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もうすぐ……『花嫁の父』(掌編集~今月のイラスト~)

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「どう? お父さん」
「少し胸が空き過ぎじゃないのか?」
 
 今日はひとり娘の亜弥と、妻の弥生のお供で結婚式場に来ている。
 有給まで取って。
 男親の出る幕など何もないことはわかっているつもりだったが、ついつい付いて来てしまった、招待客より一足先に娘の晴れ姿と晴れ舞台の会場を見ておきたいと言う誘惑に勝てなかったのだ、費用も一部補助するのだからそれくらいは当然の権利でもある。

「亜弥のチャームポイントですもの、これくらいは普通よ」
 妻の弥生に、こともなげにそう言われてしまってはそれ以上口出しするのは野暮と思い口をつぐんだ。
 亜弥の右胸にほくろ……ごく小さい頃は風呂に入れてやったりもしていたのだから初めて見るわけではないはずだが、女らしく膨らんで来てから見た記憶はない、タンクトップだのキャミソールだのと言う服装なら見ているはずだが、ほくろが見えるほど空いてはいなかった、やっぱり少し空き過ぎなんじゃないか? と思ったが、母娘が悦に入っている様子を見ればもう何も言えない。
 式場は教会式だが、信者が礼拝に訪れるような本物の教会と言うわけではなく、ホテルの敷地内に設けられたいわば商業教会、見た目は綺麗だが薄っぺらな感じがするのがちょっと不満だ。
 とは言え、亜弥に『素敵でしょう?』と言われては頷かないわけにも行かない、まあ、我が家はクリスチャンと言うわけではないのだから、これで良しとしなければならないだろう。

「当日はエスコートお願いね」
「へぇ? 初耳だぞ」
「あなた、何を言ってるの? 教会式だと父親が花嫁をエスコートしてバージンロードを歩くものよ」
「ああ、そうだな、映画とかで見たことはあるよ、あれを俺がやればいいんだな?」
「そう、祭壇の前までエスコートしたらお婿さんに亜弥を渡せばいいの、それであなたの役目は終わり」
「そうか」
 まあ、確かにそう言う意味合いの儀式なんだろうが……ここまで手塩にかけて育てて来た娘を赤の他人に『どうぞ』とばかりに手渡すのは少々口惜しい気はしないでもない。
『それであなたの役目は終わり』は式のことを指して言っているのだろうが、人生における親の役目もその瞬間に終わると言う意味でもあるな、と思う。
 まあ、この時は遅かれ早かれ来るものだし、彼に亜弥を渡すことはもう半年以上前に同意しちまってるから今さら何も言えないが……。

 亜弥は『自慢の娘です』と胸を張れると言うほどの娘ではない。
 頭の出来は十人並みだし、ピアノが弾けるとか絵を描けるとかの特技もない、運動神経もまあ、十人並みかちょっと下くらいと言ったところだ。
 だが『可愛らしい娘さんですね』と言われて謙遜したことはない、『そうでしょう?』とまでは言わないが『そうですか?』くらいは言う、『素直に育ってくれましたよ』と言う一言を添えて。
 多分そんな時、俺はだらしない顔をしているんだろうなと思う。
 実際、申し分なく育ってくれたと思っている。
 反抗期こそ人並みにあったが、グレて困らされるようなことはなかったし、心配の種がゼロと言うわけではなかったが、深刻に悩まされるようなこともなかった。
 明るく、可愛らしく、素直に、そして優しく育ってくれた。
 その意味では既に充分親孝行してくれたと思っている、亜弥がいて楽しかったこと、嬉しかったことは山ほど思い浮かぶが、腹を立てたりしたことは……たまにはあったのだろうがもう忘れた。

「お父さん、胸元ばっかり見てるんでしょ、エッチ」
「いや、そんなことはないぞ」
 多分ぼんやり亜弥を眺めていたんだろう、亜弥に『エッチ』と言われて我に返ったが、亜弥の口調に咎める様な調子はなく、俺も笑いながら言い返した。
「あなた、ちょっとエスコートの予行練習しておきましょうよ」
「あ……ああ……どうすればいいんだ?」
「祭壇の前でお婿さんが待ってるから、あなたは亜弥の右側に立って」
「こうか?」
「肘を少し出さないと、亜弥が手を添えるから」
「ああ、そうか、これでいいのか?」
「そうそう、で、お婿さんの前まで来たら軽く一礼して亜弥の手を取るの」
「こうか?」
「そう、そしたらお婿さんが右手を差し出すから亜弥の手をそれに重ねて」
「こんな感じかな?」
「そう、それで良いわ」

 今は亜弥の手を重ねるべき手は実際にそこにはないが、本番では……。

 もっとも、彼に亜弥を委ねることに異存はない、ただ俺の手を離れて行くのが残念なだけで……。

 彼と亜弥は社内恋愛、三つ年上の二十八歳、社会人として脂が乗り始めた頃だ。
 早くに父親を亡くしていて、新聞配達をしながら奨学金で国立大を卒業したと言う、今では珍しい『苦学生』だ。
 大学は彼の地元のいわゆる『駅弁大学』だが、そもそも国立大学に合格するのは簡単ではない、俺の部下にもそう言う奴がいるが真面目にコツコツやるタイプだ、頭が切れると言う印象はないが堅実なので安心して仕事を任せられる、頭でっかちになり過ぎないところが良い、彼もそう言うタイプだと思う。
 彼が『お嬢さんを下さい』とやって来た時のことはよく覚えている。
 第一印象は『ちょっと堅苦しいな』と思うほどのもの、それだけ礼儀正しく、真面目な性格がにじむものだった。
 彼のことは亜弥から散々聞かされていて、既に大筋で結婚を認めていた。
 正直言えば渋々だったのだが……反対する理由が見つからなかったから認めざるを得なかったと言うのが偽らざるところだ。
 とは言え、堅苦しい第一印象はそれを覆すようなものではなかったし、むしろ安心感を与えてくれるものだった。
『娘をよろしく』と言ってしまってから酒を酌み交わしたのだが、飲むと陽気になるタイプらしく、だんだんと打ち解けて行って、彼が帰る頃には(いい奴を見つけたな)とさえ思ったものだ。
 それから一度だけ、彼を二人だけで居酒屋に誘い出したことがある。
 その席で彼は亜弥に惹かれた理由だの、これまでの交際の様子などを話してくれたが、俺はそれを心地良く聞くことが出来た、自分が弥生と交際していた頃のことを思い出したくらいで……だから彼の手に亜弥の手を重ねることに異存はない、ただ、ちょっとばかり口惜しいだけで……。
 欲を言えば、あと一年で良いから亜弥を俺の娘のままでいさせてくれたら良かったのに、くらいは思ったが……。
 まあ、いい……亜弥をずっと手元に置くわけには行かないんだし、相手が彼なら納得はしている。

 家に帰り、いつものように三人で夕食のテーブルを囲む。
 数週間後には二人になってしまうと思うと、この時間を胸に刻んでおかないといけないな、とつい考えてしまう。
 そして亜弥は片づけを手伝うと二階へ上がって行った。
 リビングダイニングには弥生と二人……。

「なぁに?」
「え? ああ、いや何でもないよ」
 つい弥生を眺めていて、いぶかしがられた。
「ただね、もうすぐこうやって二人きりになるんだなと思ってね」
「……そうね……」
 式場では亜弥に劣らずウキウキしていた風だったが、やはり母親なのだ。
「弥生は右の口元にほくろがあるだろう?」
「ええ……それが何か?」