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端数報告2

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パーセンテージに関するお話



また前回のおさらいからだが、映画『アルキメデスの大戦』。主人公の歩目死男は、
 
   *
 
「(造船中将の)案は、中央は分厚い装甲で覆ってはいますが、その重量配分の皺寄せで(略)最悪の場合、沈没します!」
 
アフェリエイト:アルキメデスの大戦
 
と言う。つまり装甲が厚いから、〈大和〉が高波で沈没すると言うのだ。それを改善するためには、装甲を薄くしなければならない理屈。
 
あるいは重量配分の皺寄せだと言うのだから、中央の重量物だ。艦橋と砲塔をとっぱらえば、高波に耐える船にすることができる。
 
 
艦橋と砲塔のない戦艦は戦艦ではない。
 
 
「軍艦のことはわからなくても数字のことならわかります」
 
 
と目玉をキラリとさせて天才は言う。おれは数字は苦手だけど、軍艦のことはちょい知ってる。明治の〈日本海海戦〉において、戦艦〈三笠〉を旗艦とする日本艦隊はロシアに勝った。
 
その勝因はいくつもあるが、最大のものは日本の方が、撃った砲弾の命中率が大きく上回ったことらしい。ただ、砲弾というものは、撃ったからってまっすぐ飛ぶものではない。
 
画像:砲弾の弾道図
 
こんなふうに飛ぶ。敵との正確な距離を見定め砲の角度を調節してやらないと当たらない。当たらなければどうということはなくなってしまう。
 
これが我が皇国は、バルチックにまさっていた。おれの手元に小倉磐夫・著『カメラと戦争』(朝日文庫)という本があり、この海戦について一章が割かれているが、それによるとなんでも日本は〈バー・アンド・ストラウド式測距儀〉という装置で敵との距離を測っていたそうである。しかし、
 
   *
 
(略)面白いことにロシア海軍も同じバー・アンド・ストラウドの測距儀を使っていたのである。老獪な英国は同盟国の日本にも、その敵国のロシアにも同じ測距儀を売り込んでいたのだ。(略)
 
画像:『カメラと戦争』表紙
 
とあって、けれども、
 
   *
 
(略)日本側は各砲塔、各砲台に測距儀があったがロシア側は一艦に二個しかなかった。その数少ない測距儀が被弾したり、測距士が倒されるとどうにもならなくなったのだという。また(略)だという。
 
画像:『カメラと戦争』表紙
 
だって。思わぬことが勝敗を分けてしまうものなんですなあ。
 
戦艦大和は各砲塔はもちろんのこと、艦橋上部の高いところに〈三笠〉よりはるかに優れた測距儀を備える。これによって水平線に敵が見えたら砲の角度を調節し、ドーンと一発お見舞いしてやることができるはずだった。が、しかしだ。たとえ正確に角度を決めてもちょっとした火薬の量の違いなどで砲弾は敵よりも100メートル先の海に落っこちたり、50メートル手前に落ちたりする。『アルキメデスの大戦』で、海軍少将・嶋田(ヤな名前だな。まだ〈島田〉じゃないだけいいけど)は砲の命中率を、
 
「十にひとつってところかな?」
 
と言う。これを聞いた歩目死男は、バカにした顔で、
 
「10パーセント? はあ〜、戦艦同士の戦いとは、ずいぶんと非効率なものなんですね。いや〜、ちょっとバカバカしいなと思いまして」
 
と言うのであった。
 
【十にひとつ】は【10%】。正しい算数みたいだが、この場面でふたりの前に置かれる船の模型には〈大和〉〈武蔵〉と同じく三連装の砲塔がみっつ。計九門の砲があるのだ。これをドーンと一斉に撃てば90パー……いや、正しい確率は89パーくらいなのかな、とにかく九割で当てられる。戦艦同士の戦いは効率的なものなのだ。歩目死男は〈大和〉に砲が何門あるか指で数えることもできない。
 
ただし、
 
ヤマト航海日誌2
https://novelist.jp/91017.html
 
と、この先はここに書かんので上のリンクを押してほしいが、〈艦隊これくしょん〉とかいうやつもねえ。おれはやったことないんだが、やっぱり、
 
「〈信濃〉は〈大和〉や〈武蔵〉より、魚雷に対して弱いのよ! もともとが魚雷に弱い造りのうえに、
 
ヤマト航海日誌2
https://novelist.jp/91017.html
 
なんだから!」
 
「ああ……それも、それもそれも、天才なんて呼ばれていたけどただの数学バカだった歩目死男のせいなのね!」
 
なんてなことを言ってんのかしらん。だろうな。偏差値の高い人間は、パーセンテージでものを見る。数字だけで判断する。〈コロナの第2波が来る〉というのは、
 
【コロナは意志持つウイルスであり、目標数の人類に感染を果たしたとき変異し、猛毒性をふたたび現す戦略でいる。そのとき3割、いや5割、ひょっとするともっとたくさんの人が死ぬ。最悪の場合、人類絶滅】
 
という意味で言われているとわかると前回書いた。ただし〈目標数〉がいくつか、コロナの考えなので不明。けれども最も可能性が高いのは、全体の二割程度なのではないか……。
 
という意味で言われているとわかると前回書いた。だからこの半年ばかり、ニュースを見れば毎日毎日、
 
「今日は感染者が600人、全体の12パーセントだ! 今日は感染者が800人、全体の16パーセントだ! ああ、恐ろしい。恐ろしいよう! ひょっとしたら人類にはわからんだけで、やつらが目標とする数字は全体の17パーかもしれんじゃないか。明日にもそこに達してしまうかもしれない! そんなことになったならば! そんなことになったならば! そんなことが起こったら、テングー以来の大惨事ではないか!」
 
と言っている。だから〈テングー〉ってなんなんだよとおれとしては聞きたいのだが、
 
「だから感染の拡大防止! だから感染の拡大防止! それには観点を持つことです。感染の拡大防止の観点こそが、最も大事なことなのです!」
 
と言っている。けれどもおれがこういう人に、コロナの第2波が来るというのは、
 
【コロナは意志持つウイルスであり、目標数の人類に感染を果たしたとき変異し、猛毒性をふたたび現す戦略でいる。そのとき3割、いや5割、ひょっとするともっとたくさんの人が死ぬ。最悪の場合、人類絶滅】
 
こういう意味なんですよネと聞いても、
 
「違います。そんなバカなこと考えてません。アナタはコロナを甘く見ている。どうせ自分が感染しても無症状だと思っちゃっているんでしょう。感染者の99.9パーセントがそうだからって。間違いだ! ワタシが言うのは、現にたくさん、こんなにたくさんの死者が出て、今も死に続けているってことです。それも多くがお年寄りなんですよ。アナタは老人が死んだって別にいいと思ってんのか。人間のクズめ!」
 
という答が返ってくるだけだろう。それに対して、
 
「はあ。ええと、おれがそんな人間じゃないのは、 
 
ゴルディオンの結び目
http://2.novelist.jp/73396.html
 
作品名:端数報告2 作家名:島田信之