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短編集78(過去作品)

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白鷺は乙女の化身



                白鷺は乙女の化身

「白鷺は乙女の化身」
 という言葉があるが、白鷺に気付くか気付かないかで、その人の人生が変わってしまうことが往々にしてある。相手を乙女と感じることができれば、その人にもきっと違った人生が広がっていることだろう。
 ここに一人の男がいる。彼の名前は井沢拓郎。二十代前半の社会人になってすぐなので、仕事が中心の生活だった。いつも会社と家の往復、最初仕事を覚えるまではそれも苦にならなかったが、仕事に慣れてくると、通勤が煩わしくなる。何しろ満員電車に揺られているため、会社に着くまでに疲れてしまうのだ。
 特に暑い時期など満員電車の中は地獄である。充満する空気の中に汗や香水の匂いが混じってしまい、耐えられたものではない、幸いなことに井沢は背が高い。そのために、人よりちょうど頭一つ分上に出すことができるので、それほどの苦痛感を味あわなくともよさそうだ。
 まるで金魚鉢の金魚が空気を吸いに、パクパクと水面に口を出しているような感じである。暑さで額から流れる汗を拭くこともできず、必死に耐えていると、目に入ってきたのは中吊り広告である。ほとんどが週刊誌の宣伝であるが、中には専門学校などの宣伝も混じっている。
 学生時代に憧れていたシナリオライター、専門学校の広告の中にはそんなコースも書かれていた。
 高校の頃までシナリオライターはおろか、ものを書くことが大嫌いだった井沢である。大学も経済学部に進んだ。これといって目標もなく、経済学部ならそれなりに就職に有利だろうというただそれだけの理由での進学だった。そのために、専門学校など見向きもせず、大学受験にまい進した。そのおかげで浪人もせずに大学に入学できたのは、努力の賜物といっていいだろう。
 そんな彼が大学に入りシナリオに興味を持ち始めたのは、ある意味不純な動機だった。
同じクラスにいる女性を彼は最初の授業から気にしていた。あまり一目惚れするタイプではない井沢にしては珍しいことである。
 ストーカーとまではいかないが、いつも彼女の目を気にしていた。
 名前は沖田有美子といった。その顔に澄ましたような落ち着きを感じ、いつも一人でいるのが似合うようで、それでいて人と話をする時に浮かべる笑顔のあどけなさ、それが有美子の魅力だった。
 有美子が男性と話をするところを想像できない。実際に話しているところを見たこともないし、一種男を近づけないような雰囲気を感じるのだ。それがまた有美子の魅力として写るのだから、井沢がどれだけ有美子を気にしていたか分かるというものだ。
「あばたもエクボ」
 まさしくその通りである。
 井沢自身も、どちらかというとクールな方だった。友達はたくさんいたが、あまり群れをなして行動することが好きではなく、どちらかというとプライバシーを尊重する方だ。それでも腹を割って話ができる友達は数人いたりする。それが大学時代の井沢だった。
 有美子はしばらくして文芸サークルに入った。シナリオを書くのが好きらしく、ちょうどいいサークルを探していたようだ。すぐに入部しなかったのが、有美子も井沢と一緒で、あまりたくさんで群れをなすことが嫌いな性格だったからだ。
 それに気付いて余計に井沢は有美子が気になり始めた。
――自分と同じものを持っている女性――
 そう感じるから惹かれるのだろう。
――一度ゆっくりお話がしてみたい――
 この気持ちが強くなったが、お互いにクールなところがあるので、会話が続くかどうかが一番の不安である。
 そこで考えたのが同一の趣味を持つことであった。井沢にはこれといった趣味があるわけではない。高校時代までは、とりあえず勉強していればいいとしか考えておらず、無気力ではないのだが、熱中できるものを探すことができなかった。きっと何かのきっかけがなければ自分から興味を持つことのできない人間なのだろう。
 井沢が文芸サークルに入部しようと考えたのは、時期的にも実にいい時期だったように思う。まったく興味のなかったことに対して少しずつ感じていった世界、それは見るものすべてが新鮮で、今までが「食わず嫌い」だったということを思い知らされた気がしたのだ。
 文芸サークルは男性八名、女性十名で構成されていて、女子の方が若干多い。その年の一年生の入部は井沢と有美子だけだったが、他の部員には井沢が有美子目的で入部したなど思っている人はいるはずもなかった。
 しかし、それも最初だけで、
「おい井沢、君は沖田さんを好きなんじゃないか?」
 と、先輩から指摘されてビックリした井沢だった。
「なぜそんな?」
「お前は気持ちが顔に出るんだな。きっと正直な性格なんだろう」
 言われてみれば無意識に有美子を見続けていたのかも知れない。分からないのは案外自分だけだったりするものだ。
 自分でも分からなかったが、それがひょっとして群れをなすことが嫌いな理由かそこにあったのかも知れない。
――人に自分の性格を悟られたくない――
 という思いがあったのだろう。プライバシーということに関しては人一倍思い入れが強いようで、何か話す時もいちいち言葉を選んでいるところがあった。それだけに人に悟られやすいという性格が、一番自分で認めたくないはずである。
 先輩に指摘されて苦笑いをするしかなかった井沢にとって、このままではサークルは居づらいところになってしまう。やめようかとも考えたが、すでに井沢にとってシナリオを書くことは自分にとっての大切な生活の一部になってしまっていた。
 さすがにここまでくれば井沢も開き直り、有美子に気持ちを確かめる気になった。
「付き合っていただけますか?」
 この言葉を言うまでにどれだけ頭の中でシュミレーションしたことだろう。だが、案ずるより有無が易しで、簡単に付き合うようになった。
「井沢さんはいつから私を気にしていらしたの?」
「クラスの隣の席になった時からです。あの時からずっと気になっていました」
「随分最初からね。じゃあ、それから私に対しての思いは変わった?」
「そうですね、変わったといえば変わった。変わっていないといえば変わっていないですね」
「あら、ハッキリしないわね」
「だって気持ちが深く、そして大きくなることを変わったと言えるかどうか分からないですよ」
「あら、お上手ね」
 そう言って、手で小さな口を押さえて笑っている。この時の有美子の表情が井沢は一番好きだった。普段は清楚で静かな彼女がはにかむ姿、それを垣間見た瞬間があったことから有美子を好きになり、告白にまで至ったのだ。
 それにしても有美子は、井沢がいつ自分を好きになったかということをやけに気にしているようだ。それが有美子の自尊心から来るものだとすぐに気付いていた。
 なぜなら井沢にも同じようなところがあるからである。人が自分をどう思っているかを気にするあまり、誰かが自分を気に入ってくれたとすればそれがいつどのような時だったかを知りたいのだ。
 要するに自信がないのだろう。自分に自信を持っていれば自然に人がまわりに集まってくるので、そんなことを気にすることもない。
作品名:短編集78(過去作品) 作家名:森本晃次