにはちょっと」と言う専門家で意見が分かれているわけなのか。バカバカしい。あんなのは、おれに言わせりゃ、熱帯夜のためクーラーを強くかけてハダカで寝たような者達が熱を出したのに決まってる。感染しても無症状でいた者達が、そのため発症しただけの話。
 
作品名:端数報告2 作家名:島田信之