小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

火曜日の幻想譚 Ⅱ

INDEX|69ページ/120ページ|

次のページ前のページ
 

172.東雲さん



 東雲 律樹(あずまぐも りつき)さんは、小さい頃からスポーツも勉強もできる人だった。その上、お高く止まったり、気取ったところもなく誰にでも優しい。しかも、笑顔がとても愛くるしい美人ときている。非の打ち所のない女性だと言っていいだろう。
 だが、そんな一見死角のないように見える東雲さんにも、弱点はあるもんだ。その弱点とは、みんながこの文章の一行目を読んだ時に感じたであろう、違和感にある。

 新学年。クラスが変わったり、持ち上がりでクラスは変わらずとも担任の先生が変わったり、そんな新しい人物に出くわすような時期。そんな頃になると、東雲さんは暗い顔をし始める。
「じゃあ、名前の順から自己紹介をお願いしまーす」
東雲さんはおずおずと席を立ち、自己紹介を始める。
「あ……、あずまぐも、りつきって言います」
だいたいこのあたりから、教室はザワザワとし始める。
「……趣味は〇〇です。よろしくお願いします」
もうこの頃になると、東雲さんの話は誰も聞いていない。先生含め、みんなツッコミたくてウズウズしている。東雲さんのファンを自称する僕だって、彼女の趣味がなんだか覚えていないくらいだ。こうして自己紹介が終わった瞬間、お決まりのツッコミが東雲さんに襲いかかる。
「しののめ、じゃないの?」
「普通、しののめって読まない?」
「ちゃんと、ご両親に確認してみた?」
生徒だけでなく先生まで、みんな合唱するかのように同じことを聞いてくる。ご両親に確認してみたも何も、出席番号が明らかに「あ」行なんだから、あずまぐもさんに決まってる。だが、そんな事情を無視して、みんなは東雲さんを質問攻めにするのである。東雲さんは優しい人なので、彼らの質問にも丁寧に受け答えし、自身の姓が「しののめ」ではなく「あずまぐも」であることを説明していく。終わる頃にはもう、彼女はヘトヘトだ。
 そんな彼女を眺め続けて、もう10年以上になる。僕と東雲さんは、小学生の頃から同じ学校に通い、奇跡的に同じクラスになり続けた。それ故、彼女が自己紹介で苦労している場面は、もう春の風物詩といっていい。そして今年、僕らは同じ大学に入学した。先ほど受けた必修授業でも、同じようなやり取りを見てきたのだった。彼女の自己紹介を10回以上見てきた身として分かったことは、やはり人間は、自分の珍しい知識を披露したい欲があるということだ。おそらくその中でも、東雲=しののめ、という知識は、なかなかに披露欲をくすぐられる、手頃な知識のようだ。だから、みんなは気軽に東雲さんに「しののめ」じゃないのと問うてしまう。それを、優しい東雲さんは一つ一つちゃんと受け答えしてしまう。そこに、この悲劇の構造があるのだ。

 僕は、彼女の悲劇を終わらせてあげたいと常々考えていた。そのための方法も、なくはない。あとは僕の勇気さえあれば、彼女を救えるんだ。

 僕は、東雲さんを呼び出して2人きりで話をした。小さい頃から東雲さんが、自己紹介でいつも同じ質問をされて苦労していること。僕が、それを間近で見続けてきたこと。東雲さんに、もうそういう苦労はさせたくないこと。そしてそれ以上に、僕は東雲さんに特別な思いを抱いているということ。
「ねえ、東雲(あずまぐも)さん。結婚して今すぐその名字を変えようなんて重いことは言わないけど、それも視野に入れて、僕とつきあってくれませんか」

 黙って聞いていた東雲さんは、少ししてから言った。

「そのお話も、たくさんの人からされてるの」


作品名:火曜日の幻想譚 Ⅱ 作家名:六色塔