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短編集76(過去作品)

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 太陽の光さえ眩しくなければ、それほどの頭痛は感じないだろう。西日に感じる黄昏は身体の奥から沁みだしてくる気だるさを思わせ、余計に熱を身体の奥に感じさせることになる。
 夕日に感じる赤ほどではないが、朝日も苦手である。眩しさは夕日よりもあり、しかも通勤の時には朝日を目指して歩くことになる。歩く時間とすれば十五分ほどだろうか?
かなり時間の長さを感じてしまう。朝靄などが掛かっていればさらにぼやけて感じ、却って頭痛の原因になりかねない。
 太陽をまともに見たことのある人は、丸くなっている太陽の奥に、くぼみのようなものを感じたことのある人がいるのではないだろうか。佐竹はそれを感じたことがある。まわりが灼熱の炎のように揺らめいているにもかかわらず、丸い輪の中にくぼみがあるのだ。小さい頃に見た特撮やSF映画を思い出す。くぼみのようになっているところをどこかで見たように感じていたが、よくよく考えるとその頃に見た映画で同じようなものを見たではないか。きっと映画作成スタッフの人間に、太陽のくぼみを見て、あるイメージが浮かんできたのかも知れない。
 そう、異次元の入り口だ。
 異次元空間というのは、想像上の空間で、実際に存在するとすれば、その発想は果てしない。時間を超越する世界として創造されている空間は、我々が住んでいる三次元という世界のまったくの裏側に広がっているという考え方がある。特に四次元の世界というのは、パラドックスを含んでいて、タブーとされることが多い。例えばタイムマシンが完成し、違う時代の自分に出会ったとしたらどうなるか?
 歴史を変えてしまうことが、時間という規則正しく形成された世の中を一瞬の出来事で大きく変えてしまうかも知れない。自分の運命を自分で変えてしまうことのタブー、人間はしばしばそれを、
「神への冒涜」
 だとし、敬遠してきた。その思いをフィクションで達成しようというくらいは、想像力の範囲として許されることではないか。
 太陽が大きく見える時がある。初日の出を見ようと、海岸へ友達と出かけた時だった。毎年というわけには行かないが、大学の時からの友達と、時間が合えば行くようにしている。行く時には砂浜には真っ暗な時間からたくさんの人が来ていて、中には佐竹と同じように常連となっている人たちもいるようだ。
「いやぁ、一年ぶりですね」
 どこかで、そんな会話が聞こえる。
「去年、ここで初日の出を見たからいいことがあったでしょう?」
「そんなことはなかったですよ。むしろ最悪だったかも知れない」
「ほう、それは大変でしたね。それでも今年またここに?」
「ええ、初日の出を見たから最悪だったなんていう気がしないんです。それを証明するためにもまた今年やってきました」
「そうですね。私はそれなりにいいこともありましたね。嫌なこともあったんだろうけど、すぐに立ち直れたり、忘れることができました。きっと初日の出のご利益ではないかと思っています」
 佐竹自身、あまりご利益を信じる方ではない。初日の出を最初に見に行った時だって、それほど乗り気ではなかった。迷信を信じるということは、信じられなくなった時のギャップを考えると怖くなるからである。初詣に行くついでに初日の出も一緒にというのが目的だった。神社には先に初日の出を拝んで行くようにしている。
 海岸は防波堤の向こうが砂浜になっていて、少し沖に出ると小さな半島になっている。そこが島のようにも見えて、日の出を幻想的に演出できるところから、
「隠れた名所」
 として、学生には人気があった。
 そのためほとんどが十代か二十代である。遠く水平線から出てくる日の出は他の日も変わりないのだと分かっているが、それでもどこかに違いを探そうとしている自分に気付く。
「きっと何かが違うのよ」
 女性もそう言っている。特に女性は違いを見つけるのが得意ではないだろうか。普段は現実的で合理性ばかりを考えているような人だが、迷信のようなものを信じる時に、メルヘンの世界を思い浮かべるのだと言っていた。きっとその違いに気付いているのだろう。
 佐竹も一生懸命に探してみた。
――ああ、きっと普段より大きく見えるんだ――
 日の出を見ることなど、年に一度しかないが、水平線を跨ぐようにして昇ってくる太陽を見ていると正円ではなく、少し横に長い楕円形をしているように思う。きっと水面からの照り返しと、放射冷却による靄とで、そんな風に見えてしまうに違いない。
 それは何年かして気付いたことで、そのことに気付いたのを誰にも話していない。誰かに話すとその光景を見ることができないように思えるからで、初日の出を見に来る楽しみがなくなってしまうからだ。
 いまだにこれほど大きな太陽を見たことないのは、初日の出だけが、まともに太陽を見れる時だからである。眩しいのだが、直視しても辛くない。それも大きく見える要因ではないだろうか。
「きっと普段との違いを感じた時って、あまりいいことがないのよ」
「普段の違いって?」
「それを言ってしまうと本当に最悪みたい。きっと相手も同じことを考えているような気がしてくるの。お互いにあまりいいことないんだわ」
 そう言われてしまっては、それ以上追求することはできない。大きな太陽をじっと見詰めているだけしかなかった。
 それから佐竹は太陽のことを気にし始めたようだ。夕日も気になるが、最近では朝日の方が気になる。それも夏よりも冬。初夏のこの時期にあまり気にすることはなかった。
 冬の朝は不思議である。それなりに科学的根拠はあるのだろうが、いわゆる、
「放射冷却現象」
 と呼ばれるものがある。雲ひとつなく明るく眩しい朝は、霜が降りていたりして、とても寒い。むしろ曇っている時の方が暖かいのだ。それを放射冷却現象というのだが、車のフロントガラスも完全に凍り付いていて、スターダストを思わせる。息が白く、身体がこれ以上ないと感じるほど硬直していて、頬に当たる風を感じると、まるで身を切られるような思いがある。
 しかしそんな朝は却ってすがすがしく感じることがあり、ハッキリとまわりが綺麗に見えている。サッパリとした目覚めが約束されているようだ。それに比べて今のような初夏の朝は、生暖かい湿気を帯びていて、朝靄も肌にへばりついてくるようで気持ち悪い。その違いが海で感じた気持ちを思い出させ、初夏の目覚めはあまり好きではない。
 それでも散歩するにはちょうどいい気温である。目が覚めるまでに冬よりも時間が掛かるが、あまり好きではない理由は他にもある。
 これも暗示に掛かりやすい性格が災いしているのだろう。何となく朝に匂いを感じる季節なんだ。石のようなセメントのような何とも言えないような匂い。湿気を帯びた道路から湧き上がる蒸気のせいだということは分かっているのだが、それだけではないように思える。何かが焼けるように匂いがしているようで、思わずまわりをキョロキョロとしたものだ。
 その匂いを感じる時というのはロクなことがない。
作品名:短編集76(過去作品) 作家名:森本晃次